11.王子誘拐
朝食が終わると、シロアキは散歩に出掛ける振りをして、アジトの裏手の人気のない森に入っていった。そして、そこで小鳥を一匹見つけると、掌を空に向け「来い」とそう小さく声を上げる。
すると小鳥は直ぐに飛んできて、彼の掌の上に乗る。その小鳥に彼は手を翳して小声で何事かを口にすると、「行け!」と言って、空に放った。
その小鳥はそのまま木々の合間を抜けて、大空へ消えていく。
“これで、よし”
あの小鳥は山の近くで待機しているシロアキの仲間の暗黒街の連中に、王子達が行く事を伝えるはずだった。
来ているメンバーは十数名程。本当はもっと集められたが、それ以上数を増やすと、山賊団に見つかってしまうだろうと考えてそれだけに抑えたのだ。夕刻を過ぎて暗くなってきたら、彼らは山に登って、約束の場所で王子達を待つ手筈になっていた。フレイには既にその場所を伝えてあった。後は隙を作って、フレイ達をそこに向かわせるだけだ。
夕食の後、シロアキはネズミを二匹捕まえて来ると、ナセとフレイに何かを話すように言った。
不思議そうにしつつも、二人がそれに従うと、驚いた事に、ネズミがその声をそのままコピーし発するようになった。しかも、ネズミは二人の幻までも身に纏い始めたのだった。その後でシロアキは言った。
「この二匹を身代わりに、この部屋に放っておきます。二人は、その間でこのアジトを抜け出して、約束の場所にまで行ってください」
フレイはその言葉に頷く。ナセは戸惑っていたが、フレイが促すと頷いた。
それから二人は、見つからないように気を付けてアジトを抜け出した。既に暗くなっている森を進む。アジトの灯りが、後方に徐々に離れて小さくなって行く。その光景に、ナセは心細さを感じた。皆と離れたくない。お母さんと離れたくない。そう思う。そしてそこでナセは、ランカに勝手にアジトから遠く離れてはいけないと言われていた事を思い出したのだった。
「ねぇ、フレイ。やっぱり戻ろうよ。勝手に離れないって約束したじゃない。それに、お母さん達が心配するよ」
実はナセは今の事態をよく把握してはいなかった。少し経てば、またランカ山賊団に戻って来られるとそう思っていたのだ。
それにフレイは首を横に振る。
「駄目だ、ナセ。教えただろう? ぼくらがここいると、お母さん達に迷惑がかかるんだ。お母さん達が殺されてしまってもいいって言うのか?」
それを聞くとナセは何も返せなくなった。しばらく後に「分かった」と、そう頷く。足取りは重かったが、それでも彼は前へ進んでいた。フレイが言った。
「急ごう。迎えに来ている人達を待たせてしまうし、早くここから離れないと、グローの討伐隊が攻め込んで来てしまうから」
フレイはナセの手を握ると、覚悟を決めた表情で足を前へと力強く進めた。ただでさえ、自分は今、王子である責任を果たしていないのに、その自分の所為で、ランカ達が傷つくなど絶対にあってはならない。そう彼は思っているのだ。
ただ、暗い森を進みながら、フレイはランカの言葉を思い出してもいた。
――子供は、子供らしく大人に甘えるんだよ。
――子供が、大人に迷惑をかけるのは当たり前だから、気にするんじゃない。
――子供が、大人の事情なんか考えるな。
思い出しながら、フレイは自分が嬉しくて泣きそうになっている事に気が付いた。彼にそんな言葉をかけてくれた大人は、今までに一人もいなかった。王子らしくしろ。王子である自覚を持て。王になる人間の尊厳を持て。そんな事ばかりをフレイは言われ続けて育って来たのだ。
本当はずっと誰かに甘えたかったのに。
しかし、だからこそ、フレイはランカにだけは迷惑をかけたくなかった。彼女が自分の所為で傷つくなんて、死ぬより嫌だ。
「お母さん。ごめんなさい。でも、絶対にぼくがお母さん達を護るから」
そうフレイは小さく呟いた。
