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10.自分じゃなくなる

 朝、目が覚めた時、シロアキは自分が泣いている事に気が付いた。妙にスッキリした感覚がある。やがて我に返り、慌てて涙を拭う。誰かに見られていないかと周囲を見渡して、ランカ・ライカがそこにいる事に気が付いた。しかも先に起きていた彼女は、寝ている自分が泣いているのを見たはずだから、誤魔化しても意味がない。そんなシロアキの心情を敏感に察したのか、彼女は少し笑うと、「大丈夫、誰にも言いやしないよ」とそう言った。シロアキはそれを聞いてわずかばかりの悔しさを感じはしたが、悔しさを感じる事自体が、負けであるかのように思えて何も言わなかった。

 それからランカは「わたしは朝食の準備があるから行くよ」と言って部屋を出て行ってしまった。

 部屋の中では、ナセとフレイがまだ寝ていた。スヤスヤと気持ち良さそうにしている。これで二人が本当に王子なのだとすれば、随分と不用心だと彼は思う。

 今日はシロアキも仕事を手伝う事になっていた。この二人と一緒に作業をするらしい。その間で、二人が王子かどうか確かめるしかない。そう彼は思っていた。

 川。

 「魚釣りは初めてだった?」

 そうハットという少年が訊いて来た。それにシロアキは「いえ、初めてではないですが、随分と久しぶりで」とそう返す。そう言い終えた後で、彼は記憶喪失になっているという嘘の自分の設定を思い出し少し慌てたが、幸い誰も気にしなかった。

 彼らはそこで釣りをしていたのだ。

 朝食を食べ終えてから、シロアキはナセとフレイとそれとヌーカとハットという山賊団の少年達に混ざって魚釣りに出かけた。山を下って、川幅が広くなっている辺りまで来ると、そこで皆は釣り糸を垂れた。シロアキは釣り針に餌をつけるのも中々上手くいかなかったし、まだ釣る事もできていなかった。他の者達は既に皆釣れているというのに。

 「ぼくなんか、もう三匹も釣ったよ」

 そう言ったのはナセ。それを聞いて、シロアキは“煩い、こっちは街育ちなんだよ”とそう心の中で文句を言ったが、表情には出さなかった。

 「はっ よく言うぜ、ナセ。初めての時は、釣り餌を見てビビってたくせに」

 そう言ったのはヌーカだった。

 「だって、ビックリしたんだもん。お城では魚釣りなんかさせてくれなかったし」

 と、それにナセは文句を言う。その言葉をシロアキは見逃さなかった。

 “城? 確かに、今、城と言ったよな?”

 もっと聞き出したかったがしかし、その会話は続かない。ハットが慌てたようにこう言ったからだ。

 「ところで、今日の魚釣りって、遊びみたいな仕事だよな。やっぱ、母さんはシーにまだ無理をさせたくないのかな?」

 ヌーカがそれにこう返す。

 「どうかな? 昨日で、種芋も全て植えちまったし、単にやる事がなかっただけじゃないか?」

 そのやり取りをシロアキは怪しいと思う。無理に誤魔化したような気がする。

 もちろん、二人が王子である事について箝口令が出ているから、ハットとヌーカはそれを誤魔化したのだ。このシーという余所者に、それを知られてはならない。

 “これは、強引にでも探りを入れてみる価値がありそうだな。もしかしたら、当人達はガードが甘いのかもしれない”

 シロアキはそう思うと、近くにいたフレイにこう語りかけた。

 「ところで、君達は以前は何処にいたんだい? 山にずっと住んでいたって感じじゃないよね?」

 するとフレイはこう返す。

 「うん。ちょっと街の方に住んでいたんだ。あまりこういう経験はなくってさ。ほら、だからぼくは、まだ一匹しか釣れていない。弟のナセにも負けているよ」

 フレイが自分が王子である事を隠したのは、もちろんナイアマン達から、内緒にするようにと言われている事もあったのだが、それ以上にシーに王子として自分に接して欲しくはなかったからだった。

