第九話 その名は、小野原恵。
《兄弟編》
ふわりと、空に浮かぶ二つの月。欠ける事のない銀の月と、満ち欠ける金の月が輝く夜空。様々な種類の木々が鬱蒼と茂った森の奥で、枝葉の間から差す月明かりに浮かぶ二つの人影。
「なにしてんの。」
空高く聳える岩壁の側に立っていた小柄な人影は、月の光に呼応するように小さく灯る花を手折り集めている、夜に溶けるような長身の人影に、ぶっきらぼうに話しかける。
「ニハルか。『巣』の夜光花が枯れかけていただろう。新しいものに変えておこうと思ってね。」
「・・・羽で花、摘めんの?」
「あぁ、丁度羽の関節部のここ、爪があるんだよ。獣の身も中々に便利なものだね。」
そう説明して、淡く発光する花々に囲まれたその人影は、ばさりと闇に染まる羽を広げ、関節部の四本の爪で集めた夜光花をニハルと呼んだ人影に見せるよう掲げた。
「・・・ここには、私たちの他には誰もいないし、気配もないよ。本題は?」
ニハルは一歩、歩み出る。ローブを纏った小柄な体躯に兎の頭をした姿が、月光の木洩れ日に映し出された。
「エルナトが死んだ。・・・しかも、自決したって。」
「・・・そう。確か、先日の満月のしばらく前に。エルナトの周辺にサビクの姿をよく見た気がする。あの真面目な御仁と、狡猾な蛇の組み合わせに違和感は覚えていたが・・・。そうだな、少し探ってみよう。ニハル、くれぐれもサビクには近寄らないようにね。」
そう話し、夜光花を集めていた人影も歩み出る。こちらは漆黒の嘴と、月明りを青く反射する闇色の羽を持つ鴉のような外見をしていた。その忠告を聞いてか聞かずか、だらりと垂れた耳を、ふわふわとした自分の手でむにむにと掴みながら、ニハルは呟いた。
「他のやつらの思惑なんて、どうでもいい。・・・おれは、あの国を。この手で滅ぼせるなら。それだけで、いい。」
ニハルの後方にあった、空高く聳える岩壁。その岩壁に沿って場を離れる事、数刻。壁に大きく深い裂け目が入った場所がある。『巣』、それが彼ら『半獣落ち』の棲み処であった。
裂け目に足を踏み入れると、視覚の自由が利かなくなる程度の暗闇が襲う。岩壁を伝い、しばらく歩み進めると、少し開けた空間に出る。
そこからは壁面に等間隔に飾られた夜光花が、静かに空洞内を照らしている。とは言え、闇に慣れた獣の眼を以てして、ようやく認識できる程度の灯りに過ぎず、人間の視力では、ただの漆黒の闇と化すであろう。
幾つかある空洞の一つから、話し声が聞こえていた。
「・・・あのエルナト殿が自害なさるなどと、一体『地球』で何があったと言うのか!」
「だからぁ、説明してあげてんじゃんよ。聞けよ、トゥバン。あいつ、『門番』を奪った『地球』のニンゲンとなんか話してんなと思ったら、いきなり斧ぶん投げて自分のクビ切っちまったんだって。わけわかんねぇ。」
「デネボラ、儂は貴様の事を信用してはおらん!アルファの時も、『地球』の民に討たれたと言っていたが、それもどうだか。一連の出来事を『通路』の隙間から覗いたという話も信じ難い。」
デネボラと呼ばれた人影は、大きなため息をついてその場を去ろうと歩き出した。
「逃げるとは、やましい事がある証拠ではないか!」
その背中に、トゥバンと呼ばれた人影が叫びたてる。デネボラは手を振り、一言。
「トゥバン、良い事教えといてやるよ。ボクを信じないのは勝手だけど、毒蛇には気をつけなよ。」
後ろで喚き続けるトゥバンを無視し、デネボラは洞窟を奥に一人進んでいった。
(アルファを討ったことは、後悔していない。ああいうタイプは信用できないからね。エルナトの暴走にはちょっとビックリしたけど。・・・どーせ、毒蛇の実験台にされたんだろうなぁ、アレは。忠告してやったけど、トゥバンも自ら志願していきそうだしね。まぁ、そんなコトはどうでもいい。)
「ガーディナーって言ったっけ?あの白いやつら。・・・精々楽しませてくれよな。」
午前六時半。マスタールームに収集されたガーディナーメンバーは、約一週間ぶりに顔を合わせた。
