余話・君も猫にならないか 2
「ね、猫になる?って何ですか、猫耳のこと?」
シグウェルさんのあのやたらと整った氷の美貌で真面目に
「猫にならないか」
なんて冗談みたいなことを突然言われて面食らう。
リオン様とレジナスさんも意味が分からずぽかんとしてるし。
聞き間違いかと思ってもう一度確かめれば
「違う、髪型の話ではない。君そのものが猫になるんだ」
そう返された。髪型じゃなくて私そのものが猫に、って何。
「猫のものまねですか?」
「違う」
「全身が猫の格好・・・?」
「違う、本物の猫だ。ブルグ王国の殿下が変化してみせただろう」
そこまで言われてやっと理解した。
「あれですか!でもあれはエヴァン様が何年もかけて編み出したとっておきの魔法ですよね?」
シグウェルさんすら思いつかなかったエヴァン様だけの魔法のはずだ。
エヴァン様も刺客騒ぎでルーシャ国での滞在時間が短くなったので、せっかくの魔法をシグウェルさんに教える時間は充分取れなかったんだよね?
それでも魔法を完璧に完成させるため、エヴァン様は帰国前の忙しい合間を縫ってシグウェルさんとあれこれ話している姿は私も何度か見かけたけども・・・。
でもそのたった数日にも満たない間に完成させられるような簡単な魔法じゃないはずだ。
リオン様もそう思ったらしく
「ちょっと待って。あの魔法を実際に見たのは一度か二度だけだよね?まさかたったそれだけで習得したっていうの?」
そんな数回見ただけの魔法を私に試そうなんてあまりにも危険過ぎる。と眉をひそめた。
だけどシグウェルさんはそんなリオン様の懸念も気にしない。
「確かにあの魔法が発動する様子を実際に目の前で見たのは数回だけです。ですが理論や魔法式は殿下から直接聞いていますし、発動した魔法を見て精霊や魔力の動き方や質量の変化も分かっています。であれば後は実践あるのみ」
そう頷いている。そういえばシグウェルさんは魔力量が異様に多くて他人には見えない魔力や精霊の動く様子も分かるんだっけ?
それに動体視力も良くて一度見た体術も再現出来るくらい記憶力も目もいい。
天が二物も三物も与えたような才能に恵まれた人だから、理屈さえ分かればエヴァン様のあの魔法を使えるようになっていてもおかしくないのかな?でも・・・。
「元の姿に戻る時に裸で服は再現出来ないっていう欠点はどうなったんですか?もしかしてそれも克服して完璧な魔法が?」
だから最終実験をしてエヴァン様に猫魔法の完成形が出来たと報告したいんだろうか。それにしたってそんな事を私に持ち掛ける意味が分からないけど。
するとシグウェルさんにはあっさりと
「それはまだ分からない」
と返された。
「分からないってなんですか!?」
未完成なのに私で試そうとしてたの?びっくりして思わず声が大きくなれば、
「最初に試した奴がまだ人間に戻っていない。そいつが人間に戻った時に裸かどうかで成否が分かる」
と言った。その答えにリオン様が頭を抱える。
「いや、ちょっと待ってくれないかシグウェル。今の話、おかしいところが色々あるんだけど・・・」
私もこくこく頷いて同意する。試した人がまだ戻ってないってどういうこと?
それにその人、『そいつ』呼びで随分とぞんざいな扱いをされてるけど一体どこの誰が犠牲に!?
と、その時レジナスさんがシグウェルさんの胸元に目を止めた。
「そういえばシグウェル、さっきからその腕に持っているのは何だ?」
その言葉に私とリオン様もその時やっとシグウェルさんが胸元に布に包まれた何かを持っているのに気付いた。
『猫にならないか』発言が衝撃的過ぎて全然気付かなかった。
「これか?」
レジナスさんに聞かれたシグウェルさんが抱えていた布をぱっと取る。
その腕に抱いていたのは木のツルで編まれた籠だった。そしてその中で丸まって眠っている小さな猫が一匹。
「ユリウスだ」
まさかの発言に私達は三人とも驚く。
「ユッ、ユリウスさんー!?」
ええっ!とよく見れば確かにユリウスさんと同じような色味の赤毛の猫だ。
縞々模様で少し長めの毛並みはユリウスさんの髪の毛のようにちょっとだけくせっ毛でカールしている。
そして静かに眠ってはいるけど悪夢でも見ているのか閉じたまぶたは時々ピクピクと動いていた。
「えっ、えっ、ウソ!」
さっきシグウェルさん、まだ元に戻らないって言ってたよね?一体いつからこんな状態に!?
