ヴィクトリアマイル_合唱!内山田洋子と熱きクインテット(4)
『アオイシンゴ!』
女声三人で馬名の合唱だ。
同じ名がリビングに反響すると、果凛、冴、惠がお互いに顔を見合わせる。
エプロン姿の鞍さんから『午後の競馬で、お勧めありますか?』と向けられた時の返答だ。
5月17日日曜日の昼過ぎ、シェアハウスの女性三人が鞍さん特製のチャーハンを頬張っていた際の出来事だ。
ジャージ姿の優が咀嚼しながら、何ごとかと周囲を見渡す。
女声から出されたのは、東京競馬第8レース、4歳以上2勝クラス、芝1600mの出走馬だ。
『芦毛馬のアオイシンゴはユキちゃんが好きそうですね』と鞍さんはユキちゃんと呼ばれた友人の好みを思い出す。
鞍さんからお勧めの理由を問われた果凛が説明する。
「そのアオイシンゴはさ、休み明けだけど2勝クラスじゃあ4回走って2着3回3着1回は力上位。同じ府中のマイル、3走前の葉山特別は1番人気で3番手追走して上がり32.9秒でハナ負けだった。しかもこの時負けたのはトゥザクラウンでG2京王杯スプリングカップ0.1秒差4着の実績馬。この時の鬱憤を晴らさせて貰う」
先行馬が好きな果凛が、白カットソーとデニムサロペットで拳を握りしめながらツインテールを振る。
「いやアオイシンゴはさ、それこそ同条件の前走1勝クラス、大外18番をモノともせずに道中10番手くらいを外から追込んで2馬身差の完勝。約半年振りだけど、4月22日以降、美浦の坂路で馬なり七本乗り込まれているようで、5月14日が52.9-37.8-24.7-12.2なら、いいんじゃない」
差し馬は好きな冴が、白カットソーとネイビーパンツで眼を細めて手で髪を梳いた。
急ぎの仕事があるのか、何故かショルダーホルターで銃を抱えていた。
『先行して鋭い脚で直線抜け出すの』の果凛に対して『控えて中段から鋭い脚で直線差しきるんだよ』と冴も譲らない。
リビングの短辺ソファーで姉妹が距離ゼロで、鼻先と付き合わせて唸っている。
見かねた鞍さんが『惠ちゃんのオススメの理由は?』と長いソファーの左隣に座る、白カットソーとデニムロングスカートの惠へ話を振る。
「サッカー選手ですよ、日本の。同じ名前なんで応援します」
『???』『そんな選手、いたっけ?』『誰ですかねぇ?』は冴、果凛、鞍さんだ。
惠の一言に吹き出しそうになるのが優だ。
有名なサッカーアニメのキャラクターとして挙げているのがアニメ好きな惠らしい。
さすがにアニメと同じ得意技を発揮したアオイシンゴがコーナーを直角では曲がらないだろうが。
ロングソファーの右にあるオットマンに座る優は馬名だけでなく女子三人が示し合わせたようにアオイシンゴの芦毛に似た白トップス&ネイビー系コーディネートなのが不思議で珍妙だった。
『みんなかわいい♡』とは鞍さんで『三人一緒の藍色が気になる』といいながら、結論付ける。
何となく引っかかる青い帽子の4枠4番アイスフィヨルドは6番人気、前走の中山マイルで3着は狙い頃だが、2勝クラスの府中で四回全て馬券になっていないので諦めるか。
「まあ、いずれにしてもアオイシンゴを応援しますか。単複各5,000円でどうですか?」
鞍さんが『先行するか押さえるかは別にしても2勝クラスだと力上位なのですから』と冴と果凛に『ケンカはダメですよ』と笑みを向ける。
バツが悪そうに果凛が頭を描き、冴が横を向く。
「どんな競馬をするんでしょうねぇ、ジョッキーは?」
口から期待を出した鞍さんはネット投票すべくスマホに手をかけた。
『アオイシンゴの騎乗騎手ならヒロちゃんが好きそうですね』と鞍さんは姓が似る内山田洋子の好みを思い出しながら、『青色がねぇ、馬連、枠連どうしますかねぇ』と悩んでいた。
結局はアオイシンゴの単複各5,000円だそうだ。
そのアオイシンゴは最後の枠入れ。
スタートはバラッとするが、アオイシンゴはゲートを2番目に速く出る好スタートだ。
スタートダッシュを決めたスペキュラースが先頭、最外10番から番手に取り付くアオイシンゴ。
アオイシンゴをマークするようにアイスフィヨルドが内の3番手。
だが、アオイシンゴは口を割る素振りを見せ先頭へ逸る気持で追走する。
「もっと、リラッククスして走れないかねぇ、素人目に見てもさ」
「冴姉ぇ、展開がハズレだからって応援する馬の悪口を言わないでくれる?」
姉妹はお互いを意識する薄ら笑いを浮かべながら、85インチの液晶画面に視線を送る。
各馬、3コーナーへと向かう。
600mは36.8秒。