「スケジュールの都合上、こんな時間になってしまって申し訳ない。早速だが、一週間前の『半獣落ち』襲撃について、キムっちの報告を聴かせてもらいたいのだが。・・・先に説明しておかなければならない事がある。」
大和の説明とは『守護者の盾』に実装されている機能で、先日の説明会ではあえて伏せていたもの。“自動記録”についてであった。
「つまり、この前の出来事も、オレの口から語らずとも。このプロテクターが全部語ってくれるって事ですか。・・・で?どうやって再生するんですか。」
玲一は冷静な口調で返し、左腕のプロテクターをぷらぷらと振って見せる。その反応が意外だったのか、一瞬面を食らった表情になりつつも、大和は隣に立っていた虎路に合図を送る。
「はい。このような大事なことを伏せ、大変申し訳ありませんでした。通信、位置確認機能につきましては、プロテクターのロックを解除する必要はなく、外装のボタンで対応出来るのですが。【コネクト・オン】の接続コードを始点として、音声が記録される仕様になっております。・・・それでは、先日のログを再生いたします。」
虎路はそう言って手元のマスターコンピューターを操作し、部屋に玲一の戦いの記録が流れる。
「あ~・・・、なるほど。エルナトのやつ、最初こんな事言ってたんだな。」
それは『契約者』になる前の、エルナトの放つ言葉を、言葉として認識できなかった部分。玲一の予想通り、名乗りから要件、無反応な玲一に対して怒りを募らせる台詞の数々が残っていた。
一通りの、エルナトの『結界』解除後、玲一が【コネクト・アウト】するまでの記録の再生が終了した。その場の全員が、それぞれ考え込み、静けさが部屋を支配した。
「大和さん、袴田さん。あの時はグループ系列の病院を紹介してもらって、本当に助かりました。・・・相当気が動転していましたから。三日後の検査でも何事もなく、妹が無事でほっとしました。ありがとうございます。」
静寂を破ったのは、玲一。数日前の彼と比較し、そのあまりの落ち着きように大和は戸惑いを隠せず、思ったままを口にしてみた。
「キムっち、別人みたいな落ち着きようだけど・・・。『契約者』になって、『門番』に人格支配されている、なんて新しいパターンじゃないよね?」
「あはは、あいっ変わらず失礼ですね!大和さん。・・・違います。なんというか、これまで子供じみた対応ばかりで申し訳なかったです。正直、オレ一人お荷物なんじゃないかって勝手に焦ってて。ずっとイライラしていました。ちょうど不安の原因とかが解消したんで、ちょっとは大人になったと思いますよ?」
玲一の言葉に、剣はハッとし視線を向ける。隣に立つこの友人の機微に、全く気付いていなかった自分に愕然としていると、姿勢を正したまま玲一は言葉を続けた。
「本題に入りましょう。エルナトは自らを地球人と称し、故郷に戻るために『門番』を必要としている。そう言っていました。最後、ログでは聴きにくかったですが、半獣が獣と人に別れたかのような状態で、それぞれの言葉を語っていました。・・・『半獣落ち』を、人に戻す方法はないんでしょうか?」
玲一の切実な表情に、大和は困った顔を見せ、ふうっと息を吐き俯く。
「言いたいことはわかる。今の僕に答えられるのは、戻せるかもしれないし、戻せないかもしれない。ただ、現状その手立てはない。と言う事だ。せめて、『門番』から何か情報が聴き出せれば別なのだろうが、『契約者』となってからは・・・眠っているのか、生きているのか。それすらわからない。カノちゃんとキムっちは、それぞれ『門番』と何かしらの意思の疎通はできるかい?」
大和の発言に、虎路が手を上げ続ける。
「木村様、先ほどのログですが・・・。妹様が現れたあと、数秒ノイズが入った後にエルナトが“『門番』を手に入れた”、と発言していました。そして、直後“ピサンリが『門番』”と仰っていましたが・・・あの数秒のノイズの間に何かがあったのでしょうか?」
虎路の発言に、全員が玲一に注目した。
