忌み嫌われた救世主
「おい、起きろ」
「んにゅ……?」
頬をぷにぷにと突かれてラパンはゆっくりと目を覚ました。起き抜けでぼやける視界には茶色い天井と、自分を見下ろしているケルトーの顔が映っている。
ほんの数秒の間、目覚め切らない意識の中でぼんやりと灰色の瞳を見つめていたラパンだったが、ケルトーがもう一度「おい」と声を掛けると、その寝ぼけ眼をぱちっと漸く完全に開いた。
「あ、お、おはようございます……?」
「いや、まだ朝じゃねえから。夕飯の時間だから下に来いってよ。行くぞ」
「は、はい……」
寝ぼけていた姿を見られてしまった恥ずかしさに頬を赤らめながらラパンはベッドから下りて、椅子の背もたれに掛けっ放しだったケープを手に取る。と、それに気付いたケルトーは振り返って言った。
「ああ、此処では隠さなくていいぞ」
「えっ?」
「アルカは何も詮索しねえし言わねえからな」
そう言うとケルトーは先に部屋を出ていった。
ラパンは小首を傾げるも言われた事を信じるしか無いので、とりあえずケープを元の位置に戻して廊下に出る。
きしきしと微かに軋む階段を下りて行けば、美味しそうな匂いがふわりと漂ってきた。
「アルカ、起こしてきたぞ」
ケルトーに続いて入った部屋はどうやら食堂のようだった、と言っても大きめの四角いテーブルと椅子が六つしか置いておらず、直ぐ傍に見える狭いキッチンも一般家庭と何ら変わりない。
自分が両親と住んでいた家に何処となく似ているな、とラパンが思いながら部屋を見回していると、キッチンに立っていたアルカが料理を乗せた木のトレイを持ってやって来た。
「ぐっすり寝ていたみたいだね、フィーユ」
「……あ、は、はい。ごめんなさい」
「謝る必要は無いさ。フィーユくらいの子は沢山寝て、沢山食べなきゃいけないもんだからね」
フィーユという名前が自分の事だとラパンは一瞬分からず、返事をするのが遅れてしまった。
しかしアルカは特に気にする様子も無くにこっと笑い、運んできた料理を次々とテーブルに並べていく。
こんがりと焼けたビーフステーキに、器いっぱいに盛られて湯気を立てる皮付きのフライドポテト。大きめに切られて煮込まれた色とりどりの野菜達はバターの香りをほんのりと漂わせている。
程良く焦げたチーズが乗せられた琥珀色のスープは見た目からして食欲を煽り、中央に置かれた籠には狐色のバケットがどんと盛られていた。
テーブルの上に所狭しと並べられた料理を見て、ラパンはその光景に圧倒されながらも、初めて屋敷で食べた夕食を思い出す。
「ガルーはよく食べるからね。つい作りすぎちゃうよ」
「この宿に泊まってる理由の半分は飯だからな」
「おや? 嬉しい事を言ってくれるね。さ、フィーユもそんな所に突っ立っていないで席に座りな」
「は、はい」
アルカにそう促されたラパンは、先に座っていたケルトーの隣にちょこんと座る。
「私も一緒に食べさせてもらうけど、良いかな?」
「も、勿論です」
「うん、ありがとね。さあさ、冷めないうちに召し上がれ。足りなかったら遠慮はいらないよ」
二人の向かい側に座ったアルカの言葉を切っ掛けにして、案の定ケルトーが真っ先に料理に手を付け始めた。
一口大よりも大きめに切ったビーフステーキに豪快にがぶりと食らいつき、口端に付いた肉汁を舐め取りながら満足そうにもぐもぐと頬張る。
そんな勢いのある食べ方にアルカは大口を開けて笑った。
「あっはっは! 相変わらず良い食べっぷりだね! フィーユも負けずに沢山食べな!」
「えっ、あ、が、頑張ります……」
「食い過ぎて腹壊すんじゃねえぞ?」
「おや、それはガルーにも言える事じゃないかい?」
「俺は生肉食ったって平気だっての」
「へえ! じゃあ明日の朝は生肉にしようかね」
「……それはやめろ。好き好んでは食いたくねえ」
眉間にこれでもかと皺を寄せて明らかに嫌そうな顔をしたケルトーを見て、アルカはまた盛大に笑い声を上げる。
まるで屋敷にいるような賑やかさにラパンはそっと安心感を覚えながら、まだ少し熱いフライドポテトを小さな口でほくほくと頬張った。
「そういや、明日は二人はどうするんだい?」
夕食を食べ始めて少し経った頃、いつの間にか食卓に混ざっていた酒瓶を片手にアルカがふと二人に問いかけた。
玉ねぎの風味が香ばしいグラタンスープを飲んでいたケルトーはその問いに、とろけて伸びたチーズを器用にスプーンで巻き取りながら答える。
「明日は依頼受付所に行って、依頼受けてくるつもりだ」
「おや、フィーユも魔物ハンターだったのかい?」
「いや違う。此奴はただの連れだ」
「え? じゃあ同行させるのは流石に危ないだろう」
「大丈夫だ。つーか一人にする方が危ねえし」
「ふむ……。まあ、ガルーとなら余程の事が無い限りは安全か。でもあまり無茶な依頼は受けるんじゃないよ?」
「わーってる。つか、俺にも酒くれよ」
