10万馬券と紙吹雪、勘違いな桜花賞(3)
鞍さんが袋から手にした紙片を三回に分けて天井へと高く解き放つ。
「えいっ」
「えぃ」
「えーいっ」
一万円札の紙吹雪が舞う。
ひらひらとリビングで踊るのを冴と果凛がさらに天井に向けて両手で掬い、さらに吹雪を宙へと投げる。
優が漂う枚葉を床に落とすまいと下から汲み上げる。
リビングで遊弋する一万円札百枚の紙吹雪。
福沢諭吉が狂喜乱舞し、幸せをもたらした宇治平等院の鳳凰が翻る。
真新しい紙幣のインクと和紙の匂いがリビングに満ちてくる。
皆、お金の大切さは分かっている、けど、今はこの仲間と馬鹿騒ぎに酔いしれたい気分で一杯だ。
果凛がその小柄な体を精一杯伸ばし、身長のある冴がソファーに寝転び紙の演舞を眺め、優は何度も腕を振るい回してしゃくり上げ、鞍さんは嬉しそうに光景を目にしていた。
外からの眩しい午後の太陽と煌めきが紙幣を幾度となく照らしていた。
鞍さんが眩しさに耐えられないという感で、陽光を背にするとリビング中央のピアノに向かう。
皆がピアノに注目すると、鞍さんは『サウンドスケープ』だよと曲名を披瀝し、歌への参加を促す。
アニメの主題歌でもあり、住民たちが歌う気満々なのに優も感化される。
『サウンドスケープ』とは、『音の風景』として普段の生活の中で音との関わりの概念としての意味もあると冴が博識を披露する。
鞍さんは日常生活の中で『競馬』がどう関わっているのかを住民たちに問うているのかもしれない。
『TRUE』の名曲『サウンドスケープ』を鞍さんは弾き始め、歌う。
鞍さんに続いて果凛、冴と加わり優も参加し、だんだんと歌が大きくなる。
鞍さんがトーンを絶頂へ誘うと全員で大合唱だ。
旺盛で爽快な曲、前向きで元気が出る歌詞、伸びのあるエネルギッシュな本来の歌声へ少しでも近づこうと住民たちは必死に喉を震わせる。
歌い終わると果凛、冴が勝者を称える。
「ジョッキー、ありがとー」
「ジョッキー、頑張ったー」
そんな二人を横目に優と鞍さんは語り始める。。
「ファストライフ。お見事な予想ですね」
「ありがとうございます。僕より騎手と馬を誉めてください。道中は控えめで、後半徐々にポジションを上げて、直線は少し追い出しを待って、ゴールはキッチリ先頭。馬も彼女の指示通りに頑張り抜きました。長距離戦の差し馬はこう乗るんだという好騎乗ですね」
優はレースを回顧した。
「二月の落馬事故で骨折し、入院して。復帰しても中央競馬では確か三十五戦勝てなくて。我々部外者では、口にした表面上の言葉でしか理解できないけど」
「嬉しいですよね」
鞍さんは表情を緩めて、手を叩く。
「嬉しいでしょうね。復帰初勝利、芝2600戦初勝利」
優の同意に鞍さんが女性騎手の将来に思いを馳せる。
「また一つ、限界を超えた感じですかね」
「一ファンとして、そうだと思いますし、自分自身最高を目指して欲しいです」
優も決して上から目線でない、次のレースに向けた応援を吐露した。
現在、中央競馬唯一の女性ジョッキー。
海外のウィメンジョッキーズワールドカップで優勝して、新潟のリーディング騎手になって、一日四勝もある。
コパノキッキングでは中央競馬の女性騎手として初の中央競馬重賞勝ちを修めた。
そして二月に落馬事故。それからの復帰。
「ホント、彼女の姿には励まされるな」
優が本音を吐くが、鞍さんも同じ想いだろうと想起する。
「こんな状況で、ありがとうって言いたいですよね」
鞍さんはほとんどのスポーツイベントが中止に追い込まれる中で、競馬が開催される奇跡と騎手への感謝を重ね合わせて、しみじみ語る。
10万馬券的中はお初だよねの鞍さんに冴と果凛が腰にしがみついて騒ぐ。
もう分かったわよと逃げ腰の鞍さんが何だか愉快だ。
鞍さんが何とか二人を振り切るのを確認した優は果凛へ意識が向かうと、目が合う。
お互いに恥ずかしくなり視線を外すと、優は鞍さんに背中を叩かれた。
鞍さんが行けとばかりに細めた眼を果凛に振る。