ゲバラが外から捲り気味に動いて2番手、アオイシンゴは3番手。
4コーナーを回って直線。
先頭はスペキュラース、ゲバラが追走、その後外目をアオイシンゴ。
「こうなると、差し馬だよな、アオイシンゴは」
冴が前を行く二頭を抜き去る末脚を期待すると『ほれ見たことか、差しの競馬だよ』と果凛に鋭い目線を投げた。
姉の言葉でふくれっ面の果凛が冴の首を手で締めると『ヤメテ、アホ果凛』と小声も妹の首に手を掛ける。
鞍さんが苦笑しながらレースを観戦する。
内スペキュラース、中ゲバラ、外アオイシンゴが仕掛け処を計るように三頭並行だ。
ゲバラが遅れると、青い帽子のアイスフィヨルドが代わりに伸び、最内のスペキュラースが脱落する。
騎手の手が動いて先頭に立つアオイシンゴ。
今度は内アイスフィヨルド、外アオイシンゴ、二頭のマッチレース。
前を行くアオイシンゴに右ムチ、一閃。
『いっけーっ!!』
お互い手を離した冴と果凛に惠が加わる女声合唱が沸き起こる。
アオイシンゴが脚を使うが、アイスフィヨルドも喰らい付く。
「アオイシンゴ、頑張れ-っ!」
鞍さんの必死の応援でアオイシンゴも最後のひと踏ん張りを見せる。
住民たちは総立ちで声援だ。
『走れ!走れ!走れ!走れ!走れ!』
住民五人の女声三部合唱、ソプラノ・メゾソプラノ・アルトのスタッカートがアオイシンゴに向け、再び共鳴する。
ゴールが見えた、その時。
アイスフィヨルドが一瞬加速し、鼻面を並べて駆け抜けた。
決勝板を過ぎた後はアイスフィヨルドの方が脚色はいい。
『フーッ』
住民たちは緊張を解く息を吐いて、ソファーに座り込む。
暫くすると、無情にも電光掲示板はⅡのところに「10・ハナ」が浮かぶ。
『藍色が気になった』という鞍さんは青い帽子の4枠4番が6番人気で1着を目の当たりにした。
馬連配当2,310円は『買っておけば…』と口惜しそうだった。
「アオイシンゴ、大外の10番で頑張ったね」と惠。
「10番は影響ないと想うけど」と優。
「先行しようが…」と冴。
「後を追走しようが…」と果凛。
『落ち着いて走れれば、ねぇ』と姉妹の合唱。
「前半に口を割る感じで、追走に苦労したしねぇ」と鞍さん。
薄ら笑みで『一競馬ファンの感じ方ですけど』とも言い、残念がる。
住民たちは目の前のハナ差負けを逆転したいという気持ちで感を述べる。
レース後では、何もできないのは分かった上で、アオイシンゴへの応援だ。
「今日は負けちゃったけど。好きですよ、アオイシンゴ」
『一生懸命だよね』とも言う惠を横目に『アニメキャラとしても好きなの?』というセリフを優は飲み込むことにした。
「そういえば、ヒロコさんは?」
「どうなんだろうね、来ないのかね」
レース直前での緊張からか、ふとヒロコを思い立った惠に優が反応する。
「今日はさすがに、ヒロコは来ないんじゃない?」
昨今の状況だとはいえ、客商売で酒屋を営むヒロコに日曜午後は忙しいと冴が説明する。
「月曜日に来る気がするなぁ」
友人の来訪を嬉しそうに待ち構える鞍さん。
優と惠が表情を硬くすると、『合唱練習はないと思う』と慌ててフォローする。
「鞍さん、結局、馬券はどうしたんさ?」
ヒロコが苦手な果凛が彼女から話題を変えようとした。
ヒロちゃんや果凛ちゃんには悪いけどと前置きして鞍さんが昨日と変わらないと宣言する。
「アーモンドアイとサウンドキアラの馬連一点10,000円」
ダノンファンタジーやラヴズオンリーユーなどにこられたらゴメンナサイだ。
馬単にしないのは心配が胸中で囁いているからか、さっきのレースのハナ負けが何気に堪えているのか。
馬連1点買いを宣した鞍さんが見回すと、住民たちの納得顔に笑みを浮かべて安堵する。
テレビではスターターが車に向かって歩き始める。
スタートの時が近づいていた。
ゲートが開くと半分が先行争いでダッシュする。
アーモンドアイも普通のスタート、出遅れは鳴りを潜めているようだ。
トロワゼトワルがハナを目指すと、メジェールスーが続く。
その後に内ダノンファンタジー、外コントラチェック。
直後にサウンドキアラとアーモンドアイ、内でラヴズオンリーユーはアーモンドアイをマークか。
3、4コーナー、今度はコントラチェックが2番手、次にサウンドキアラ。
600m34.2秒。
アーモンドアイは4番手で4コーナーをカーブする。
直線、トロワゼトワルが先頭を頑張っている。
コントラチェック、サウンドキアラ、アーモンドアイの順番は変わらない。
ストレートを半ば過ぎ、外のサウンドキアラとアーモンドアイが内のコントラチェックとトロワゼトワルを躱しにかかる。
