12.王子救出劇 その1
フレイはナセの手を引いて、できるだけ速く歩いていた。本当は走りたいところだが、夜の山道は危険だ。怪我をすれば、却って迎えに来ている者達に迷惑をかけるだろう。そろそろ約束の場所だった。川沿いにある大きな二つ岩の前。遠目から観る限りでは、誰の姿も見えない。ただし、それは既に暗くなっている所為かもしれなかったし、身を隠しているからかもしれなかった。
やがて、フレイとナセはその場に辿り着く。ナセは不安そうに辺りを見回す。
「誰もいないよ。帰ろうよ、フレイ」
と、そう言った。フレイはそれに何かを言いかけたが、その前に誰かの声が上がった。
「やれやれ、やっと来たか、王子様達。待ちくたびれたぜ」
岩の影から男が一人。頭は禿げていた。野卑な印象を受ける。その男がフレイ達に向かって進み始めると、それに続いて明らかに堅気ではない風貌の男達が、岩の影からゾロゾロと出て来た。刺青をしている大男、不自然に太った男、不快な笑みを浮かべた痩せた男。フレイはそれに戸惑う。自分が想像をしていたタイプの人間達ではなかったからだ。怯えながら、口を開いた。
「あなた達が、セルフリッジの使いですか?」
すると、太った男が言った。
「セルフリッジ? そうそう、そいつの使いだよ、俺達は」
ふざけた喋り方だった。とてもそうは思えない。しかもその訛りはタンゲア帝国のものだった。セルフリッジは、ガラの悪い連中と付き合いはなかったはずだ。フレイは後退りしながらこう尋ねる。
「ならば、セルフリッジから何と言われて来たのかを教えてください。彼はどんな風貌で、どんな喋り方をしますか?」
それを聞くと、痩せた男は肩を竦めた。
「オイオイ。怯えちゃってるよ、王子様。やっぱり、女を連れて来た方が良かったんじゃないのか?」
すると、太った男がこう返す。
「馬鹿言うな。女を連れて来たら、お前が襲っちまうだろうが」
「違げぇネェ」
痩せた男は下品に笑った。
それを聞いてフレイは思う。絶対に、こいつらはセルフリッジの仲間ではない。
「騙したのですね? あなた達はセルフリッジの仲間などではない。グローが、ここに攻め込んで来るという話も嘘なんだ」
そう言って彼は逃げようとした。しかし、そこで太った男が声をかける。
「待てよ。確かに俺達は、セルフリッジの仲間じゃない。だが、全てが全て嘘だって訳でもないぜ。シロアキが何を言ったかは知らないが、グローってマカレトシア王国の大臣がここに攻め込もうとしているって話は本当だよ。
お前がランカ山賊団の許にいれば、討伐隊がやって来てランカ山賊団の連中は、皆殺しにされるぜ。当然、お前もな」
それを聞くと、フレイは「シロアキとは誰です?」とそう尋ねた。そして、同時にナセの様子を確認する。ナセはすっかり怯えて、足を震わせていた。ただでさえ、ナセの足は遅い。これでは連れて逃げるのは無理そうだった。
「おっと、シロアキは、ここではシーって偽名を使っているんだったかな」
そう太った男は返す。
“やはり”
と、それを聞いてフレイは思う。シーは自分達を騙していたのだ。フレイはそれからこう尋ねた。
「ぼくらを捕まえて、どうするつもりですか?」
するとやはり太った男がこう言う。
「なに、丁重に扱うぜ。何しろ、お前達は王子で、最高の取引材料だからな。大臣のグローと交渉して、お前らを売るんだよ。向こうはお前らを殺すつもりだろうが安心しろ、必ずグローに渡すかどうかは分からん。交渉が決裂したら、お前らの側近達に話を持ちかけるつもりでいる。つまり、運が良ければ助かるんだよ、お前らは」
ただし、その可能性はかなり低そうだったが。グローは王子達の暗殺の為なら、かなりの大金を支払うだろう。しかし、まだ幼いフレイにそこまでを見抜く力はない。
「分かりました。あなた達に従います」
それでそう応えてしまった。
オリバー・セルフリッジなら、そういった謀は巧みだ。彼なら上手く救い出してくれるかもしれない。
そうフレイは考えてもいた。甘い考えだった。もっとも、ナセを連れて逃げるのが難しい事を考えるのなら、選択の余地は初めからなかったのだが。