「うん。あの空間での出来事はログに残っていなかった。しかも、十分くらいは居たと思ったのに、ノイズは一瞬だったな・・・。なな・・・妹が、エルナトに捕まったんです。片手にすっぽり収まってて、一瞬で捻りつぶされるんじゃないかって恐怖と怒りで、全身の血が沸騰するような、そんな状況だった。
なのに、いきなり世界がすっぽり変わったように。あったかくて、ふわふわした、甘い香りのするキレーな花畑にいたんだよ。あの時はさすがに死んだかと思ったわ。」
「『華園』・・・。」
玲一の言葉に茫然としていた虎路が、ぽつりと呟く。玲一はその呟いた言葉にあっ、とした表情になり、必死に状況を思い出そうと首を捻りながら語る。
「あ、そうか。あれが『華園』だったのか?なんだっけ、“あっちに似せてぼくが作った隠れる場所”?そんなこと言っていた気がすんだけど・・・。そう、ピサンリって外国の子どもみたいな、色素の薄いめちゃキレイな子がいて。なんか・・・メーア?に、『半獣落ち』から逃げろって言われたからこっちきた、とか。最後にピサンリを守るって約束したら、元の場所に戻ってて。・・・そう、それで、左足首に。剣くんの左肩と同じ、これ。」
玲一は、その場のみんなに見せるようにズボンの裾を捲りあげ、左足首に出来た紋様を出した。
「これが、『契約』の証なんだろ?剣くんは赤いちょうちょと契約していて、紋様もちょうちょ。でもオレが契約したのはピサンリって子どもで、紋様は・・・蒲公英か?これ。
大和さん、剣くんにあなたも『契約者』だって聞いたけど。これ、どういう事か説明してもらえますか?」
有無を言わせぬ表情を向けられ、大和は一呼吸置き、右手の白い手袋を外し、袖を捲り上げた。その右手には、這うような木の枝と、咲き乱れる花が刻まれていた。
「その花は・・・桜?」
「うん。そうだね、カノちゃん。たぶん桜だと思う。僕も、キムっちみたいに夢現の中で『契約』したから、ハッキリ覚えていないんだ。そして、この紋様が刻まれてからは一度も・・・その主の声を、聴いていない。僕の中で眠っているのか、消滅したのか、それさえも、わからない。」
剣と玲一は見たことのない、切なげで苦しげな表情で。ただ、愛おしそうにその桜の紋様を見つめる大和の姿に口を開けずにいると、虎路がその沈黙を破る。
「ピサンリは、風を司る『門番』の『鍵の子』ですね。」
「あ、そうだ、確か『鍵の子』って言っていたよ。」
「風を司る『門番』?」
聞き慣れぬ言葉に剣が反応する。
「メーアがいれば・・・もっと詳しい事もわかるでしょうし、説明できるのでしょうが。今現在お話しできる、我々が掌握している内容とすれば。『華園』に八つの門があり、それは《原理の四素》と《物理の四素》を現わしています。
《原理の四素》は、『空』、『環』、『生』、『死』。《物理の四素》は世界の『土』、『水』、『火』、『風』。それぞれを司る門が対となり、『華園』と『地球』を結ぶ『通路』を閉じている。門が開き、『通路』が開通すれば二つの世界がどうなるか・・・それは誰にもわかりません。恐らくは、そのどちらも消滅するのではないかと、私は考えています。」
「なのに、『半獣落ち』はその門を開こうとしている。それが、帰巣本能に従っているだけなのか、怨恨か、ただの破壊衝動か。それがわからない。わからないから、『地球』に現れた彼らを退けるくらいしか、今は手の打ちようがないんだ。
『半獣落ち』の目的にしても、『華園』にしても、『門番』にしてもだ。わからない事だらけで、攻めに転じることが出来ない事のこの歯がゆさ。これが『守護者計画』における僕らの現状だよ。」
虎路から大和へ。さらりと重要事項を打ち明けられ、剣と玲一は視線を合わせる。だから情報の開示、その量、いきなりすぎるの止めて貰えませんかねー・・・という心情はアイコンタクトで充分お互いに伝わったようだ。
「さきほどの木村様の疑問について、仮定ではありますが説明させていただきますと。『門番』とは、それぞれの象徴を司る門と、その鍵を兼ね備えるもの。そして『鍵の子』となるのが、選ばれし子。木村様が会ったピサンリは、『鍵の子』の、元の姿を見せたものかと思います。
