オークス・若草物語/四姉妹(1)
「鞍さーん、また来ちゃった」
内山田洋子はシェアハウスの引き戸を開け放つなり、言い放つ。
ヴィクトリアマイル当日の日曜は薄暮に入りつつある、五月の陽は長い。
玄関のすぐの部屋から何ごとかと、優が顔を出す。
隣の鞍さんの部屋は戸が閉じているが、人の気配はありそうだ。
「ヒロコさん、来たんスね?」
昨晩一緒にヴィクトリアマイルの予想していたヒロコの再来訪に優が疲れている表情に驚きを滲ませる。
「来ちゃ悪いのかよ」
緩めた口から白い歯をみせたヒロコはTシャツから出る日焼けした腕で優の頭を掻きむしる。
配達の途中でヴィクトリアマイルの結果が知りたくなり、シェアハウスに寄ってみたという。
予想大会に参加した仲だ、スマホでのやり取りだけでは味気ないのだろう。
「鞍さんは…」
問いかけたヒロコの前に鞍さんはいつものエプロンで佇立していた。
ただ、ヴィクトリアマイル観戦時とは髪型を変えていた。
いつものセミロングの明るい茶色の毛先はフォワードとリバースのゆるいカール。
それが今では、トップから耳ラインまでの三つ編みを後ろでリボンの飾りゴムで纏めた編み込みだ。
すっきりと大人の可憐な雰囲気を浮かべていた。
「勝ったよね、オメデトー」
ヒロコは鞍さんの頬に軽くキスをくれると、思いっ切り抱きついた。
『ヒロちゃん、背骨折れそう…』と鞍さんは涙を浮かべる。
何だ、ナンダだと二階の女子たちが階段を下る音を連ねる。
惠が抱きつく女性二人を見ると顔を夕日に染める。
冴が苦しがる鞍さんをみると、『どうどう』と猛獣をあやすようにヒロコの背中を叩く。
階段の途中、隠れながら果凛が顔を顰めて『また、ヒロコかよ』と息衝く。
背中を叩かれたヒロコが離れ、鞍さんが微笑みながら苦しかったと小さい咳をする。
優はヒロコに怪訝そうな顔を向け、口を開く。
「でも、ヒロコさん、どうして勝ったって分かったんスか?」
「鞍さんはね、勝って気分がいいと髪型を『編み込み』にするんだよ」
『ね』というように悪戯好きの女性は鞍さんの顔を覗き込んだ。
なるほど、機嫌がいいと髪型を複雑に変えるのは有名らしい。
優はその鞍さんの髪に見惚れていた。
普段はセミロングの髪をAラインで優しげだ。
えり足五センチの一つ結びで前髪を顔の周りに残す大人びた髪も優は好きだ。
玄関からの傾き加減の陽光でシルエット浮かべる編み込みは犯罪だ。
優は梅雨前の湿気を含む風を感じながら、鼓動を速くする。
「アーモンドアイの勝ち方が凄かったですね」
優の注目を逸らそうとしてか、数時間前の興奮を思い出す惠は両手を握り力説する。
ヴィクトリアマイルのアーモンドアイの勝ちっぷりを全員が目を瞑り思い起こす。
「騎手がムチを使わなくても、追わなくても、関係ないねぇ」
冴が感を述べると、果凛が両手を後頭部に置きながら続ける。
「G1を『調教』代わりにしたもんな」
「あ、果凛ちゃん、みっけ」
「やっべ」
ヒロコは嬉々として果凛の手を取り、階段下へ誘う。
果凛は上気しながらも嫌がらない。
ヒロコは白カットソーにデニムサロペットの果凛を優しく抱く。
「このバカ、ヒロ…」
落ち着かせようと背中を両手でゆっくりと摩る。
果凛の時の刻みが、止まる。
胸と胸を合わせて鼓動を確かめ、斉える。
果凛が和むと、ツナギの隙間から腰に両手を這わす。
「…コッ」
切ない息を消した果凛が腰を折る。
ツインテールが頬を掠めた。
ヒロコは細い腰へ幾度となく手のひらを弄る。
右手を華奢な尻に向け蠢かす。
ヒップを隠す布を探り、ゴムの隙間から人差し指を入れる。
ヒロコの勝ち誇った笑顔、果凛の怯える桃の吐息。
勝者の手に収まるのは二つの丘陵たる殿部だ。
双子の丘陵に挟まれた谷、指らが喜ぶように這う。
果凛の小さな上気した息。
その先、食指はさらに小さな丘を伺う。
「こら!」
鋭い目の冴がヒロコの頭に手刀を軽く見舞う。