優が果凛に向かうと、彼女は右手を出す。
手のひらが軽くタッチし健闘を称える。
「ファストライフおめでとう」
「ラヴィアンレーヴも格好よかったよ」
鞍さん曰く、馬券を取った時はタッチが一番という。
冴が二人の背中を祝して抱き着き、優の肩をよかったなと震わせる。
優は安堵と苦笑を混ぜた不思議な表情を浮かべる。
「皆さん、これからはお片付けの時間ですよ」
鞍さんがさあキレイにしましょうと『ぽん』と手を叩く。
「はい!」
高校の部活のような一糸乱れぬ気持ちのいい返事と破顔が返る。
「少しはシェアハウスの予備のお金として置いておくとして…」
「…後はどこかに寄付しますかねぇ」
10万馬券の使い道を鞍さんが考えていた。
鞍さんらしいと思う四人は楽しかった時間を床から逃すまいと一枚、また一枚と拾い上げる。
10万馬券的中の余韻を競馬仲間全員が味わっている、この瞬間。
だから、競馬は止められない。
4月11日土曜午後2時過ぎの陽は天を駆けていた。
シェアハウスのリビングは春にしては熱が部屋に籠もる。
ほんの十分前に10万馬券を的中して大騒ぎした住人たちの興奮の残滓なのか。
大穴を仕留めた残響は佳人たちに次のレースを見る気持ちを薄くする。
興奮冷めやらない冴が口ずさむ。
こうして住民たちによる桜花賞の予想合戦膜が切って落とされる。
「デアリングタクト、明日の桜花賞のオススメ。エルフィンステークスの勝ち馬ね」
差し馬が好きな冴が桜花賞では一押しだと住民に勧める。
分かりますよと優がデアリングタクトのエルフィンステークスを回顧する。
4コーナーでも後方3番手、直線では大外を選んで直線一気に突き抜ける。
弾けた、という表現が近いかも知れない。
しかもゴール前を流して、2着とは4馬身差、1:33.6の好時計のオマケつきだ。
「それと、デアリングタクトのエルフィンステークスは、アーモンドアイのシンザン記念を彷彿させるしね」
アーモンドアイのシンザン記念、出遅れる形で最後方、直線で後方から二頭目、200の標識付近からやっと加速を始めたかと思うと、一気にゴールを駆け抜けた。
伝説の片鱗を見せた序曲、将来を示すオーヴァーチュアと冴が位置づける。
トライアル以外からのオープン戦を完勝してからの桜花賞参戦が似ているという。
冴は髪をかき上げ目に力を入れ、現役の名牝の名を口にして、デアリングタクトと比類した。
冴に感化させられたか、鞍さんも『デアリングタクトはいいですね』と評価する。
「その馬に対抗するとなると…」
「レシステンシアでしょ」
逃げ先行が馬好きな果凛が優の口を塞ぐように主張する。
「あの去年の阪神ジュベナイル、あの一方的な逃亡劇を見せられたら…」
あなたはついて来れるの?という挑発的な速いペースで逃げまくり、直線では後続を突き放す5馬身差のレコード勝ち、これも強い競馬だ。
果凛はうっとりしながら、桜花賞はレシステンシアの勝ちじゃないのと言う。
「その時のラップは12.2-10.5-11.0-11.8-12.0-11.2-11.5-12.5です」
ラップは左からスタート1F(200m)から右のゴール8F(1600m)の各1F(200m)を示す。
優が阪神ジュベナイルフィリーズのラップを披露すると、前半3Fは33.7秒でハナ譲らずに押し切るんだからねと果凛も満足そうだ。
「トライアルのチューリップ賞は、ため逃げを試した感があるよねぇ」
本来の姿ではないのではと、残念そうな冴。
『トライアルは12.2-11.2-11.7-12.0-12.2-11.3-10.9-11.8で、前半3Fは35.1秒ですね』と、優がラップを持ち出す。
「で、直線の瞬発力勝負では一息かなって」
そう結果を果凛は踏まえた。
「今回は鞍上にレジェンドジョッキーですよね」
鞍さんが日本の第一人者の騎乗に期待を寄せる。
「今度は阪神ジュベナイルのようにハイラップを刻んで、引き離しての逃げから押し切りだよ」