巻き取ったチーズを口に収め切ったケルトーはスプーンを唇に挟んだまま、アルカの手にある酒瓶に手を伸ばす。
が、アルカはその手をぺしんと軽く叩いて留めさせると、酒瓶をテーブルの隅に置いて席を立った。
「意地汚い事するんじゃないよ、全く……。ちゃんと新しいのを出してあげるから待ってな」
「おう、あと何か摘めるのもくれ」
「はいはい。相変わらず注文が多いね」
呆れたように肩を竦めるアルカだったが、その表情は楽しそうに緩んでいる。
キッチンに向かうその姿をバケットを頬張りながら見送ったラパンは、今のうちにと気になっていた事をケルトーに尋ねる事にした。
「あの、ケルトーさん。聞いてもいいですか?」
「ん? 何だ?」
「ええと……ガルーって……」
「ああ、それな。あー……何て説明すりゃいいか。今の話の中で出てきた『魔物ハンター』ってのは分かるか?」
「あ、はい。前に書庫の本で読みました」
聞き覚えのある言葉にラパンは頷く。
以前、屋敷の地下の書庫で色々と読み漁っていた中に、その事が記された本があったのをラパンは覚えていた。
『魔物ハンター』とはその名の通り、動物ではなく魔物を対象とした狩人を指す。
この世界では何らかの理由で凶暴化したり、異常な進化や変化を遂げた生き物を纏めて『魔物』として扱っている。
魔物の中には知性を持って魔法を使ったり、桁外れの力や生命力を持っている者もいて、一般の人間には手に負えないものが殆どだった。
そんな魔物を退治するのを生業としている者を、世間では『魔物ハンター』と呼んでいるのだった。
「それを知ってんなら話は早い。俺の本名は魔物ハンター達にバレると面倒くせえんだよ」
「……何でですか?」
自分なりに考えてはみたものの、頭の中で内容を上手く関連づけられなかったラパンは不思議そうに小首を傾げる。
そんなラパンをケルトーはちらりと一瞥してから、口角だけを僅かに上げて言った。
「魔物ハンターにとっちゃ、狼男も標的に入る」
「……っ!」
散らかったテーブルの上にぽつりと落ちた言葉にラパンは深紅の瞳を大きく見開き、そして小さく息を飲んだ。
その反応は予想していた通りのものだったのか、ケルトーはくつくつと笑いながら言葉を続けていく。
「そんでもって俺は他の狼男に比べて、やたら名前が知れ渡っちまってるからな。バレたら絶対に面倒くせえ事になる。だから偽名を使ってんだよ」
「…………」
「ま、見た目が知れ渡ってないから助かってるけどな。他の仕事は好き勝手に出来ねえからやりたかねえし」
「はい、お待たせ。簡単な物だけど充分だろう?」
ケルトーがそこまで話した時、アルカが未開封の酒瓶と新しい料理を持ってテーブルに戻ってきた。
酒の肴として出された皿には薄く切ったバケットに焼いたベーコンが巻かれ、その上に粗挽きされた黒胡椒がまぶしてある。
ケルトーは嬉しそうにその料理を覗き込みながら、お待ちかねだった酒瓶に早速手を伸ばして蓋を開けた。
「お、美味そうだな」
「美味そう、じゃなくて美味いんだよ。で、フィーユにはこっちをあげようかね。好きなんだろう?」
「え? ……あっ」
アルカが出してきた皿に乗っていたのは、ラパンが好きなガレットだった。但し、普段屋敷で食べている丸形の小さな物とは違ってケーキのように三角形に切り分けられている。隙間から所々覗いているのはクルミのようだった。
どうして自分の好物を知っているのかと目線で問いかければ、アルカはにんまりと笑って顎の先でラパンの隣をちょいと指した。
「そこの酒好きが夕飯前に言ってきたんだよ。『彼奴はガレットが好きだから作ってくれ』ってね」
「……えっ?」
その言葉に思わず隣を向けば、何食わぬ顔で酒瓶に口を付けているケルトーの横顔があった。
ケルトーは紅い瞳をぱちくりさせて自分を見つめてくるラパンを横目で見ると、その口元をにやりと悪戯っぽく歪める。
「お前、今日一日で結構疲れただろうからな。明日へばらねえように好きなもん食って回復しとけ」
そう言ってケルトーは再び口を酒瓶で塞いでしまう。
その横顔を少しの間見つめていたラパンだったが、やがてフォークを手に取ると、まだ温かいガレットを一口大に切ってぱくりと頬張った。
素朴な甘みとクルミの香ばしさが口内に広がって、それはパティの作るガレットに負けず劣らすの味だった、が。
《魔物ハンターにとっちゃ、狼男も標的に入る》
先ほどケルトーが言った言葉が、ラパンの胸をきゅうと締め付ける。
(……ケルトーさんは、怖くないのに)
退治されるべき存在。忌み嫌われる存在。
囚われていた自分を救い出してくれた彼が、世界にとっては排除されるべき者だと認識されている。
それがラパンにとっては悲しくて切なくて、どうしようもなく苦しかった。
噛み締めたクルミの渋味が、少し強くなった気がした。
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