『姉のすぐ先で妹に何さらす』と豊かな胸を包む白カットソーの左脇にはショルダーホルスターに抱えられた鈍色のリボルバー式拳銃に手が掛かる。
「はは、ゴメンね」
軽い痛みにと冴の鋭い目つきに耐え、ヒロコは両手を合わせて堪忍を表わす。
シェアハウスの住民と絡み合うのが、少し変だ。
鞍さんは果凛をからかうヒロコを心配する『ヒロちゃん疲れていない?』と。
『ううん』と否定の意味で首を左右に振る。
だが、ヒロコから緊急事態宣言の不都合な真実が思わず、口から突いて出る。
『飲食店関連の売り上げが落ちちゃってね』と苦笑しながらヒロコは頭を搔く。
街の小さな酒屋の厳しい状況に思いが寄る。
「ヒロちゃん、これ…」
酒代と言って鞍さんは茶封筒をヒロコに手渡そうとする。
『そんなつもりじゃないよ』と鞍さんに焦りながら『違う』という意味の両手を振る。
「もともと渡そうと思っていたし…」
「…なんたって、馬券取ったしね」
変えた髪型からか、爽やかさを増した鞍さんは満面の笑みだ。
「これは友情」
そういう鞍さんは『同情じゃないから』と袋と念を押す。
冴と果凛の姉妹も『どうぞ』という風に手を向けて受け取りを薦めた。
恐る恐る茶封筒を手にして、中身を確認する。
このストレートなヒロコが鞍さんは好きだ。
『緊急事態宣言の解除までの辛抱かな』と励ます鞍さんの配慮に頭を下げ、礼をいう。
「毎度ありい」
アヤメが花咲くように笑みが拡がると茶封筒を前掛けのポケットに突っ込む。
「次の配達行くわ」
住民に背を向けて手を振りながら『元気が出た』言いつつ、玄関を後にして白い軽ミニバンに向かう。
陽を浴びる淡いオレンジの軽ミニバンがタイヤの音を軋ませながら、急発進する。
その陽光は開け放たれた玄関から住人たちに朱色の光を浴びせる。
ヒロコが過ぎ去った後、早く普段に戻って欲しいと鞍さんは願いを口にする。
『鞍さん、封筒に幾ら入れたの?』と下世話な果凛に『ワインのお代、相場ですよ』が返る。
先週ヒロコが持ち込んだデイリーワインとボルドー赤の古酒の代金だという。
本当にワイン代だけ?と首を傾げる冴に優しい声音をかける。
「ご祝儀もありますけどね」
『的中の喜びを皆で分かち合いたいです』と鞍さんは『編み込み』を撫でた。
鞍さんを顎がれるように眺め続ける優。
惠は羨ましさが滲むのを隠そうと手で髪を梳く。
『髪型変えようかな』と農茶のボブの毛先を陽光の中で弄ぶ。
髪型変える時は相談に乗るよと、果凛は逆光に浮かぶ惠の背中をさすった。
何かの時に髪型や服装を変えるのも気分転換になり、悪くはないのだが。
冴が鈍く鋭く光る拳銃を胸の脇のホルスターに戻す。
その光景と陽の光に目を細めて眺める鞍さんが『編み込み』から手を離す。
シェアハウスに優と惠が入居した五人の生活が1ヶ月を過ぎていた。
「皆さんで写真を撮りましょう」
住民たちの瞳の光、瞳孔が集中する。
鞍さんは右の人差し指を『一』の意味で立て、住人に語りかける。
「冴さん、果凛ちゃん、惠ちゃんに、優くん。ご一緒の集合写真です」
『うふふ』と少女のように腰をくねらせ、いい機会だし、惠と優の出会いを残したいという。
拳銃から手を離す冴と両手を頭の後ろに回して口笛を吹く果凛が顔を見合わせ、叩首する。
『楽しみです』とは惠の弁だ。
「優くんは?」
名を呼ばれた優がドギマキしながら、首を数回、縦に振る。
撮影について今週は天気が悪そうなのでオークス前日の土曜午後と、決まる。
何となく引っかかる優は、このシェアハウスでイベントが『突拍子のないこと』ではと恐れていた。
そう考えると、優は土曜午後から逃げ出しそうになる。
だが、その恐怖はあっけなく、土曜日に優の目の前に現れるのだが。
シェアハウスでは普段の夕食時は競馬の話が案外、少ない。
月曜日夜などは先週末の結果や今週末の予想を簡単に話すこともある。
ただ、平日の夕食時は学校や社会、シェアハウスの内外含めて雑多な話が主だ。
ここでの話は気楽なおしゃべりから情報交換、愚痴から懺悔もあり、励ましもあった。