それから、フレイとナセは彼らに捕まると、手足を縛られ刺青をした大男に乱暴に抱えられた。とても痛かったが、二人とも我慢をした。
ランカ山賊団のアジト。
その裏手。
ランカの脇腹から血が流れている。彼女は目を大きく見開き、シロアキを見つめていた。シロアキはその視線に怯える。罪悪感。そして、この女に嫌われてしまったのではないかという恐怖感。認めたくはなかったが、はっきりそれをシロアキは感じていた。ランカが言う。
「シー。お前が、ナセとフレイを何処かにやったんだね?」
ランカはナイフを刺したシロアキの手を強く握り締めていた。抜けもしないし、突く事もできない。いや、そもそもシロアキはもう突こうとはしていなかったのだが。
血が、ランカの腹から漏れ出た血が、シロアキの手を伝って地面に落ちていた。
シロアキは黙ったまま、ゆっくりと頷く。彼は自分がそれを認めてしまった事に、動揺していた。やはり怯えている。ランカは言った。
「お願いだよ。あの二人が何処に行ったのか、教えておくれ。お前が本当はいい子だって、わたしには分かっているんだよ」
それを聞いてシロアキは「ハハッ」と笑った。ただし、明らかに強がった笑いだった。
「“いい子”だって? 残念だな、ランカ・ライカ。ボクは本当は子供ですらないよ。外見が子供なだけで、中身はちゃんと大人だ」
それを聞いた途端、ランカはシロアキの手を放して、彼の事を強く抱きしめた。ゆっくりと首を横に振りながら言う。
「いいや、違うね、シー。お前は外見だけじゃなく、中身も子供だよ。わたしに見抜けないとでも思っていたのかい?
……お前の、本当の名前を教えておくれ」
シロアキはそれに一言だけ、「シロアキ」とそう答えた。答えてしまった。絶対に言ってはならないのに。どうしてなのかは、自分にも分からなかった。
「うん。シロアキ…… お前は、ここに来てから、ずっと苦しんでいたね。わたしはそれを分かったから、なんとか助けてあげたいと思っていたんだ。随分と楽になってきたみたいだったから、もう大丈夫かと思っていたんだが、どうも充分じゃなかったみたいだね」
そう語りかけてくるランカに、シロアキは「違う」と、そう答えた。
「ボクはお前を騙していただけだ。お前に癒されてなんかいない」
そう答えながらシロアキは思っていた。どうしてこの女は、矮躯童人である自分なんかをここまで気遣うのだ?
ランカが言った。
「なら、どうしてお前は、わたしの腹なんかを刺したんだい? しかも、こんなに弱く。邪魔な相手を排除するのだったら、殺す方が手っ取り早いだろう。喉元だとかの急所をもっと強く刺せば良かったはずだ」
それを聞いて、シロアキは言いよどむ。確かに刺す刹那、彼は“隙をつくるだけで良い。強く刺す必要はない”と躊躇したような気がしていた。
ランカの生温かい血が、彼の腕を伝って彼の身体を温めていた。優しい眼差しで、ランカは言った。
「お願いだ。ナセとフレイの居場所を教えておくれ。わたしはあの子達が、心配で堪らないんだよ」
哀しそうにそう訴えかけるランカの姿に、シロアキは幼い頃に、自分が拒絶したあの女性の姿を重ねていた。あの時、彼女もとても哀しそうな顔をしていた。シロアキは思う。今なら、あの女にも優しく接する事ができるような気がする。
「マカレトシア王国方面。川沿いにある二つ岩に向かったはずだ。計画通りなら、そこでボクの仲間に拉致られている。そこから先は、どう行ったかは分からないが、マカレトシア王国を目指している事だけは確かだ」
気付くと、何故かシロアキはそう喋っていた。そのタイミングだった。
「母さん! シー! そこで何をやっているんだ?」
ナイアマンの声が聞こえた。彼はシロアキの持っていたナイフがランカの腹に刺さっているのを見て、大いに慌てた。
「母さん! 腹から血が出ている。大丈夫か? シー! お前ぇ!」
明らかにナイアマンは激怒していた。シロアキに殴りかかりそうな勢いだ。しかし、それをランカが止める。
「止めな、ナイアマン!」
それから彼女はナイフを引き抜くと、こう叫ぶ。