気が早い果凛が勝利宣言をする。
「ハイラップならデアリングタクトの後方待機からの末脚で差し切りだねぇ…」
「…祖母のデアリングハートは桜花賞3着だぜ、雪辱戦だね」
口を大きく開け閉めした冴も負けじと言い返す。
「スタートセンス、ペース配分に長けた第一人者、レジェンドジョッキーの手綱捌きに酔いしれたいかも…」
「…でも若武者の伸び盛りのような騎乗と新馬からのコンビ継続は魅力ですしねぇ」
レシステンシアとデアリングタクトの騎手でも鞍さんは煩悶していた。
『あと一日、贅沢な懊悩だわねぇ』とどちらを軸にするか鞍さんは腕組みして首を傾げる。
「明日まで悩みますか」
「それが楽しいんだし」
冴と果凛の休戦宣言を住民全員がその通りだと頷いた。
「Darig(大胆な)、Tactics(戦法)、いい馬名の付け方ですね」
デアリングタクトの馬名の由来を優が評する。
元吹奏楽部の冴は自分にとっては、Darig(大胆な)、Taktstock(音楽の指揮)だという。
桜花賞の予想合戦も一息、ロングソファーで冴は優に耳打ちする。
「ある意味大胆な騎乗だったわね。デアリングタクト」
冴が長い髪をかき分けながら、エルフィンステークスの記憶を優と一緒に戻す。
後方追走のレントから、ゴール直前の鬼脚、プレティッシモまでを想い起こしていた。
本番の桜花賞でも突き抜けるよう、二人は『指揮者』の騎手が100%で挑めますようにと祈っていた。
「じゃあ、さ。競馬やろっか。阪神牝馬ステークス」
冴は阪神のメインレース名を告げると、促すように優の背中を叩いた。
「よし」
気合いを入れた冴は黒い髪ゴムを口に咥え、両手で髪を高い位置で纏めた。
「スカーレットカラーはどう?女の子同士なら差はないと思うけど」
妹の果凛を呼ぶと、待ってましたと返事が響く。
「果凛は連勝中のサウンドキアラかな」
冴が差し追い込み系のスカーレットカラーなら、果凛は比較して
先行系サウンドキアラをチョイス。
「サウンドキアラはデアリングタクトの騎手も乗りますし、桜花賞向けた一戦ですね」
優は明日に向けた前哨戦だと注目した。
「果凛ちゃんと冴さんの予想、乗りましょうか」
鞍さんが嬉しそうに馬連1万円にしますねと表すと、リビングの掛け時計に目を遣ると『いけない、もうこんな時間』と冴に向く。
冴は焦る鞍さんを宥めるように優しく語る。
「紅茶を淹れる準備しておきますよ」
「果凛も手伝う」
お茶の時間ですね、分かっていますと姉妹はキッチンに向かい、湯を沸かし始め、ティーカップと皿の準備に手をつける。
出掛けようとする鞍さんは、何かを思い出したように慌てて優にスマホでネット投票の操作を依頼する。
「優くん、馬券を買っておいてくださいませんか?」
「はぁ、はい」
いきなりの要望に生返事となる。
「もう急がなきゃ」
焦る鞍さんはシェアハウスの管理人とは別な個人所有のスマホを『お願いね』と優に渡す。
忙しく渡された優は目を開けたり閉じたりしながら、『分かりました』と叩首した。
『近所のパティスリーでタイムセールが始まるの♡』と言い残してシェアハウスを後にした。
知る人ぞ知る洋菓子店で15時からのティータイム限定、濃厚チーズケーキがお目当てだ。
『阪神牝馬ステークス』の発走は15時35分となる。
シェアハウスから往復するとギリギリの時間だ。
『本当は競馬観戦したいのですが』と悩ましい鞍さんは優に『間に合わなければ、結果を一緒に楽しみたいですね』と爽やかな笑顔を残していた。
迷う結果が、今回はスイーツが優先らしい。
優は一抹の不安を覚えるが、鞍さんの柔らかな表情が憂慮を打ち消すように思えた。
*************************************
桜花賞編は後1話で終了です。毎日20時更新予定です。
この小説はフィクションであり、過去および現在の実在する人物・組織・馬などにはいっさい関係ありません。