そして冴は食事中でも冷静だった。
そつない彼女らしく、会話中も場の雰囲気を保つのは忘れなかった。
ただ『徹夜で夜勤』という際、食事中は寡黙で雰囲気が研ぎ澄まされる。
まるで獲物を狩る猛禽の目を披露することもある。
住民たちはシェアハウスのテーブルマナーとして冴の状態に配慮していた。
冴の『仕事』の内容を聞こうとする優が終始、はぐらかされていたのはご愛敬か。
今日も他愛もない会話で夕食が進む、はずだった。
普段の雰囲気の中、その冴が珍しく月曜夜に競馬の話を切り出した。
今晩が『徹夜で夜勤』にも関わらず、だ。
「オークスは四姉妹、四頭立かねぇ」
ピンクのブラウス左脇でショルダーホルスターに抱えられた拳銃と共に馬名を披瀝する。
「デアリングタクト、デゼル、クラヴァシュドール、ミヤマザクラ」
デアリングタクトが好きな冴が待ちきれないと、先頭で名を語った。
「デゼルちゃんは可愛くて強い」
惠が新興勢力のデゼルを天才美少女降臨と紹介する。
「クラヴァシュドールでしょう。スムーズな競馬なら巻き返すよ」
先行馬とデムーロ騎手好きから果凛はクラヴァシュドールに注目という。
「距離延長でスタミナならミヤマザクラじゃないですか」
優が札幌の洋芝で強い勝ち方をしたミヤマザクラを挙げたいという。
全員の箸が止まり、鞍さんに『オークスの注目馬は?』と、目線が集まる。
その名を住民たちは固唾を飲んで待っていた。
「オルコットの『若草物語』かな」
住民たちは頭の中が疑問符『????』で一杯となる。
また、鞍さんの『自分の世界』が始まるのか。
だが、シェアハウスのイベントだ。
今週末のオークスのヒントが含まれているかもと、住民たちは聞き耳を立てる。
『特に第一部がいいのよねぇ』と語る鞍さんは惠に『知らないの?』と首を傾げる。
『いや知ってます。読んだこともあります』と水を一口飲むと『解説』する。
『若草物語』は、南北戦争の頃の東部アメリカが舞台となる。
四人の姉妹の成長を女性作家であるルイザ・メイ・オルコット描いた物語である。
本来は四部構成だが、鞍さんが推奨する第一部はマーチ家の四人姉妹メグ、ジョー、ベス、エイミーのお話だ。
彼女らは従軍する父の帰還を祈り、優しい母親と慎ましくも明るく仲睦まじく暮すクリスマスからの一年間のストーリーだ。
自分の家を持つことを夢見るおしとやかな長女のメグ。
本が好きで小説家を希望する男勝りな次女のジョー。
両親との暮らしを望むピアノが上手でおとなしい三女のベス。
絵と描くのを好み画家志望で活発な四女のエイミー。
仲良し四姉妹が家族を慈しみ、時にはケンカして、自身の夢に向かい、隣家の少年や家庭師などとの淡い恋心ありの少女の成長が描かれている。
「どうせなら、『若草物語』の発表当時の服着て撮影しましょうか」
鞍さんの宣言に冴が冷静に続ける。
「当時の服なら、ビクトリアスタイルだね」
丈が長いフレアースカートがイメージ近いかなと冴が補足する。
「そんな服がココあるの?」
ねえ、鞍さんと果凛が問うと鞍さんは即答する。
「ここは鞍さんのシェハウスですよ」
『あるんだ、ビクトリアスタイル…』
そう、住民四人は黙り込む。
なんでオークスの予想から古いアメリカの服着た写真撮影の話になるのか、優は訝しがる。
結局、イベント大好きな鞍さんのいつもの暴走だ。
突然椅子を蹴る大きな音がダイニングに響く。
優が立ち上がり啖呵を切る。
「そんなビクトリアスタイルなんて、昔の女の服は嫌です」
先週の女性三部合唱に続いて、普通に男扱いされないのかと嫌がった。
『優君はパンツだけど…』と鞍さん。
この場合のパンツはズボンの意味だ。
『ならいいですけど』と安堵するも首を傾げ心に影射す優だ。
その不安がどうなるのかは、五日後の撮影当日に初めて分かることだった。
この小説はフィクションであり、過去および現在の実在する人物・組織・馬などにはいっさい関係ありません。




