閑話その④ 環を司る門番
静かに、重い瞼を持ち上げると眼前に広がる白。つっ、と目尻から流れ落ちる温かな水粒。横たわる身体の手先足先に意識を集中するも、重いそれを動かすことを諦め、視線のみを左右に動かす。ピッ、ピッ、と耳に流れる聞き覚えのある電子音、見覚えのある白い天井、微かな消毒臭。
それは、『地球』に来て殆どの時間をすごした懐かしい場所。この肉体と繋がり、目覚めた始まりの場所。
「・・・目が覚めましたか?」
左の方から聴こえた声にゆっくり首を動かすと、動かなくていいです、と心配そうに発せられた優しい声が続き、傍らの椅子から立ち上がった声の主が視界に現れる。声をかけようとするも、口に呼吸器が繋がれており、上手く言葉を発せられなかった。
「あ、喋らなくていいですよ。ええと・・・何処まで覚えているかな。呼び出された倉庫からこちらへ戻る時、車まで歩く途中に突然倒れて・・・。そのまま大和さんの言う通りに、この病院にみんなで連れて来ました。俺たちが考えていた以上に、負担がかかっていたみたいで・・・そのまま入院して、丸二日間眠っていたのですよ。」
意思に反し動かせない身体と対照的に、意識はこれまでで一番はっきりとしている。ひとつの身体とひとつの心、これはヒトの機能としてあるべき姿なのかもしれない。そして、これまでになく感覚が働いている。それは、これまでこの中にあった“もう一人”の不在を確信付けるものだと理解する。心の動きに応えるように、瞳から静かに水粒は流れていく。
「・・・袴田さん、ですね。」
―――何故?と、目を見開くと、声の主が優しく答える。
「早川さんはあの時、“みんなと一緒に帰れない”と言い残して、倒れました。・・・早川さんと、キクロスの間に何かがあったのか、それとも何もなかったのか。それは、俺たちにはわかりません。
ですが、今のあなたが早川俊昭であり、キクロスである・・・つまりは“袴田虎路”であると、俺はそう思いますよ。・・・体中にあった鎖のような痣が、無くなっています。・・・まぁ、首に輪っかのような痣が残っていますが。これは、早川さんとキクロスが『契約』した証なんじゃないでしょうか。」
そう話してくれた剣が本部に戻って半日。新しい感覚にも、少しずつ馴染んできた。鏡で確認すると、剣に言われた通りに首に一筋の痣があった。虎路はその痣に触れ、胸に一つ決意を残し、退院後本部へ戻った。
「おかえりなさい!!」
本部のフロアに到着すると、エレベーターホールのソファから立ち上がった玲一が、両腕を振り駆け寄ってくる。わざわざ出迎えるために待っていてくれたのだろうと、テーブル上の情報誌の束や飲み物から安易に推察できた。迎えてくれる人がいて、迎えられること。ただそれだけのことに、心が温かくなり、自然と笑みが溢れた。
「ただいま帰りました。待っていてくれたのですね?ありがとう、玲一。」
「ふぇ!?」
玲一は非常にわかりやすく全身で驚きを表現し、その体制のままフリーズした。そのリアクションに虎路の口角もストンと落ち、冷たい視線で呟く。
「・・・その反応は、さすがに傷つきますよ。」
「いや、だって!待って!・・・予想外というか、想定外というか・・・っ!!えっと・・・は、袴田さんですよね??」
慌てふためく玲一の姿に、虎路は堪らず吹き出す。
「はい、袴田ですよ。よかったら畏まらずに、好きにお呼びだてください。ぼくも名前で呼んでいいですか?」
「うわー・・・うわー・・・なんか、すごい別人みたい。あ、いや、すいません!!うん、名前で呼んでください!じゃあオレ、虎くんって呼びますね。」
二人がそう話していると、チン、とエレベーターの扉が開き、走り込みから戻った剣が姿を現す。
「袴田さん、おかえりなさい。到着、思っていたより早かったですね。」
「ただいま帰りました。・・・その、二人とも。今回は色々と迷惑を――――――」
「「かけられていません!」」
虎路の言葉を遮るように、剣と玲一がハモる。タイミングの合いすぎた状況に三人とも驚き、きょとんと顔を見合わせる。じわりと沸き上がる何とも言えないくすぐったい気持ちに、ほぼ同時に堪えきれず笑い出す。
「あはは・・・って、最後まで言わせてくださいよ!」
「いや、誰が言わせるか・・・って、何今の!!やめてよ剣くん、被ってくるの!」
「俺の非か?さすがに認めんぞ、それは。」
ひとしきり笑い終えた後。ふと、剣は真面目な顔で虎路を見る。
「・・・元気そうで、よかったです。」
「はい。・・・決めました。ぼくは、キクロスではなく袴田虎路として、早川俊昭の人生の続きを生きるって。責任を以って、この命を繋ぐと。
―――なんて、堅苦しく考えたらきっと、俊昭に叱られますね。・・・笑顔でいるために、ガーディナーの袴田虎路として、環を司る『門番』として・・・その、責務を果たします。」
「いや、虎くん。言ったそばから堅苦しい。」
玲一から即座にツッコミが入り、虎路は眉間にしわを寄せる。