思いがけない状況に焦り、触れてもいいものかどうか猫になったユリウスさんの近くで手をうろうろと彷徨わせていればシグウェルさんが
「触りたいなら触ればいい。さっきまで騒いでいたが騒ぎ疲れたのか今は深く眠っているから触っても起きない」
ほら、と籠を私に差し出した。
そっとそれを受け取って指先でその小さな額を撫でればその手触りはとてもなめらかだ。
「ふ、ふわふわ・・・柔らかいです・・・」
それがユリウスさんなことも忘れてその手触りにふおお・・・と感動し、つい撫で回してしまった後にハッと我に返る。
「シグウェルさん、ユリウスさんはいつからこんな風になってるんですか!?ていうかなんでユリウスさんを猫に変えちゃったんです!?」
「ユリウスが猫になってから二日ほど経つな。なぜユリウスか、と言われてもあの魔法を実践してみようとした時たまたま近くにいたのがそいつだったからなんだが・・・」
ユリウスで試したのは失敗した、と珍しくシグウェルさんが後悔めいたことを口にした。
あ、やっぱり自分の右腕的ないつも側にいてくれる人が急にいなくなるのはさすがのシグウェルさんも寂しいよね?と同情しかけたら。
「あいつがいないと俺が自分で王宮に報告書を持っていって説明しなければならないのが不便極まりない」
そんな事を言っている。そういえばここに立ち寄ったのも王宮の帰りだ。
もしかしていつもユリウスさんに投げっぱなしにしていた仕事をするために王宮に来てたってことなのかな。
「自業自得じゃないですか・・・。これに懲りたらユリウスさんのこと、もっと大事にしてあげてください」
かわいそうなユリウスさんの額をつんと付けば、眠りながらユリウスさんは小さな前足でくしくしと顔を撫でている。かっ、可愛い。
その仕草をつい夢中になって見つめていれば、リオン様はそんな私を微笑ましそうに見ながらシグウェルさんに質問した。
「あの時エヴァンは、この魔法に慣れていなかった当初、猫になると人間としての意識を失くしたり元に戻った時もその一部は猫のままだったと言っていたよね。このユリウス猫とは意思疎通は出来ているの?」
「残念ながら完全な猫です。こちらの言うことは全く理解できていないようですので、常に俺から離れないよう魔法で行動制限をかけています」
「そんなにも不完全な魔法をユーリで試そうとする意味が分からないんだけど。危険過ぎるでしょ」
呆れたリオン様にシグウェルさんは面白そうに目を細めた。
「俺達の世界の一般的な魔導士と、イリューディア神の加護も篤い召喚者ではその魔法のかかり方が違うはず。俺はその差異を知りたいのです」
なんて言う。
「たったそれだけのためにですか・・・!?」
思わずそうこぼした私にシグウェルさんは向き直った。
「君達には見えていないだろう魔力の流れというものが俺にはよく見えているし感じ取ることも出来る。殿下が猫になる時は大量の魔力が練り上げられ収束し、魔法式がその身を包むことで普段には不可能な別のものへの変化を可能にしているんだ」
そこでちょっと言葉を切ったシグウェルさんはまるで人の目には見えない何かを見つめるように更にじっと私を見る。
「な、なんですか」
「俺もユリウスを猫にする時は同じように魔力を練り上げ、それを凝縮して魔力の質と濃度を上げてから猫になるための魔法式をあいつに放ったんだが・・・君はその最初の段階が必要ない。君には猫になる魔法式を付与するだけで魔法が発動するし、成功すると思っている。それも証明したい」
「え?」
シグウェルさんの魔力をそれほど消費しなくても私は猫になるってこと?なんでだろう、イリューディアさんの力に従おうとする精霊がすぐに働くからかな?
いつもシグウェルさんやユリウスさんに魔法の指導を受けて学んでいるその影響からか、つい私もその「猫になる魔法の仕組み」を魔導士さんよろしく考えてしまった。
するとそんな私をじっと見つめていたシグウェルさんは
「君の力も見れば分かる。無意識だろうがその魔力、かなり練り上げられている。そのためユリウスの時よりも遥かに容易く魔法はかかるだろうし成功する確率は高い」
だから君も猫にならないか。薄く微笑んでまでそう言う。
いやそんな、人を鬼になるよう誘うどこかの誰かみたいな言い方をしないで欲しい。
「な、なりません!」
これ絶対に失敗する流れだ。そう思ってきっぱり断ったのに、ほう、と呟いたシグウェルさんは言葉を重ねた。
「猫になれば、日がな一日あたたかな窓辺で柔らかなクッションに寝そべって昼寝が出来るぞ」
「う・・・」
それは魅力的だけど。社畜なら誰でも一度は夢に見る自堕落な生活だ。
「好きなだけ寝て過ごし、腹が減ったら起きておいしいおやつを食べてまた眠る。艶やかで手触りの良い毛皮と柔らかな肉球が自分に備わっているその姿も想像できるか?」
そう言われてさっきまで触っていたユリウスさんのふわふわの毛並みを思い出す。
そしてぷにぷにで触り心地のいい肉球が私に・・・?とつい考えてしまったその時だ。
「よし、いいぞ。そのまま猫になった姿の自分を思い浮かべているんだ」
シグウェルさんの声にハッとしてそちらを見れば、今まさに私に手をかざしていたところだった。
「あっ!」
しまった。魔法はイメージだと散々習ってきたし自分でも実践してきたはずなのに、ついその口車に乗って猫になった自分をイメージしてしまった。
目の前で半透明の魔法式が薄く輝いたのが見える。
私、これで本当に猫になっちゃうかも・・・!と考えてしまったのが更に輪をかけて魔法の効力を強めたに違いない。
次の瞬間リオン様達の目の前にはあっさりと黒猫に変わった私が呆然と佇んでいて、シグウェルさんだけが一人
「やはり成功したな」
と満足そうに頷いていた。




