21 破滅の日
* 暴力と人が殺される表現があります。
キリアンは日が暮れるまで街道を歩き、途中の村で一泊しようと粗末な宿屋に向かった。
憲兵は未だ領都内を探していて、周辺の街道には手が回っていなかったので、誰にも見咎められる事無くここまで来られたのだ。セシールを思い出した事に加え、僕はツイてるとキリアンはほくそ笑んだ。
宿屋の亭主は、薄汚れた得体の知れない男を泊めたくはなかったが、その日はほとんど客が来なかった為、仕方なく一番安くて汚い部屋へ案内した。
「もっと良い部屋は無いのか」横柄に言う男を腹立たしく思いながら「ここが一番いい部屋でさぁ」とうそぶき、前金で金を払わせた。
さらに「何か食事は出せるか」と聞かれ「あいにくこの時間では何も」と断ったが、腹を空かせたキリアンに食い下がられて、仕方なく台所に残っていたパンを一つ与えて銅貨を一枚要求した。(銅貨一枚ならパン二個だろう)キリアンは思ったが、腹が減りすぎていたので仕方なく銅貨を支払った。腹を立てながらも部屋に入ってパンを食べ水を飲むと、何カ月ぶりかに身体を動かした疲れで、人を殺めた罪悪感も感じないまま朝までぐっすりと眠った。
次の朝元気を取り戻したキリアンは、ちょうど出発しようとする荷馬車を見つけて、御者に行先を尋ねた。アルカン村の隣村の名を言われ、渋る御者に最後は金を押し付けて、自分を乗せるのを承諾させた。
(やっぱりツイてるな。馬車を降りたら少し歩けばアルカン村に着く)
御者に隣に座ることを断られたキリアンは、ひどく揺れる荷台で荷物の間に寝転がり悠々と眠り始めた。
「おい、着いたぞ」乱暴に揺すられ起きた頃、日は高く昇っていた。
目覚めたキリアンは礼も言わずに「アルカン村はどっちに行けばいい?」と尋ねた。
御者が道を示し、その方向へ歩き出したキリアンの背中を見ながら「嫌な奴だったな」と独り言ちていると、村の農家で働く一人の男が近寄って来た。
「なあ、あの男はあんたの知り合いか?」
「あんな奴、知り合いなんかじゃないよ。領都の帰りに宿に泊まって、今朝出発しようとしたら、無理やり乗り込んできたのさ。身体も臭くて話したくもないから、荷の間に転がしといたんだ」
「ふうん。あいつ、どこに行くって言ってた?」男は怖い目つきで重ねて聞いて来た。
「アルカン村はどっちの方向かって聞いてきたから、アルカン村に行くんじゃないか。…おい、お前大丈夫か。なんだか様子が変だぞ。あの男を知ってるのか」
「そうだな。俺はあいつを知らないとは言えないな」嗤って答えた男は、自分もアルカン村に向かって歩き出した。
セシールは午前中、アンとマギー、ハンナと洗濯場で仕事をし、皆で昼の賄いを食べてから一人で家に帰った。引き続き洗濯場で仕事をするハンナと別れて、午後は頼まれていた最後の刺繍を仕上げる予定だった。
今日は村で過ごす最後の日で、明日は王都から伯爵家の馬車が迎えに来てくれる事になっている。二人の荷物は持って来た私物だけだったので、荷造りは既に終わっていた。
今夜はジャックの家でマリー、アン、マギー、そしてジョージも交えて、セシールとハンナを囲み最後の夕飯を食べる事になっている。
あれからジョージとは、領都に一緒に行っていた時よりも話をする事が増えた。
お互い口数は多くないが、仕事終わりに食事しながら自分の事やマシューの話をしたり、時にはセシールがジョージを家に招き、ハンナと三人でお茶を飲む事もあった。そんな時ハンナはいつの間にか用事を見つけて出て行ってしまい、二人きりになる事が多かったが、ジョージと一緒にいるのは不思議と心地よく苦にならなかった。
セシールはキリアンの流暢な甘い言葉に騙されていたからこそ、自分を良く見せようとしない無骨なジョージの言葉は信用できるように思えていた。
(あの人は、私の人生の幸運と希望を祈っていると言ってくれた)
必死に紡がれたあの時の言葉を思い出すと、胸の中に灯りが宿る。この気持ちが何かはっきりさせるつもりは無かったが、ここを離れる時に寂しく感じるのは間違いなかった。
ハンナが洗濯場からそろそろ戻ってくる頃、セシールは最後の一針を刺し終わった。ホッとして布地を丁寧に畳み箱にしまい、凝った身体を伸ばそうと腕を上げた所で、背後に人の気配を感じ振り返ろうとした。
その瞬間、セシールは後ろから羽交い締めにされ、口を塞がれた。
「セシール。ほんとにこの村に来てたんだね。領都で見かけた時は、髪が短くなってて分からなかったよ」背後から聞き覚えのある声がして、何とか首を回して顔を見ると、侵入者は記憶とは全く違っているがキリアンだと分かった。
キリアンは、セシールが覚えている輝く金髪に青い目の貴公子ではなく、髪は脂で固まってごわついた藁の様で、太って小さくなった目の色は濁っていて、じっとセシールを見ていた。密着している身体からも、口を塞がれた手からも酷い悪臭がして、セシールは吐き気を催した。
そんなセシールの様子には気づかず、キリアンは楽しそうに身体をまさぐってきた。
「会えなくて寂しかっただろう。これからは一緒にいてあげる。…でも、セシールは領都で若い男と一緒にいたね。僕という夫がいるのに浮気はいけないよ。今からよく分からせてやろう」
そう言いながらキリアンが向かう方向にベッドがある事に気づき、セシールは身をよじり、声を上げようとして口を塞ぐ手に嚙みついた。
「痛っ!」声を上げたキリアンが手を離した隙に、セシールは玄関に向かって逃げようとした。しかし足がもつれて力が入らず、床を這いずるようにして進んでいると、後ろから背中を踏みつけられた。
「僕に逆らう気か!」目を血走らせたキリアンが、床に倒れ伏したセシールの髪をつかみ仰向けにすると、馬乗りになって殴りつけた。
「元はと言えば、お前が妊娠なんてするからこうなったんだろう!僕に償え!」
(殺される)セシールが頭を腕でかばい身体を丸めていると、誰かが叫び声をあげながらキリアンを引きはがした。
セシールは誰が来てくれたのか確かめようとしたが、頭を殴られたせいで一瞬意識が飛び、すぐには目を開けられなかった。意識がはっきりしてきて、なんとか顔を上げたセシールが見たのは、肩で息をしながらハンナを突き飛ばすキリアンの姿だった。
ハンナは突き飛ばされた勢いのまま、石で出来た流し台へ頭をぶつけた。ゴンという鈍い音がした後、そのまま床に倒れ動かなくなった。
やっと起き上がったセシールが、声にならない悲鳴を上げながらハンナに駆け寄ろうとすると、気づいたキリアンに腕をつかまれ再びベッドの方へ引きずられた。
泣き叫び、殴られた顔から鼻血を出しながら必死で抵抗していたセシールは、ふっと自分を捕まえるキリアンの力が無くなって、腰を抜かしたままぼんやりと前を見た。
そこでは逆光でよく顔の見えない男が、キリアンに向かい何度も刃物を振り下ろしていた。
刺されているキリアンはもう動かないが、男は尚も繰り返しキリアンを刺しながら、うわ言のように「お前のせいで。サラはお前のせいで」と繰り返していた。
セシールはその光景を見ながら、ついに気を失った。
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