「―――本当だ。・・・えぇ、難しいなぁ。」
「あと、剣くんも、虎くんのこと、名前呼びしよう。」
「いきなりだな。・・・いや、そうだな。じゃあ、虎路と呼んでいいですか?」
「はい。改めてよろしくお願いします、剣。」
二人と別れ、自室で入院中の荷をほどいたあと、虎路はマスタールームで一人蘇った記憶をまとめ起こした。
これまで、ずっと靄がかかったように『門番』としての自分が持つ記憶は不明瞭であった。少しずつ断片的に湧き起こる記憶の欠片を、大和と共有するようにしてきた。
ぼくがいた、あちら。はじめの記憶は、一面に広がる咲き誇る花々の景色。そうして、『華園』と呼ぶことにした世界。メーアは確か、『箱庭』と呼んでいたことを思い出す。
しかし、思い出した記憶もそう目新しい情報ではない。結局のところ、水を司る『門番』―――その『鍵の子』、メーア。自分の中にある情報と呼べる記憶は、すべて彼女から教わったものであるということ。
はじまりは、何処だったか。あまりに永く、遠い記憶。門から見える景色は、大きな変化もなく、自分が何故『門番』としてその場にいるのかを疑問にも思わずに、ただそこに存在する。・・・それだけの日々。
いつからか。自分の守る門から離れ、一人の『門番』が自由に飛び回っていた。彼女は、自分と、それぞれの『門番』に名を与えた。
空を司る『門番』その『鍵の子』シエル、
生を司る『門番』その『鍵の子』レーヴェ、
死を司る『門番』その『鍵の子』フィーネ、
火を司る『門番』その『鍵の子』ルーチェ、
風を司る『門番』その『鍵の子』ピサンリ、
土を司る『門番』その『鍵の子』ジェミヤ、
水を司る『門番』その『鍵の子』メーア。
そして環を司る『門番』その『鍵の子』それが、キクロスの名を与えられた、ぼく。・・・ぼくら『門番』は『通路』を塞ぎ守る存在。
それは、誰が、何の目的で・・・作った、のか?そもそも何故、同じ境遇である筈のメーアから名を与えられている?そして、何故・・・メーア以外の『門番』は、ぼくを含め何の疑問も抱くことなく、大人しく門に留まっていたのだろう。
《――――――約束する。》
約束。そう・・・それは何だった?
自分とあまり変わらぬ背格好の・・・少年?
紅い髪の・・・少年。
彼は、ぼくに何をした?
彼は、ぼくに何を伝えた―――?
つきん、と。こめかみに鋭い痛みが走る。
「っ・・・!なん・・・で。これは・・・。」
突然の頭痛に手で頭を押さえ、テーブルに突っ伏す。考えようとすると、痛みが増す。こめかみ、脳、というよりは。痛みの元はより深く、記憶そのものに鍵がかかっているようだった。どうにか呼吸を整えようとしていると、マスタールームの扉が開く。
「・・・ちょっと!何しているの、トラ!!」
重い頭をどうにか扉の方へ動かすと、駆け寄ってくる大和の姿が目に入る。
「大和・・・。」
「このバカ!ただでさえ体調安定してないうえに、退院直後にここで何している!」
強い語気とうらはらに、心配そうにこちらを覗き込むその表情に、ふっと笑いがもれる。
「心配かけてすみません。・・・キクロスの記憶を取り戻したので、それの報告をまとめようとしていたのですが・・・記憶を辿っていたら、激しい頭痛に襲われました。」
「それで、痛みはどの程度だ?状態によっては名切元医師の元に送り返すぞ。正直に答えなさい。」
「これは・・・おそらく『地球』の医療技術でどうにかなるものではなさそうです。記憶を探らなければ、大丈夫そうです。・・・・・・うん、だいぶ落ち着いてきました。」
大和は、はぁ、と大きなため息をついて、そのままテーブルに手をかけ床にへたり込んだ。
「・・・頼むから、無茶しないでくれ。」
小さく、床に吐き捨てた大和の言葉に胸が痛む。
「重ね重ね、心労をかけてすみません。しかしですね、大和。貴方も今回、相当無茶したでしょう。」
虎路のその言葉には、若干の棘が含まれた。大和はこれまでにない虎路の返しに、目を丸くして見上げる。上体を起こし、虎路は言葉を続ける。
「ぼくは早川俊昭さんの一番近いところで、彼の孤独を見ました。彼は、“言っても無駄”だと世界に失望し、自分を諦めた。・・・大和、貴方が一人で抱え込んでいるものは何ですか?」
「トラ・・・。」
「ぼくらの荷物も全部背負って、自分自身の荷物は誰にも渡さずに抱え込むのですか?・・・その荷を、ぼくらが預かることは出来ませんか。ぼくは、君が壊れてしまわないかと―――それが怖いのです。」
沈黙の後、大和は視線を伏せ目線を外し立ち上がる。
「トラ、とにかく今日は休みなさい。」
そう言葉を残し、マスタールームを後にした。その背を見送り、虎路は座っていた椅子の上を滑るように、身体を沈めた。
「君がそこまでして守りたいものは・・・隠したいものは、一体なんなのですか?」
虎路の呟きは、静かに誰に届くこともなく。その場に溶けて消えた。