 彼はランカ山賊団に身を置いてから、王子である重責から解放された喜びを味わっていたのだ。王子である事。それが自分の重荷になっていた事を、彼は初めて自覚した。

 『誰も自分達を王子扱いしない』

 それを喜んでいる自分を発見して、彼はそれを受け入れたのだ。ただ、だからこそ、同時にそれは彼に罪悪感を与えてもいた。王子である責任を放棄して、こんな所でいつまでも遊んでいて良いのだろうか? その為、少しだけ彼は憂鬱でもあったのだ。この魚釣りも芯から楽しめてはいない。

 シロアキはそんなフレイの様子を見て思う。

 “流石に兄貴の方は、迂闊に喋ったりはしそうにないな。だが、こいつの様子は少しばかり変だぞ”

 シロアキは、漠然とこんな事を思っていたのだ。

 ここの連中なら、否、あのランカ・ライカとかいう異常な女なら、例え王子が来ても、普通の子供として扱って不思議じゃない。

 「やったぁ! また、釣れたぁ!」

 釣れた魚に、ナセが無邪気に喜びの声を上げた。

 

 夜中。

 夕食を取り終え、昨晩と同じ様に風呂に入り終えると、シロアキ達はやはりランカと共にベッドに入った。

 今日はナセとフレイがランカの両隣で横になった。シロアキはナセの隣で、ランカとは密着していない。ランカの判断だ。実はそれを少しだけ残念にシロアキは思っていたのだが、気付かない振りをした。

 横になると、ナセは直ぐに眠ってしまったが、昨日とは違って、フレイはまだ起きているようだった。だからなのか、ランカがフレイに語りかけ始めた。

 「フレイ。お前、また、少し無理をしているように思えるよ。子供が大人の事情なんて気にするもんじゃないと教えただろう?」

 彼女はフレイの頭を撫でているようだった。その声にシロアキを聞き耳を立てる。この会話の内容は怪しい。

 「でも、ぼくには責任が……」

 そう言いかけるフレイを、ランカは頭から抱きしめると額に軽くキスをした。

 「責任なんてもんは、大人が勝手に作ったもんだよ。子供のお前が、その犠牲になる事なんてないんだ。少なくとも、ここにいる間はお前は思いっきり大人に甘えな。それがここにいる条件だと言ったはずだよ」

 そのランカの言葉に、フレイは目を瞑ると泣き出しそうな声で「はい」と言った。それから、安心をしたのか、そのしばらく後に寝息を立て始める。

 その二人のやり取りを聞いて、シロアキは疑っていた。やはり、ナセとフレイの二人は王子ではないかと。ただし、ランカ達の会話から、同時に幼い頃の自分を思い出してもいたのだが。彼は考えたくもないのに、こう考えてしまっている。幼い頃、自分は果たして子供らしく大人に甘えていただろうか? 子供っぽいと馬鹿にされる事を恐れて、それを拒絶してはいなかっただろうか?

 やがて、不意にランカの手が伸びて来て、シロアキの頬に触れた。

 「あの……」

 それに驚いたシロアキはそう声を上げた。

 「おっと、起こしちまったかい? シー」

 ランカはそう返す。シロアキは驚いたままこう言った。

 「いえ、起きていました。でも、どうして手を?」

 「お前も少し様子がおかしかったからね。ちょっと心配だったんだよ。子供の心配をするのは、親の性なんだ。だから、多少は煩わしくても許しておくれ。フレイやナセと同じくらい、わたしはお前の事も心配なんだよ」

 その言葉に、不覚にもシロアキは、少しだけ目に涙を溜めてしまった。そして、自分の記憶が塗り替えられるような感覚が。もしかしたら、あの人は自分に平等に接していたのかもしれない。ただただ、自分を心配していただけなのかもしれない。だったら、自分は。だったら……。

 その日もシロアキは昔の夢を見た。ただそれは、嫌な思い出ではなく、幼い自分が自分を世話してくれたあの女性に寄り添って眠る優しい夢だった。

 

 朝起きて、シロアキは自分が再び涙を流している事に気が付いた。昨日と同じ様にランカ・ライカがそれを見ている。彼女は微かに笑うと「おはよう」とただそれだけを言った。どうしてなのか、彼女はとても仕合せそうに見えた。そしてそれを、彼は嬉しく感じてしまったのだった。

 やがて朝食の準備の為に、彼女が部屋を出て行くと、シロアキは頭を抱えた。

 “なんだ、これは?”

