ダービー・惠と優、執事とメイドの物語(4)
「サートゥルナーリアは、皐月賞で2着ヴェロックスにアタマ差でしたよね」
疑問符で問う優が過去を振り返ると鞍さんも『辛勝だったわね』と同意する。
「それを考えると、去年のダービーは、人気先行だったのですかねぇ」
少し寂しそうな鞍さん。
今年のコントレイルは、2着サリオスに半馬身差。
「4角を回ってきた脚色からすれば、もっと楽に勝つのかと思った」
不満げな冴のレース見立てに対し、コントレイルはサリオスの抵抗に苦戦していたようだ。
通った位置は距離ロスからすると、サリオスの方がその意味でコース取りは良かったかも知れない。
それに対しコントレイルは、全力を発揮すべく不利受ける可能性が低い、外を選択してから伸びてきた。
「実走距離を考慮すれば、コントレイル上位ですかね」
「サリオスだってG1馬として、立派な走りですよ」
優のレース判断に惠が『馬場の悪いところ走りっぱなしで頑張っているし』と噛み付く。
「距離が皐月賞の2000mから400m延びて、どちらに有利に働くですかねぇ?」
「やってみなければわからないのが実際だよ」
野菜のジュレを味わう鞍さんの悩みに果凛が浮いた犬歯を見せる。
「この二強が同等の評価で本当に納得しますか?皆さん」
優の二強は疑問符がつくという判断はコントレイル一強だといいたげだ。
惠が表情を曇らせ、かきあげた髪が一筋、鼻筋へ垂れる。
コントレイルの能力は無敗の三冠馬と比較する冴さんと優の通りだと理解した上で、惠は覚悟を決めているようにみえる。
あの迫力のあるトモのサリオスの美しい栗毛の馬体。
マイラーと思う人もいるのかも知れない。
今度もコントレイルの前で競馬して欲しい、惠はそう呟いているようだ。
サリオスの先行策は果凛も意を同じにする。
「ダービーといえば、ときどき大穴馬の激走・連対があるよね」
果凛のふとした台詞に優は即応すると『ぱっと思う浮かぶ馬は以下かな』と話す。
「グランパズドリームが1986年14番人気で2着、優勝はダイナガリバー。ボールドエンペラーが1998年14番人気で2着、優勝はスペシャルウィーク、『スペちゃん』の時ですね。アサクサキングスが2007年14番人気で2着、優勝したウオッカは牝馬でした。そして去年のロジャーバローズは12番人気で見事1着です」
『だいたい十年周期で、大穴爆走馬が現れている』とは優の印象だ。
「じゃあ、今年は本命戦ですかねぇ」
フォークとナイフを手にする鞍さんがそう裁可する。
「穴っぽいのは、青葉賞2着のヴァルコス、京都新聞杯2着のマンオブスピリットッスかね」
最後の肉を胃の腑に納める優はそう名前を挙げる、悩みは尽きないようだ。
「いつもの年なら穴候補ですが、今年はあの二頭相手ですとねぇ」
そういう鞍さんは乗り気が薄い。
「ダービー候補の一頭マイラプソディ、明日の本番では不利とされる外枠に入ってしまったわね」
冴は残念そうに首を傾げる。
「でも、サトノフラッグは気になるなぁ」
アールグレイティーのジュレを味わう惠が鞍さんに向けて再び評価を求めた。
鞍さんもジュレの冷たさを感じながら思いの丈を口にする。
ダービーに強い弥生賞馬であり、鞍上がダービー五勝の武豊騎手。
2016年サトノダイヤモンド2着、2015年サトノラーゼン2着・サトノクラウン3着のオーナーさんにも、そろそろチャンスが巡ってもいいとのことだ。
「サトノインプレッサの巻き返しのも期待ですね」
そういう鞍さんは騎乗する若手有望騎手へも期待を込めていた。
ジュレを食べ終えた鞍さんは相変わらず悩んでいる。
