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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
19/58

宿屋での朝


 窓の外では、赤い屋根の上で小鳥達が爽やかな朝の日差しを浴びながらちゅんちゅんと楽しげに囀っている。

 寝間着である少し厚手の桃色のベビードールからワンピースに着替えたラパンは、持参した手鏡とヘアブラシを持って、難しい顔をその手鏡に映していた。


「……どうしよう」


 自分の肩をさらりと流れる銀色に、ラパンは困り果てた様子で眉を寄せる。

 普段はパティが二つに結い上げてくれている銀髪は、こうして下ろしてみると存外長く伸びていて、ラパン一人ではとても上手く纏めきれそうになかった。

 しかし、どうにかして纏めないとフードに収まりきらずに外出する事が出来ない。そうなってしまうと、ケルトーに迷惑がかかってしまう。

 こうなったら一つに纏めて無理にでもフードの中に押し込んでしまおうかと考えた時、廊下の方からドアをとんとんと叩く音がした。


「おはよう、フィーユ。起きてるかい?」


 ***


「……よし! これでいいかい?」

「はい、有り難うございます」


 手鏡に映った自分の髪型を見て、ラパンはほっと胸を撫で下ろす。

 あれだけ持て余していた銀髪は、今は後ろ側で一本の綺麗な三つ編みになって、フードの中にすっぽりと収まる量に纏められていた。

 

「いやー、私も人の髪をいじるのなんて久々だったからね。上手く出来て良かったよ」

 

 太陽のような笑顔でそう言って、アルカは使い終わったヘアブラシをラパンに手渡す。

 それを受け取ったラパンは申し訳なさそうにぺこっと軽く頭を下げた。


「急にお願いして、すみませんでした」

「これくらい気にしなくていいよ。ガルーには出来ないだろうしね。……しかしまあ、綺麗な髪だねえ」 


 アルカは感心した様子で目の前で煌めく銀髪を眺める。

 しかしラパンはというと、内心で緊張と不安を覚えていた。


(どうしよう……) 


 もしも此処で、この髪について深く掘り下げられたら何て答えればいいのだろうか。

 ラパンは心臓をどきどきと跳ねさせながら、銀髪を眺めているアルカの出方を窺っていると、


「白髪や灰髪はたまに見かけるけど、ここまで綺麗な銀色は初めて見たよ」

「……っ」

「髪は女の命って言うしね。大事にするんだよ、フィーユ。……さ、朝御飯にしようか!」

「えっ?」


 思わず、声が漏れた。

 見開いた目で咄嗟にアルカの方を見れば、アルカはにっこりと何の屈託もない笑顔をラパンに向けて「来る時にガルーを起こしてやってくれ」と言い、部屋を出ていった。

 その場にぽつんと残されたラパンの耳に、昨夜ケルトーが言った「アルカは何も詮索しねえし言わねえからな」という言葉が蘇ってくる。


(……不思議な人)


 ラパンはリュックに片付ける前に、もう一度手鏡を覗き込んでみる。

 そこには丁寧に編まれた三つ編み姿の自分が映っていて、自分の髪を纏めてくれていたアルカの手付きがとても優しかったのをふっと思い出して微笑んだ。


(でも、きっと良い人だ)


 そうしてラパンは手鏡とヘアブラシを片付けて、アルカに言われた通り、未だに寝ているらしいケルトーを起こす為に隣の部屋へと向かう。

 

「ケルトーさん、おはようございます」


 とんとんとドアを叩いて声を掛けてみる。が、中から返事は返ってこない。それどころか部屋の中で人が動いている気配も無い。

 困ったラパンはドアの前で一人、ちょこんと小首を傾げた。

 

(……どうしよう?)


 とりあえずアルカに言うべきかと思ったが、朝食の支度をしてくれているであろう彼女に余計な仕事を増やすべきではないと直ぐに思い直したラパンは、駄目元でドアノブに手を掛ける。


「あ、あれ?」


 するとドアノブはすんなりと回り、そのまま前に押すとドアはきいっと僅かに蝶番を軋ませながら開いた。

 まさか開くとは思わなかったラパンは目をぱちくりと瞬かせる。

 このまま中に入って良いものかと悩んだが、アルカに頼まれたという使命感に押されて、部屋の中へそっと足を踏み入れた。

 部屋の構造や家具の配置はラパンの部屋と全く同じで、唯一違うと言えば置いてある荷物くらいだった。ラパンはなるべく足音を立てないようにしながらベッドに近付く。


「ケ、ケルトーさん……?」


 ラパンが静かにベッドを覗き込めば、其処では当たり前だが、ケルトーが毛布に包まれて眠っていた。

 薄く開いた唇からは白い牙が時折ちらりと見え、すうすうと安らかな寝息が規則的に零れ落ちていく。

 常に何処となく鋭くて掴みづらい普段の雰囲気とは違って、穏やかであどけないその寝顔を見たラパンは、自分の胸の奥がそわそわと擽ったくなるのを感じる。

 そして人目が無いのは分かり切っているのにも関わらず、窺うように周囲をきょろきょろと見回してから、ベッドの傍らに静かに屈み込んで、


「……少しだけ、だもん」


 暫くの間、ケルトーの気持ちよさそうなその寝顔を、ほわほわと嬉しそうな笑みを浮かべて間近で眺めていたのだった。


 ***


「お、やっと起きてきたね」

「あー……よく寝た……」

「相変わらず朝は弱いねえ、ガルーは。お疲れ、フィーユ。起こすの大変だったろう?」

「い、いえ……」


 階段を下りてやって来た二人に、アルカはテーブルに出来立ての朝食を並べながら声を掛ける。

 ケルトーは寝癖の付いた黒髪を掻きながら大きな欠伸を零し、ラパンは若干の後ろめたさを感じつつも首を振って誤魔化した。

 朝の日差しが射し込むテーブルには、こんがりと焼けたベーコンとふんわりとしたスクランブルエッグが盛られた皿や、クロワッサンやワッフルといった様々な種類のパンが入った籠、色々なジャムの瓶が置かれている。

