5 キリアンの出立
見つけてくださってありがとうございます。
キリアンは砂ぼこりの舞う道を進む、粗末な馬車の中で揺られていた。
悪夢の様な婚約解消後、ほとんど間を置かずに父親の宣言通り屋敷から追い出され、領地へ送られているのだ。
今朝の出立時、キリアンを見送る者は誰もいなかった。
父親は見送りどころか、怒鳴られ殴られたあの日以降全く顔も見ていない。
母だけは出発の前夜、軟禁されているキリアンの部屋に会いに来てくれた。
さすがの父も、母が最後にキリアンに会う事は許してくれたらしい。
「キリアン、かわいそうに。こんなに頬を腫らして」
「母上。どうか助けてください。父上は間違っています。私はセシールの子どもなんて何も知らないんです。アイリーンが嫉妬して婚約解消しただけなのに、無実の僕を平民にするなんて間違ってます」
キリアンはソファに座った母の膝に抱きついて、今までと同じ主張を繰り返した。
母はそんなキリアンを、憐れみと愛しさの混ざった目で見て「ごめんなさい、キリアン。あなたの処分に、私がしてあげられることは何も無いのよ」と首を振った。
しかし、がっかりするキリアンに「でもね。あなたが平民になっても、私の可愛い息子なのは変わらないわ。だからあなたの生活は、お母様がちゃんと助けてあげるから安心なさい。この事はお父様はもちろん、ダニエルにも内緒よ」と続けた。
「母上、父上たちに隠し通すなんて出来るのですか」キリアンは疑問を抱き尋ねたが
「大丈夫よ。ちゃんと準備しているから」母はキリアンを安心させるようにしっかりと答え、ガウンの中に隠していた、帯のように細長い布の袋を取り出した。
「この中に金貨と宝石が入ってるわ。これをお腹に巻いて、誰にも見つからないよう持って行きなさい。あなたは明日平民の服に着替えさせられるけれど、その時の侍従は言い含めておいたから大丈夫」
「母上、ありがとう。やっぱり母上だけは僕を見捨てなかった。でも、村で暮らすなんてこと、僕には出来そうもない」
尚も泣き言を言うキリアンの背中を母はさすって「領地の村へ着けば、あなたを連れて行く公爵家の人間は帰るでしょう。その後は少しの間我慢して、お父様の用意した仕事をしながら村で過ごしてちょうだい。あなたが大人しくしていれば皆油断するでしょうから、様子を見て抜け出して領都へ行くの。私に長く仕えてくれた使用人が領都に住んでいるから、その者を訪ねて後は任せれば良いのよ。これが住所だから、失くさないで」
やがて扉の外で「奥様、そろそろ。旦那様がお呼びです」執事の声がして、母はキリアンを最後に強く抱きしめ部屋を出て行った。残されたキリアンは母にもらった袋を、かすかな希望のように抱えていた。
翌朝、母の言った通り着替えを手伝いにきた侍従は、キリアンの腹に巻かれた袋を見ても何も言う事はなかった。ホッとしたのも束の間、肌触りの悪い服に着替えさせられた後、今まで食べた事のない質素な朝食を出され、キリアンは思わず侍従に向かって不満を口にした。
しかし侍従は黙って視線を寄越しただけで、何も言わず部屋を出て行った。
その後は有無を言わさずこの粗末な馬車に乗せられ、村へ向かっている。
一緒に馬車に乗っている公爵家からついてきた男は、見たことがない屈強な者で、終始キリアンに厳しい目を向けてきた。
キリアンはこの男の鋭い目が怖くて、道中横にもなれず馬車の中で夜を明かした事も、食事が、固いパンと干し肉だけだった事も、本当は文句を言いたかったが、何をされるか分からないと思いひたすら耐えた。
一日半かけてアルカン村にたどり着いた時、キリアンはぼろ布の様に疲れ果てていた。
「着いたぞ」乱暴に手を引っ張られ馬車から転げ落ちて、キリアンは痛みと怒りに怖さも忘れて、ついに声を上げた。
「お前、不敬だぞ!僕は公爵子息だ」
それを聞いた男はゆっくりと歪な笑みを浮かべ、真っ赤な顔をしたキリアンを見下ろした。
「おまえは‘’へ い み ん‘’だ」一音一音区切るようにはっきり言い「平民になったお前は、普通の平民よりずっと下にいるんだ。よく覚えておけ。
お前は自分では何もできない。これからせいぜい周りの平民にお願いして、生きる術を学ぶ事だ。前の公爵様は、お前みたいなやつに家と仕事を用意して、何になるんだろうな」
「前の公爵様ってなんだ」驚くキリアンに、男は言った。
「公爵家は俺の主人であるダニエル様が継いで、新しい公爵になったんだよ。お前のせいで当主が交代したのに、何も知らないでおめでたいもんだ。じゃあ、俺はもう行く。目の前のこの立派な家がお前の家だ。汗水たらして稼がないで、家を手に入れられて良かったな」
男は、キリアンと馬車に積まれていたわずかな荷物をその場に残し、一度も振り返らずに帰って行った。
キリアンは地面に尻を着いたまま動けないでいたが、ふと隣に誰か来た気配がして見上げると、五十がらみの髭を生やした、日に焼けて頑丈そうな男が立っていた。
怯えたキリアンが「お前は誰だ!僕は領主の息子だ。僕に何かしたら罰せられるぞ。気をつけろ!」虚勢を張ってみせると、男は大声で笑いだした。
「俺は、このアルカン村村長のジャックだ。お前の事は新しい公爵様から聞いている。お前は平民のキリアンだろ。平民が貴族を名乗ると重罪になるぞ。お前こそ気をつけろよ」
ジャックと名乗る男は、恥辱で声も出せないキリアンの手をつかんで立たせた。
「さっきの男の言った通り、普通の平民がこの家を手に入れようとしたって、生きている内に叶うかも分からないんだ。お前は、親父さんに感謝した方が良い」
ジャックは、持って来た鍵を出して家のドアを開け、キリアンに「荷物を運べ」と運ばせながらも、自分も一緒に運び入れてくれた。
「お前の奥さんが子どもを産んでここに来るまでに、色々出来る様になっておけよ」
「僕には妻などいない。僕は王配になる予定だったんだ…」弱々しく言い続けるキリアンを見て、ジャックは深いため息をついた。
「かなり重症だな。まずお前は、自分の立場を理解する所から始めろ。平民は自分で自分の事が出来ないと、生きていく事は出来ないんだ。俺は今日はもう帰る。お前は一人で、自分が何も出来ない事を思い知った方が良い」
ジャックが帰って本当に一人になったキリアンは、玄関を入った小さな部屋で呆然と座りこみ、顔を膝に埋めてしゃくり上げた。
読んでいただき、ありがとうございます。
続きが気になる!と少しでも思っていただけたら、ブックマーク、評価(下の方にある☆☆☆☆☆)やブクマ、いいねで教えていただけると、嬉しいです!