そもそもが『華園』の存在ですから、異界である『地球』でその存在を保つため、こちらの生態にその身を宿していると思われます。鹿蔵様の『門番』は、蝶にその身を宿したまま『契約』し、大和の『門番』は、桜にその身を宿したものかと推察いたします。この二つの『門番』については、その名もわかりませんので・・・正直何の象徴を司る門かは特定が困難です。」
「と、現状我々から解説できるのはこれくらいか。カノちゃんもキムっちも、恐らく納得いかない事がごまんとあるだろうけど。開示できる情報の確証を、我々も持ち合わせていない。それに、既に脳内が飽和状態だろうし。」
大和の指摘が正確になされ、解明したいこと、言及したいことは多々あったものの。実際現状持ちうる情報を開示されたものと、二人は判断せざるを得なかった。事実、この数か月で脳内パンク状態である。既に更なる情報をまともに解析できる状態ではないため、それ以上踏み込むことは出来なかった。
「あぁ、そうそう。カノちゃんに、面会の申し込みがあったんだよ。勝手に承諾しちゃったんだけど、いいよね。トラ、確かもうすぐ約束の時間だから、迎えに行ってくれないか?」
大和はそう言い残し、本業へ戻っていった。面会の申し込み、に全く心当たりのないまま、剣は応接室へ向かった。玲一は暇を持て余したくないと、迎えに行った虎路の代わりとして意気揚々とお茶の準備をしている。
報告会は朝六時半に始まり、気付けば二時間以上経っていた。またも情報の飽和状態で、誰かテキストにまとめてはくれないかと、応接室のソファにもたれて剣は考える。
誰かの役に立ちたい、誰かを喜ばせたい。剣にとってのヒーローとは、その願いを叶えるものであったが、実際今自分が立っている場所を思うと、その危うさに眩暈を覚える。
(命のやり取りになる、その覚悟をしていたつもりだったが・・・想像以上のスケールの大きさに、さすがに不安にも弱気にもなるな。)
子どもの頃に夢中だった液晶画面の向こう側は、“造られた世界”であった。こちら側は深く考えずに、しかし共感したり、考察したり、感動したり、様々にそれを楽しむことができる。だが、ここには画面は存在しない。造られた世界でも、造られた話でもない。今、己の身が存在するこの世界に置いて、実際に起きている現実なのだ。
現実には、多くの人間、多くの命が存在しており、それがこの背に守るべきものとして存在している。しかし、その守るべき存在は、自分たちに襲い掛かる恐怖など知りもせず、日常を過ごしている。その日常を、日常として守るために、動く。
正義の味方、ヒーロー、勇者。色々な呼び名があるだろう。だが、人知れず、人の為、世の為に戦うという事、その孤独感。自分はガーディナーの一員で、仲間がいる。大和のおかげで生活を気にすることもなく、虎路のおかげで深く考えることもなく、玲一のおかげで日常感を忘れずにいられる。
誰かに認められたい?誰かに褒められたい?そういうつもりでないにしろ、完全にそうとも言い切れないだろう。人である以上、承認欲求は何処かに存在している。
頭が、グルグル回る。考えるのは、昔から苦手だった。じいさんに教わった武道や料理は、すぐに身体に馴染んだ。深く考え込まずにいられるから好きだった。自分が、考えて行動すると、物事は必ず悪い方向へ転がった。いつからか、深く考える事、自分と向き合う事を放棄していたのかもしれない。
トントントン、と扉をノックする音で、ぼんやりとした意識が覚醒する。剣はソファから立ち上がり、どうぞと一声かける。カチャ、とノブが回り。入室してきた虎路の後ろから、見覚えはあれど時が経ちすぎて、面影を追うのに数秒要した、顔つきにまだ幼さが残る青年が現れた。
「鹿蔵様、遅くなり申し訳ございません。小野原恵様をお連れ致しました。」
虎路の紹介を受け、小野原恵は剣の前へ歩み出る。動揺を隠せない剣に、彼は冷たい声と表情で話しかけた。
「久しぶり、兄さん。」