ナイアマンはその時、部屋で書き物をやっていた。これは毎晩の彼の日課で、この山の中にあっても、彼は学問をほぼ独学で学んでおり、諸国の事情もできる限り知ろうとしていたのだ。
やがて、窓を叩く者がいる事にナイアマンは気が付いた。コツンコツンという小さな音。小鳥か何かだろうと思って目を向けて彼は驚いてしまった。窓の外にあのオリバー・セルフリッジと一緒にいた魔女、アンナ・アンリの姿があったからだ。しかも、サイズがとても小さい。掌に乗るサイズだ。
頭が一瞬、混乱しかけたが、彼女の魔法であるだろうことを悟ると、ナイアマンは窓を開けて「どうしたのですか?」と、そう問いかけた。
すると、その小さなアンナはこう言う。
「警告をしに来ました」
それからパタタと、羽根を羽ばたかせる音。一瞬だけ、アンナの姿がぶれて、羽ばたかせた羽根も見えたような気がした。どうやら、このアンナの姿は幻術か何かで作り上げられた幻で、本当にそこにいるのは、小鳥のようだ。
「警告?」
「はい。セルフリッジさんの指示です。心配ですから、このアジトにいる限り、二人の王子の存在を常に魔法で感知できるようにわたし達はしていたのですが」
それを聞くとナイアマンはこう皮肉を言った。
「それはそれは、随分と信用されたものですね。しかも、内緒でなんて」
「王子達の身の安全の為です。どうか、お許しください。それに、どうせあなたは、それくらいは、わたし達がやっていると分かっていたはずです」
それにナイアマンは「確かに」と、そう応えてからこう続けた。
「それは、セルフリッジさんが言ったのですかね?」
「はい。どうやら、あなたはあの人から信頼されているようですよ」
それにナイアマンは軽くため息を漏らした。
「嬉しいような、嬉しくないようなって感じですね。あの人から信頼をされると、却って厄介そうだ」
それにアンナは「同意します」と、そう返してから笑った。その笑顔が嬉しくて、ついナイアマンはこう言ってしまう。本来なら、さっさと用件を聞き出すべきなのだが。
「警告って、どうして母さんの所へは行かなかったのですか?」
悪戯っぽく微笑むと、アンナはそれにこう返す。
「あなたと話しをすると、セルフリッジさんが嫉妬をするので面白いのですよ」
「あの人が嫉妬? そりゃ見てみたいな」
そう返しながらもナイアマンは、やんわりと期待するなと言われたような気がして、実は少しだけショックを受けていた。それから気を取り直すとこう尋ねる。
「それで、僕らへの警告とは?」
「はい。先ほど、王子達の気配がこのアジトの中から消えました。昼間なら分かりますが、夜中となると心配です。どうか、確認をよろしくお願いします」
それにナイアマンは頷く。
「分かりました。早速、見て来ましょう」
そしてそう言うと立ち上がった。すると、そのタイミングで、アンナが話しかけてくる。
「少しお待ちを」
「何でしょう?」
「分かっているかもしれませんが、セルフリッジさんには、自分の策を仲間にすら伝えないという嫌なクセがあります。それが、策の内容が漏れる可能性を恐れてなのかどうかは分かりませんが、伝える必要がない場合は、まず伝えない。ただ、あの人の場合、それは逆に相手の事を信頼しているという裏返しでもあるように思うのです。
だから、どうか、あの人の事を信頼してあげてください」
それを聞いてナイアマンは“おやおや”と思う。なんだか、当てられたような気がしたのだ。
「分かりました。簡単には、疑わないよう努力しますよ」
そうナイアマンが返すと、薄らとアンナは微笑みを浮かべ、それからスッと消えていってしまった。後には一羽の小鳥の姿が残る。その小鳥も、少し首を傾げるような動作をした後で、直ぐに飛び去ってしまった。小鳥が去るのを見送ると、彼は彼女から言われた通り、ナセとフレイがちゃんといるかを確認しに行った。