だが、そろそろ結論を出すタイミングを迎えていた。
「コントレイルとサリオスとの馬連、1万円でどう?」
「ご主人様がそうお示しになるなら、御意に従うのみです」
ただ冴は『私はコントレイルの単勝1万円で勝負します』とのことだ。
レースを迎えるのが楽しみなのと同時に観たくない気がする、知ってはいけない優劣に触れてしまった寂寥が募るのが、恐ろしく怖い。
薄暮の夕方を迎えて残るのは、恋人とのデートの終わりに斉しい感じがする。
ディナーを終えた鞍さんが電灯燭台の揺れる灯りに想いを吐露する。
「それでも必死に刮目して伝説を胸に刻みましょうか」
楽しい晩餐も時の刻みは限られる。
冴が胸に右手を当て、腰を折ると惠も同じ動きをする。
果凛と優が両手をお腹に置き、右足を後方内側に送り、左足の膝を折り中腰で礼をする。
執事とメイドたちは主人たる鞍さんに礼を尽くしていた。
直線半ば、内ドリームスピリット、中エフェクトオン、外セントレオナードが三頭雁行となる。
5月31日の日曜日はダービー、それと同距離を走る東京競馬第8レースは青嵐賞がリビングの85インチ8K液晶テレビで競り合い中だ。
「いったれーっ、エフェクトオン!」
エフェクトオンを勧めた果凛の大声を受けて抜け出しを図る。
外のセントレオナードが少し遅れる。
「セントレオナード!ここからーっ!」
セントレオナードを選んだ惠も負けじと後押しする。
二人はエフェクトオンとセントレオナードでの馬券は合意していた。
ただ、果凛は馬連を主張し冴が乗り、惠はワイドを選んで鞍さんが買っていた。
惠の声援を受けたセントレオナードが今回は盛り返す。
セントレオナードが直線を抜け出すと内からドリームスピリットが喰らい付く。
エフェクトオンが前の二頭に少し遅れると『うぎゃっ』とは果凛の声音だ。
ゴール直前、セントレオナードが力強く前へ出たところがゴールだ。
ドリームスピリットが2着、エフェクトオンは3着。
惠のセントレオナードと果凛のエフェクトオンは1,3着だ。
鞍さんは惠の勧めでワイドが的中、冴さんは果凛の勧めで馬連がハズレだ。
購入金額は各1万円でワイドの配当は250円となった。
住民たちは土曜日の競馬を覚えている。
惠はワイドで二連勝も果凛が馬連への拘りをみせた件だ。
本来は今のレースで土曜からのワイド三連勝的中を喜ぶはずの住民たちだが、馬連を主張した果凛やそれに乗った冴に遠慮してか、なんとなく静かだ。
「次、次のレースいこうか」
果凛は連敗を振り切るように住民たちの参加を促した。
ただ、これは馬連でハズレを続ける果凛自身を鼓舞する意味もあったが。
優は彼女の次のレースへの意気込みに嫌な予感を催していたが。
「まあ、サンチェサピークでしょうがないだろう」
L字の短辺ソファーで足を組んだ果凛が右手をヒラヒラさせながら自慢げに語る。
果凛の左隣に座る冴は自信過剰な妹を訝しがる。
ソファー長辺の三人、惠、鞍さん、優はそんな姉妹に平静さを装う。
東京競馬第9レース薫風ステークスは4歳以上3勝クラス、ダートのマイル戦だ。
果凛へ向いた惠がサンチェサピーク選択に『そうですよね』と同意して根拠を述べる。
「前走は出遅れての中段追走から3、4コーナーで4番手に押し上げて直線では早め先頭かというところを内から勝馬に掬われて、負けて強しの競馬かと。今回、スタート五分なら突き抜けるかも知れません」
推薦理由を惠に奪われてしまった果凛が少しぶっきら棒に『そうだよね』と応じた。
次は胸を張るように惠が自信ありげに相手を選りどる。
「対抗はブランクエンドですかね」