突き抜けたのはアーモンドアイ。
サウンドキアラがトロワゼトワル相手に苦戦する。
「「サウンドキアラ頑張れ-っ!」」
「キアラ、トワルを抜け-!」
「追ぇーっ!」
「よし、行けるぞ!」
住民たちは買った馬連の片方、3番手のサウンドキアラを鼓舞しだした。
もう、分かっているのだ。
アーモンドアイが復活したのを、心配と応援が要らないのを。
住民たちのアーモンドアイに対する『スルー』は最大級の賛辞と励ましで、それに応えるように騎手も後ろを振り返る余裕だ。
『差せ!差せ!差せ!差せ!差せ!』
住民五人の女声三部合唱、ソプラノ・メゾソプラノ・アルトのスタッカートがサウンドキアラへ共鳴する。
「よし、キアラが差した!」
冴が人心地を付く。
サウンドキアラが2番手に上がる。
だが後から迫る一頭が2着を伺う。
「ノームコア、来んなっ!」
果凛が悲鳴と共にツインテールを振り回す。
『あ、アーモンドアイがゴールした』
住民たちは再び、サウンドキアラに目線を注ぐ。
『残せ!残せ!残せ!残せ!残せ!』
悲鳴のようなスタッカートがここでも響く。
合唱練習はこの時のためのものだったか。
サウンドキアラが2着で決勝点を駆け抜けた。
『やったーっ!!!』
住民たちが飛び跳ねると馬連1点的中だった。
冴と果凛が抱き合って頬を寄せ合う。
鞍さんの胸に顔埋めた惠は頭を撫でられていた。
優は立ちすくんで、ゆったりとしたレントのような拍手を続けた。
「Bravo! ブラヴォー!」
テノールを発しながら、今度は速いヴィヴァーチェの拍手を送る。
「アーモンドアイね、優くん」
手を打ち続けながら、鞍さんに無言で叩首する。
住民全員がアーモンドアイのレースに思いを馳せ、悦に入り納得していた。
惠は両手を握りしめたままで目を潤ませていた。
「騎手がムチを使わなくても、追わなくても、関係ない」
冴がそう言うと、果凛も凄いモノを見せて貰ったと自慢のツインテールを上下に振る。
あの直線、最大関心事は馬連対象の2着争い。
「馬単の方がよかったですかね?」
優が鞍さんに問うた。
馬連だからこの結果なのと鞍さんは呟く。
「もう二度と目にすることはないでしょね…」
別に他の馬を貶める訳ではない、全ての出走馬に敬意を表し、アーモンドアイの栄誉を称える意味で敢えてこの『言い方』をさせてもらうわ、と続ける。
「…G1を『調教』の代りに、するなんて」
住民たちは数分前のアーモンドアイの直線を想起して、胸を熱くしていた。
「スピアー・タックル!」
アルトで歌うように技の名を口にして助走を付けた果凛が低い姿勢で優の腹に肩をぶつける。
優が腰を落とし、尻餅を着く、テイクダウンだ。
『何もしていないじゃないですか』と優が痛がりながら立ち上がろうとする。
「合唱するのも、名馬の凄い競馬を目の当りにするのも、馬券が当たるのも、技を繰り出すのも気持ちが良いもんだ」
『テンションだよ。ノリだよ』といいながら果凛が優に向けて起き上がるのを手助けすべく右手を出す。
『何なんですか、それ』といいながら応じてその手を握る。
馬券が当たってもこれじゃあ堪らないと嘆息を吐く。
プロレス技を繰り出す果凛だが小さくて柔らかい女の子の手なんだなと、握る手で認めると何故か顔が紅潮する。
立ち上がる優に惠が右足を一閃、足のスネに当たる。
「痛っ」
眉間に皺寄せる惠を見るが腕を組んだまま、そっぽを向いていた。
冴が三人のやり取りを『どうでもいいや』と足組し、ソファーの肘掛けで頬杖をついていた。
鞍さんはアーモンドアイの完全復活、馬券的中の余韻と共にシェアハウスのバカバカしい雰囲気を楽しんでいた。
第五話、了。
この小説はフィクションであり、過去および現在の実在する人物・組織・馬などにはいっさい関係ありません。
*参考文献
ワインといっしょに!81の美味しいレシピ
著者 植野美枝子
池田書店
知ればもっとおいしい!食通の常識 厳選紅茶手帖
紅茶厳選委員会(山本洋子+編集部)
世界文化社
必ず役立つ合唱の本
監修・執筆 清水 敬一
執筆 小針 絢子
ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス出版部
合唱指導テクニック 基礎から実戦まで
著者 清水 敬一
NHK出版
楽譜がすぐ読める 名曲から学べる音楽記号事典 CD付き
監修 齋藤 純一郎
ナツメ社
ヘアゴム1本のゆるアレンジ
著者 工藤 由布
セブン&アイ出版