確認をしに行く途中で、二人とよく一緒にいるハットに会ったので、ナイアマンは「ナセとフレイを見なかったか」と尋ねた。するとハットは「いつも通り、母さんの部屋にいたみたいだよ。駄弁ってたな」と返して来た。
それを聞いてナイアマンは、大丈夫そうだと思ったが、一応、ランカの部屋を確認しに行った。するとやはり話し声が。ドアを開けて少し覗いてみても、問題なく彼らはそこいた。それで安心をしかけたのだが、少しばかりの違和感もナイアマンは覚えた。
さっき小さなアンナを見たのと、同じ様なものを見ている気がしたのだ。先ほど見た彼女の姿は、魔法によって作り出された幻。ならば、今のこの二人だって。
ナイアマンはそれからドアを開けるとこう話しかけた。
「ナセにフレイ、何か、変わった事はないかい?」
ところが、それに二人は何も反応をしない。そのまま同じ様な事をずっと話している。驚いたナイアマンは部屋の中に入って行って、二人に触ろうとしたのだが、そこで二人は煙のように掻き消えてしまった。そして、二人がいた位置には、二匹の小さなネズミが。
「やられた! 二人が誘拐されたぞ!」
それを見てナイアマンは、そう叫んだ。それから静かだった夜の山賊団のアジトは、一気に騒がしくなったのだった。ナセとフレイの二人を捜し出す為に、ほぼ全員が駆り出された。当然、それを聞いたランカは大慌てで、アジト内を捜し回った。しかし、彼らは何処にもいない。もっとも彼女が捜していたのは、二人だけではなかったのだが。
シロアキはアジトの裏手にいた。ナイアマンがランカの部屋に入って来た時、彼はその光景を部屋の窓の外から見ていた。そこから彼は幻を作る魔法を維持していたのだが。ナイアマンに二人が幻だとばれると、彼は早々に魔法を打ち切ってその場を離れた。
“思ったよりも、早く見つかっちまったな。まぁ、充分に時間は稼いだだろう”
そしてその後で、アジトの裏手に回ったのだ。今、ランカ山賊団は、王子達が消えた事で混乱している。その混乱に乗じて、そこからこの山を抜け出そうと彼は考えていた。このままいれば、自分が疑われるのはまず間違いない。見つかる前に逃げなければ。
ところが。
「シー! こんな所にいたのかい!」
アジトを離れようとしたところで、そう声がかかったのだ。声の主はランカ・ライカだった。
“まずい”
と、シロアキは思う。見つかってしまった。しかし、それからランカは予想外の行動に出るのだった。彼女は彼に駆け寄って来ると、そのまま彼を抱きしめたのだ。シロアキは目を丸くする。
「良かったよ。わたしゃ、お前までいなくなっちまったらどうしようかと思っていたんだ」
――なんだって?
そのランカの言葉にシロアキの頭は軽く混乱をした。
“こいつは、疑うって事を知らないのか? いや、仮に疑わないにしても、いなくなっているのは王子達だぞ? 何処の誰とも分からない、ボクみたいなガキを平等に扱うなよ。ボクは矮躯童人だ。本当の子供ですらないってのに”
それからランカは、シロアキの腕を掴むと「さぁ、お前はこっちに来るんだ。わたしの部屋で大人しくしているんだよ」と、そう言った。
それを聞いてシロアキは“冗談じゃない”とそう思う。このランカ・ライカは恐らく自分を疑いはしないだろうが、他の連中は別だ。このチャンスを逃したら、もうこの山賊団から逃げられないかもしれない。
シロアキはそっとポケットの中に忍ばせていたナイフを握りしめた。そして、こう思う。
“こいつでこの女を刺して、その隙に逃げてやる”
「シー、何をやっているんだい? さっさと来るんだよ」
動揺しているだろうランカは、その所為かいつもよりも強くシロアキの手を引いた。その瞬間、シロアキはナイフを取り出すとランカの腹めがけてそれを刺した。
ズクッ
シロアキの手には粘土に刺し込むような感触があり、血が、滴り落ちて来た。