「そう、果凛が思うにはだ。ブランクエンドは今回と同条件の2勝クラスを初ダードでクリアだ。タイムもサンチェサピークと0.2秒差しかない。この馬ダート走るよ。3勝クラスでも即通用する」
果凛は惠が選ばれた訳を喋る前に説明してしまった。
他の三人は妙な空気にいささか困惑気味だ。
それでも鞍さんは『それで、どうしますか?』と問う。
果凛は馬連一点、惠はワイド一点でいいと主張した。
冴と鞍さんは顔を見合わせ、少しの間が流れる。
鞍さんが『馬連一点1万円にしましょうか』というと、冴が『じゃあ、私はワイド一点1万円』とのことだ。
優が周囲を見回すと、女性たちの表情が硬い。
発言するのが憚られる状況だと今さらながら当惑していた。
スタートして最初の芝でマイウェイアムールが先頭に立つ。
次は内ブランクエンドの外グットラックサマー。
各馬ダートに入ると、サンチェサピークは五分のスタートから馬群の中、中段を追走。
サンチェサピークはさすがに連続で出遅れない。
バンブトンハートは後方から三頭目。
全馬が約10馬身に納まる好レースだ。
前半半マイル48.2秒。
直線を向くとブランクエンドが先頭へ躍り出る。
グットラックサマーが2番手だが、外からサンチェサピークが追い込んでくる。
「サンチェサピーク、追ぇーっ!」
「差してーっ!サンチェサピークっ!」
果凛と惠の応援がサンチェサピークを後押しして二頭を躱して先頭だ。
ブランクエンドもグットラックサマーを振り切って2番手へ上がる。
「そのままーっ!!」
果凛の必死の叫びだ。
サンチェサピークは2番手への差を広げる。
2番手のブランクエンドはグットラックサマーを押さえ込む。
「ヨッシャー、馬連デキた!」
果凛がツインテールと両腕を天に突き上げ、昇る気分になる。
その時、外からバンブトンハートが飛んでくる。
まるで芝レースでの追い込みのようだ。
「うぎゃーっ」
果凛の本日二度目の悲鳴がリビングを支配する。
サンチェサピークが先頭でゴール、急追のバンブトンハートが2着、3着はブランクエンドだ。
果凛と惠で選んだ馬が1,3着だ。
まるで8レースの焼き直しのような結果。
サンチェサピークとブランクエンドの組み合わせはワイドが的中だが、馬連がハズレ。
今回もお互い顔を見合わせて、困惑を隠せない鞍さんら住民三人だ。
「さ、次のレースいこうか」
果凛は再び次のレース検討を促す。
その際、妹の馬連を買わずに惠のワイドで儲けた姉を横目で恨めしげに睨む。
イレ込みにも似た、自暴自棄にも聞こえる果凛の自らへの叱咤激励もリピートとなる。
因みにワイドの配当230円は次のレース間隔が短いので、後から知ることとなるが。
さすがに東京10レースのむらさき賞はダービー直前で避けた。
選ばれたのは京都9レースの與杼特別、4歳以上2勝クラスはダート1,900mだ。
東京9レースの発走は14時15分で京都9レースは同じく14時31分だ。
午後のレースは事前チェックをある程度入れているとはいえ、東京9レース終了直後からは時間に余裕がない。
鞍さんからはこのレースが終ったら、ダービーに集中しましょう、とのことだ。
「果凛、アンタ馬連買うんだったらオッズとの相談だけど、ある程度買い目増やしてもいいんじゃないの」
冴が冷静に妹の果凛にアドバイスを送る。
淡々としているがやはり姉妹、妹への愛情と心配が見え隠れしている。
「そうですよ。馬券は当ててナンボの面もあります。無理して一点に拘らなくても」
鞍さんも本命路線だとしても馬連一点勝負の難しさを改めて主張する。
