はぐれもののうた。 5
魔女というものは、負の感情を取り込んで魔力に変換する魔物である。魔力を持つ者ほど優秀だと言われ、どの魔女もこぞって周囲から負の感情を得ようとしていた。
ある者は恋人達の仲を引き裂いて。
また、ある者は復讐の手助けをして。
そうやって自分の為に他者を闇に墜とす事を、生まれながらに魔女である筈の彼女ーーパティはどうしても出来なかった。
恋人達の仲を引き裂こうとすれば、試練の様にさせて更に仲睦まじくさせてしまった。
復讐の手助けをしようとしても、最終的には説得して改心させてしまった。
そんな事をしているうちにパティは気付いた。
ーー自分は負の感情を取り込めない。
その代わりに魔力の素とするのは、他人の笑顔や喜びの気持ちだと自覚するのと、周囲の魔女達がパティを異質だと気付くのはほぼ同時だった。
それからはパティは爪弾きにされて、嫌がらせも数え切れない程に受けた。
それでも堪え続けていたある日、其れは起こった。
魔女の住処にオーク達がやって来たのだ。
凶暴で力もあるオークに、魔法は使えても元々戦闘は不得意な魔女は太刀打ちが出来ない。しかし、このままでは住処を荒らされて自分達もどうされるか分からない。
そう危惧した魔女の長は、オークのボスにある提案をした。
《一人、若い魔女を差し出します。魔女の癖に汚れも知らない異端者です。貴方達の好きにして構いませんので、残った私達だけはお助け下さい。》
***
「……あ、……」
飛んでいた意識がふっと戻った。体全体が軋み、痛むのを感じる。
それでも悪夢の時が過ぎ去った事に安堵して、パティはゆっくりと息を吐いた。
「……回復、しないとな……」
舌に残る薬臭さと苦味。どうやら今回も意識を飛ばしている間に、無理に魔力回復の薬を飲まされたらしい。
その薬が回復する量は体を多少癒せば底を尽きてしまう程度で、如何にオーク達が自分を此処から出す気も、死なせる気も無いのだと認識させられる。
(こんな思いをさせられても、まだ、自ら死ぬ勇気が無い私も、私だけど、な)
自嘲めいた思いを抱きながら目を瞑る。
回復魔法の淡い光が疲れ果てた体を包むも、その内側までは届いてくれる事は無い。
(……恨みたく、ない)
負の感情がどれほど重く、苦しいものか、本来ならば其れを糧として味わう者だから良く知っている。だからこそ、抱きたくない。
自分を生け贄とした魔女達も、自分を傷付けるオーク達も。恨んでしまったらきっといつか、自分も彼らと同じ様になってしまう。
所詮は勇気が出せない臆病者の言い訳だとは心の何処かで分かっている。だけど、それだけは嫌だった。
(だから、私、は……)
このまま、此処で何時か自然と朽ちるまでーー。
「あ、ほら見ろ。オーク以外にも居たぞ」
「っ!?」
不意に降ってきた声に目を見開く。
まだ残る疲労感が飛び起きる事を体に許してはくれなかったが、目だけを其方に向ければ、オークとは違った人影は二つ見えた。
「だから言っただろ。何か別の匂いがするって……」
「それは今は置いといて! あの、だ、大丈夫ですか!?」
倒れ込んでいるパティに駆け寄ってきた金髪の青年は、自分が羽織っていた布のマントをその傷だらけの体に掛けて、背中を支えながら起き上がらせる。
突然の事態にパティが反応出来ずにいれば、青年は腰に提げていた皮袋を漁り、其処から取り出した薬草を幾度か掌で揉んでからパティの口元へと運んだ。
「と、取り敢えずこれ、痛み止めの効果がありますから」
「……ありがとう」
驚きが抜けきらないまま礼を言ったパティは、その薬草を素直に食べた。疑うにしても突然過ぎたのと、青年の様子からして自分を騙そうとしているとは到底思えなかった。
そうして薬草を噛んでいれば、足元で何かが壊れる音がした。