 昨夜の夕飯同様に三人で席に着くと、アルカはオレンジジュースが入ったコップを二人の前に置いて笑った。


「さあ、一日の元気は朝食から! 今日は依頼を受けに行くんだからしっかり食べていくんだよ?」

「おう、言われなくても食うっての」

「いただきます、アルカさん」


 そうして三人は他愛のない会話を織り交ぜながら、朝食を食べ進めていく。

 殆どはケルトーが平らげていたが、ラパンも充分に腹を満たした頃には、テーブルの上の料理はどれもすっかり綺麗に片付いていた。

 

「そういえば、今朝聞いたんだけどね」


 食後にとアルカが煎れてくれた紅茶を二人が飲んでいると、洗い物を終えて戻ってきたアルカがエプロンで手をふきながら話し始めた。


「今、緊急依頼が来てるらしいよ」

「へえ? どんな内容だ?」


 ケルトーは紅茶のカップを置いて興味深そうに尋ねる。

 アルカにとってその反応は予想通りだったらしく、苦笑を浮かべながら言葉を返した。


「キメラが出たんだってさ」

「キメラ? はー……また珍しい奴が出たな」

「まあ目撃情報だけで実際に被害はまだ出てないらしいけど。……ガルー、受けようとか思ってないだろうね?」

「んなわけねえだろ? 目撃情報だけってことは情報収集からじゃねえか。そんな面倒は御免だし、此奴もいるんだから長期滞在する気もねえよ」


 そう言うとケルトーは椅子の背もたれに寄りかかり、隣で二人の会話に付いていけず、きょとんと小首を傾げていたラパンの頭をぽんっと撫でた。


 ***


(ええと、忘れ物は無いよね……?)


 二階の部屋に戻ってきたラパンは、必要そうな物だけをリュックに詰め直して城下町に出る支度をしていた。と、こんこんと控えめにドアを叩く音が鳴る。


「フィーユ、今入ってもいいかい?」

「あ、はい」


 聞こえてきたのはアルカの声だった。

 返事をしたラパンは抱えていたリュックを一旦ベッドに置き、ドアを開けてアルカを出迎える。

 

「支度している時にすまないね。これ、渡しておこうと思ってさ」


 そう言ってアルカが差し出してきた掌には、薄紫の小さな袋が乗っていた。口の部分は青いリボンで締められている。

 突然の贈り物に戸惑ったラパンがその小袋とアルカを交互に見やれば、アルカは赤茶色の瞳をにんまりと細めて笑った。


「お守りだよ。フィーユは可愛いからね」

「あ、有り難うございます……?」


 とりあえず自分を気にかけてくれているのだという事は分かったので、ラパンは頭上に大量の疑問符を浮かべながらもその小袋を素直に受け取る。

 アルカもそれで満足したのか、笑顔でうんうんと頷いて階段を下りていった。

 その後ろ姿をぽかんと見送ったラパンだったが、ふと鼻を掠めた匂いに気付き、その匂いが自分の手の中にある小袋からだと分かると、そっと鼻先を近付けた。


(これ、香り袋だ。……何の花だろう?)


 長年森にいたという事とサーヌの植物の手入れを時折手伝っているラパンは軽く眉を寄せ、小袋からほんのりと放たれる爽やかで染み渡るような香りの正体を予想する。

 そして何故、アルカがこれを自分に「お守りだ」と渡してきたのかとその場で考えていると、隣の部屋のドアが開いて支度を終えたケルトーが出てきた。


「何してんだ? そろそろ出るぞ」

「あ、は、はいっ」


 声を掛けられてハッとしたラパンはリュックを取りに慌てて部屋の中へ戻る。

 椅子の背もたれに掛けていたケープを羽織るとしっかりとフードを被り、着替え等を出したお陰で少し軽くなったリュックを背負うと、最後にワンピースのポケットに香り袋をしまった。


「お待たせしました」

「ん、じゃあ行くか」


 部屋から出てきたラパンがきちんと支度を済ませているのを見て、ケルトーは一つ頷いてから階段を下りていく。

 二人が一階に下りるとカウンターにアルカが座っていた。アルカは二人の姿を見るとにこりと笑い、片手を挙げて軽くひらひらと振った。


「行ってらっしゃい。あまり遅くならないようにね」

「おう」

「はい、行ってきます」


 アルカの笑顔に見送られて、二人は宿屋を出る。

 空は昨日と同じようによく晴れていて、遠くの方からは風に乗って大通りの賑やかな人の声が聞こえてきた。


「ラパン、はぐれんじゃねえぞ?」

「き、気を付けます……」


 昨日通ってきた人混みを思い出したのか、ラパンの顔が少し強ばる。

 それを見たケルトーは小さく笑い、自分のマントをしっかりと掴んだ手を確認してから歩き出したのだった。



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