 思う。

 “ここにいると、否、あの女と一緒にいると、変だ。自分が自分ではなくなっていく。ボクは、こんなんではなかったはずだ”

 それから彼はこう決断する。

 “もうこれ以上、ここにいる訳にはいかない。どうせ、そろそろ時間もなくなっているはずだ。マカレトシア王国のグローがここに攻め込んで来る前に、王子達を誘拐しなくちゃならないんだから。

 ――賭けに出る。王子達を騙してやる”

 シロアキは二人を騙して、王子である事を聞き出す事に決めたのだ。一歩間違えれば、自分に危険が及ぶ手段だ。利益とのバランスを考えても割に合わない。本来なら、執るべき手段ではないが、自分の変化に動揺していたシロアキは判断力を失っていた。

 二人はまだ眠っている。少し考えると、シロアキはフレイだけを起こす事にした。単に王子である事を聞き出すだけなら、弟の方が良かったかもしれない。しかし、同時に彼は彼らを罠に嵌めるつもりでいた。その為には、兄を籠絡しておいた方がいい。それに、昨晩のランカとフレイの会話で、シロアキはフレイの弱点に気が付いてもいたのだ。

 「フレイ王子。フレイ王子。起きてください」

 シロアキはそう言ってフレイの身体を揺すった。やがてフレイは目を覚ます。「どうしたの?」と言いかけて、気が付く。

 「どうして、ぼくが王子である事を知っているのっ?」

 それを聞いてシロアキは口の端を歪ませて笑う。

 “よっしゃ! かかった! やっぱり、こいつは王子だったんだ”

 慌てて神妙な顔を作ると、シロアキは淡々とこう話す。

 「実はボクはそもそもあなた達に伝言をする為に、このランカ山賊団に潜入をしたのです。オリバー・セルフリッジの名をご存知ですね?」

 もちろん、ここでオリバー・セルフリッジの名を出したのは、この王子を信用させる為だった。ランカ山賊団との繋ぎをやったのは、その男だと予想したからだ。シロアキはその男の顔も知らなかったから、少し怪しまれればボロが出かねない。やはり危険な賭けだった。

 「はい。この山賊団を紹介したのは、そもそも彼です」

 そうフレイが答えるのを聞いて、シロアキはゆっくりと頷く。

 「彼からの言付けです。この山からお逃げください。迎えの者も用意してあります」

 それにフレイは驚く。

 「一体どうして?」

 「マカレトシア王国のグローが、この山に討伐隊を送り込もうとしています。もちろん、山賊討伐を言い訳にしてあなたを殺す為に。その前にあなたは逃げなくてはなりません」

 そのシロアキの説明に、フレイは更に驚いたが同時に疑問も浮かんだ。

 「つまり、ぼくらがここにいる事が、グローにばれてしまったのですね。しかし、どうしてそれをランカさん達に伝えないのですか?」

 シロアキは淀みなくこう答える。

 「ランカ山賊団がそれを知れば、あなた達を守ろうとするでしょう。そうすれば、罪のないこの山賊団の人間達が犠牲になる事になる。それは避けなければなりません。あなた達がここを離れた事をグローが知れば、討伐隊は引き上げるでしょうから、無事に済みます。しかも、ここを離れたからといって、あなた達が直ちに殺される訳ではありません。当然、執るべき選択は、あなた達がここを離れる事です。

 それが王子としてのあなた達の責任です。罪なき人達を護らなくてはならない。しかも、それは恩ある相手です」

 そのシロアキの説明に、フレイは納得をした。“王子としての責任”。このランカ山賊団に馴染み、ここでの生活を楽しみ始めてから、ずっと思い出さなくてはならないのではないかと思っていた言葉。それに、ここにいる皆を傷つけたくはない。

 フレイはゆっくり頷くと「分かりました。どうすれば良いのか、教えてください。シー」とそう返した。

 シロアキはにやりと笑う。

 「では、これからボクの言う事を、よく聞いてください、フレイ王子」

 それに「はい」とフレイはそう応えた。

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