「ナセとフレイは、マカレトシア王国方面、川沿いの二つ岩の方角にいる! 悪人共にさらわれた。さっさと助けに行くよ!」
そしてそれから彼女は駆け出した。ナイアマンはそんな彼女の行動に慌てる。
「ちょっと待って! 母さん! 腹から血が出てるって!」
「騒ぐな! こんなもんは、掠り傷だよ!」
それからナイアマンは、シロアキを縛るように他のメンバーに指示を出した。走りながらそれを聞いていたランカが叫ぶ。
「その子に乱暴をするんじゃないよ! 拷問なんてもっての外だからね!」
その直ぐ後で、ナイアマンがランカの後を追って走って来た。彼はこう大声で尋ねる。
「母さん! さっきの情報は、どこから?」
「シロアキ…… シーからだよ」
「それを信じるの?」
「信じる!」
すると、アジトの屋根の上から声が聞こえて来た。
「なるほど。じゃ、そっち方面で、捜索を開始するね。空から!」
見るとグライダーがある。そこにいる人影は、当然、ライドだった。それを見て、ランカは慌てる。
「ちょっと待ちなさい! ライド! まさか、お前、こんな夜中にグライダーを使おうっていうのかい?! 止めな、危なすぎるよ」
ライドはそれに、こう応える。
「そんな事を言っている場合じゃないでしょう、母さん?」
そして、それから彼女は思いっ切りアジトの屋根を駆けて勢いをつけると、「ライド、いっきまーす!」と叫び、そのまま屋根を蹴ってグライダーで空に向かって飛び出してしまったのだった。
そのやり取りをアジトの傍らで見ていたヌーカが言う。
「ライドのやつ、絶対に夜の空をグライダーで飛んでみたかったんだぜ」
ハットがそれに頷いた。
「ああ、フレイ達を捜索をするってな良い言い訳ができたと思って、いつでも飛び出せるようにスタンバってやがったな」
夜の空に飛び出したライドは思っていた。
“くはぁ! 夜の空も気持ち良いぃぃ! 一度、飛んでみたかったんだよねぇ”
ランカはそれを見て、頭を抱えた。
「ああ、もう、あの子ったら!」
それから直ぐに彼女は自分の部屋に行って金棒を持って来ると、飛んでいるライドを目印に夜の山を駆け始めた。
夜の空。山々の合間。
ライドは自分の目の前に広がる風景に目を奪われていた。気の所為か、月がいつもよりも随分と大きく見える。辺り一面が星々の輝きで満ちていて、まるで宇宙空間を飛んでいるみたいに思える。風がいつもよりも冷たかった。冷気が体温を激しく奪う。しかし、その感覚すらも心地良かった。純粋になれる気がする。
「今晩が晴れていて、本当に良かった。綺麗過ぎる」
感動で目にいっぱい涙を浮かべながら、ライドはそう呟いた。長い間、夜の空をずっと飛んでみたかったのだ。不謹慎にも彼女は、ナセとフレイがさらわれた事に少しばかり感謝をしていた。こんな事件でも起きなければ、夜の空を飛ぶ機会なんてなかったかもしれない。もちろん、強行する事もできるが、もしそれをやれば、ランカ・ライカが激怒するだろう。もっとも、それはどちらにしろ同じなのかもしれないのだが。
夜の空は、昼とは違って真っ暗で地面が見えない。だから、顔を下に向けると底のない闇の海の上を滑空しているようにライドには感じられた。それから視線をまた空に向けると、輝いた星々の世界が自分を受け入れてくれる。
「はぁ、堪らない……」
いつしかライドは恍惚とした表情を浮かべていた。
ところが、そこで視界の隅、底のないはずの闇の海に何か光る物を彼女は発見してしまったのだった。それで彼女は我に返る。
“いけない。ナセ達を見つけなくちゃいけないんだった”
後少しで、彼女はそれを忘れるところだった。彼女にはナセ達を見つけられる自信があった。夜の山道を速く安全に移動したいと思ったなら、絶対に灯りは必要だ。ナセ達をさらった連中が、仮に山の素人だとするのなら尚更そう。上空からなら、その灯りは簡単に見つけられるはずだった。
そして、案の定、その灯りは簡単に見つけられたのだ。先に視界の隅に映った光が、どうやらナセ達をさらった連中らしい。光の進み方が、山道を降るそれだったのだ。比較的降り易い道を連中は選んでいる。山に慣れていないのなら、当然そうするだろう。