「惠の予想は下手すりゃオッズが二倍を切る固いところのワイドですよ。買い目の点数を絞り込まなきゃ、的中してもガミ興業っスから」
『まあ、初心者が本命を買い続けているだけですと』とも言って優は果凛に気を遣うが、かえって連敗中の傷心に焦点を当ててしまう。
優の言い回しに惠も心中に苦いモノを感じた。
こういう裏目へ向かう優の忖度が惠の怒りを買い、果凛がプロレス技を繰り出す理由になるのをイマイチ分からないニブチンでもある。
懐の深い住民たちが鈍いの承知で許している優ではあるが、果凛の短気には通用しないこともある。
レース前なのでさすがに果凛もプロレス技を我慢していて、不快を隠すように予想を口にする。
「ダノンスプレンダーでしょう」
そう馬名を表すると選んだ由縁を続ける。
「2勝クラスは昇格してから3連続1番人気で全て馬券絡み。今回も勝ち負け。後は新馬や1勝クラスを勝った時のように積極的な競馬に期待かな」
何か言いたそうだが遠慮する惠は首肯する。
そんな惠を目にした鞍さんは『惠ちゃん、対抗はどの馬ですか?』と柔和な顔を向ける。
「ダンツキャッスルかな」
今度は果凛が控えるとお勧めを述べる。
「去年のG3ユニコーンステークス3着の実力馬です。前走は約11ヶ月振りの休み明けでも1番人気で積極的に2番手追走して惜しくも4着。一叩きされた今回は前走以上を望みたいですね」
鞍さんら予想を聞く住民三人も予想家二人の判断に納得だ。
ここで果凛はレース全体の分析をする。
「オレと惠の馬は十分にやれると思うけど、このレースは激戦だね。直近の三走からピックしても同じクラスで2着しているのがマースゴールドにキタサンヴィクター、ウォータービルドとトモノコテツ。3着だとスズカフロンティア、シャンパンクーペ、スピンドクター」
他の出走馬も多士済々で、今挙げた馬の突っ込みも十分あると果凛。
「さて、どうしますか?」
鞍さんが果凛と惠に結論を求めた。
惠が先に口を切る。
「ダノンスプレンダーとダンツキャッスルのワイド、一点でお願いします」
難しいレースでもワイド一点勝負のポリシーは連勝中で変えないとのこと、なかなかの勝負根性である。
「じゃあ、オレは同じ馬たちで馬連一点な」
『!!!』
強気な声を耳にした冴を始め住民三人が驚愕を揃えた。
果凛の意地を目の当たりした冴は彼女が無理をしているのが分かる。
レース全体を激戦と見切っていて、感情的とさえいえる馬連一点買いだ。
「じゃあさ、私はダノンスプレンダーとダンツキャッスルの馬連かな…」
冴が購入馬券の披露を続ける。
「…後はダノンスプレンダーから果凛がピックした七頭への馬連、合計八点を各1,500円ね」
今度は果凛が口を開けて驚く。
『ちょっと予算オーバーかな』の冴に『勝手にしてよ、もう』と頬を膨らませる果凛だが満更でもない表情だ。
「それでは、私はダノンスプレンダーとダンツキャッスルのワイド一点、1万円で」
女神である鞍さんのダービー直前のご神託だ。
時間ないよと優がリビングの柱時計を指さす。
鞍さんと冴は忙しそうにスマホを手にするが、愉しげなのはダービー前だからだろうか。
土曜日の連勝含めて、今までワイド四連勝の惠。
四月から彼女との競馬予想、陰に陽にフォローしてきた優には正直、嬉しい。
土曜日の初戦は『見』(ケン)をして、馬連三連敗中の果凛。
ダービー前の最後の勝負、どうなるのか。
『アルゼンチン・バックブリーカー』を喰らうことだけは避けたいと真顔で願う優がいた。
この小説はフィクションであり、過去および現在の実在する人物・組織・馬などにはいっさい関係ありません。