「えっ……!?」
思わず其方を見たパティは再び驚愕して目を見開く。
自分の足に固く巻き付いていた鎖が粉々になっている光景を目の当たりにして言葉を失っていれば、もう一人の黒髪の青年が片手をぷらぷらと揺らして言った。
その手から鎖の欠片が落ちていく。
「ほら、これで良いだろ」
「……え、あの」
「あ? もしかして繋がったままのが良かったか?」
「い、いやいや! 外してくれて助かった、けど……」
思考がついて行かずに戸惑いの色を見せるパティを、青年は怪訝そうに見つめて小首を傾げる。
その視線に更に戸惑っていたがパティだったが、青年の額から赤い液体がつうっと垂れてくると血相を変えた。
「き……君、怪我してるのか!?」
「え? ああ、何時の間に……」
「何時の間にも何も、オークに殴られた時だと思うよ。だから危ないって言ったのに……」
「彼奴らが話も聞かずに喧しいから仕方ねえだろ。しっかし、あんなに大量にどうすっかな……流石に喰い切れねえぞ。ていうか脂身凄そうで喰いたくねえ」
相当な出血を前に、青年二人は平然と会話をする。
それは二人にとって、この程度の怪我は慣れたものだったからなのだが、パティにはあまりにも痛々しくて衝撃的過ぎるものだった。
「と、とにかく治さないと!」
「いや、これくらいは……」
大丈夫だと青年が言う前にパティは体の怠さも忘れ、傍に寄って片手を翳す。
残っていた魔力を絞り出しての回復魔法は心許ないものだったが、傷は無事に塞がったらしく、青年が血を拭うとそれ以上はもう出て来なかった。
「よし、これで、大丈夫……」
「っ、危ない!」
それを見て安心した所為か、ふっと意識が霞んだ。
ふらついたパティの体を咄嗟に抱き留めた金髪の青年は、眉を下げた悲痛な面持ちで彼女を見下ろす。
「あの、貴女は何故こんな、……」
其処まで言うも、言葉は途中で濁される。
服すら着ていない傷だらけの女が、理性など無いに等しいオーク達の住む屋敷の地下室で拘束されていた。
それが導き出す単純で残酷な答えが青年の口を噤ませる。
「彼奴らの良い玩具にされてたんだろ、お前。今までよく生きてたな」
しかし、もう一人の青年は躊躇い無く言葉を出した。
何も隔てない発言にパティは目を丸くし、金髪の青年は慌てた様子を見せる。
「ケ、ケルトー!」
「何だよ? サーヌだってそう思うだろ。普通だったら、舌噛み切って死んでても可笑しくねえって」
諫める様に言われても、ケルトーと呼ばれた黒髪の青年は何も気にする事無く言葉を返す。そこには哀れみや同情も無ければ、侮蔑や嘲笑も見当たらない。
本当にただ、言葉のままにそう思っているのだろう。
彼のそんな真っ直ぐな感想に、パティは思わず自嘲めいた笑みを浮かべた。
「……そうだよ、な。普通はそうだよな」
「……え?」
「でも私は臆病者だから、諦めていたんだ。……死ぬ勇気が、無くて」
心の内がぞくりと、冷えていく。
大嫌いな自分に何度も吐いたその言葉を他人に吐露してみれば、なんて情けないものなんだろうと思った。
重くなっていく気持ちに合わせて、自然と視線が下がっていく。
「お前がこれからどうしたいかは知らないけど」
それを持ち上げさせたのは、凛とした声。
「死ぬ勇気なんか持つくらいなら、生きる勇気を持てよ」
黒曜石の瞳は何処までも真っ直ぐで、縮こまっているパティの心を容赦なく貫いた。そこから流れ込んできた何かが無数の傷に沁みて、とても痛くて、でも温かくて。
気が付けばパティは、大声で泣きじゃくっていた。大粒の真珠にも似た涙をボロボロと零しながら、戸惑う彼らも気にせずに。
生きたい、と、喉が枯れるまで泣いていた。
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