ライドはにやっと笑うと、スピードを上げて、連中がいる辺りを旋回した。更にランプを点け、その光を誘拐犯達に向けて位置を伝える。これでナセ達を発見するという自分の役割は果たす事ができた。後は夜の空を存分に楽しむだけだ。そう彼女は思っていた。
が、
ライドは目を丸くした。旋回している最中に目に入った信じられない光景に反応をしたのだ。それはマカレトシア王国へと続く平野での異変だった。
「大変だ! 早く母さん達に伝えないと」
それを見て、そう彼女は独り言を言った。ところが、その瞬間だった。ドンッという音が響く。そして猛スピードで何かが近づいて来る気配を感じたと思ったら、次の瞬間には、彼女のグライダーの左の翼は打ち破られていたのだった。
大きな穴が開いている。
「ゲッ! 連中、火砲なんて持って来ているの?!」
空からの監視を嫌がった誘拐犯達が、火砲をライドのグライダーに向けて放ったのだ。左翼を破られ、バランスを崩したライドはよろめきながら夜の闇に向かって落ちていった。もちろん、いくら真っ暗でもそこにはちゃんと底がある。ライドはなんとか無事に着地できるよう、必死になってグライダーを操った。
「――よしっ! 当たったぜ!」
暗黒街の悪人達…… 誘拐犯の一人が、そう言ってガッツポーズを取る。グライダーは、少し進んだ辺りの木の上に落ちたようだった。乗っていた奴は無事かもしれないが、気にする必要はないだろう。どうせ、何もできない。太った男がこう言う。
「当たったは良いが、こっちの位置はもうばれてる。さっさと行かないと、ランカ山賊団がやって来るぞ」
それを聞いて、痩せた男がこう尋ねた。
「山賊団たって、かなり若い奴らだって聞いたぞ? ビビる必要があるのか?」
太った男がそれにこう返す。
「若くても戦闘慣れしているんだよ。なんでも山賊同士の縄張り争いでもずっと勝って来たらしいぞ。特に、女ボスのランカ・ライカは化け物並みに強いって話だ。追って来たら、基本は銃で相手しろ。接近戦では、まず勝てない」
痩せた男はそれに半信半疑といった様子だった。禿げた男が、嬉しそうに笑う。彼は争い事が好きなのだ。銃を使えるというだけで、昂っている。誘拐犯達の中で、数少ない真面目な表情をした傭兵のような男が、持っていたグレイブを握りしめた。自分が戦う可能性を考えて、気を引き締めているのかもしれない。隣では大きな剣を持った男が首と肩を回している。“こうこなくちゃ面白くない”とでも言いたけだ。
その時、その彼らの直ぐ傍にまで、既にランカ・ライカは迫っていた。
“ああ、ライドが落とされちまったよ。あの子、無事だろうね! 頼むよ”
ライドのグライダーが撃ち落されたのを見て、ランカ・ライカは心の中でそう呟いた。これ以上、心配事を増やさないでくれ、と思っていたが、ライドのグライダーを操縦する腕を知っている彼女は、実はそれほど心配してはいなかった。きっと上手く着地しているだろう。もっとも、怪我くらいはしているかもしれないが。
“後で説教だよ! まったく!”
ただし、ライドのお蔭で分かった事もある。ナセとフレイを誘拐した連中は、強力な銃火器を装備している。どうやら真っ直ぐ進むのではなく、障害物の多い所から回り込んで攻めた方が良さそうだ。
ランカ・ライカの走る速度は、他の山賊団のメンバーよりもかなり速い。まだ、他のメンバーは彼女にまったく追い付いていなかった。つまり、仲間からの飛び道具などの支援は期待できない。彼女は木々が生い茂った場所に入ると、そこから誘拐犯の一団を目指した。
彼女は夜目が利く。木々の合間を抜けながら、月明かりの下の誘拐犯達を捉えた。どうやら、まだランカには気が付いていないらしい。彼女は目を剥くと、誘拐犯達を目指して突進した。
“フレイ、ナセ、待ってなよ。今、お母さんが助けてやるからね!”
そう思うと、彼女は目の前に迫った一人、月明かりの下で無防備にしている痩せた男に狙いを定めた。腰に厄介な火砲を装備していたからだ。襲いかかる。




