図書室
秋が深まると日没が早くなる。体育祭が終わった頃から私達の学校ではPTAから選ばれた保護者や教師が図書室で居残っている生徒達を家まで送ってくれる。春から秋の前半までは日没が遅くて生徒達は好き勝手に帰っていく。けれども冬になると暗闇で待ち伏せしている犯罪者が出てくる。防犯の為にも誰か大人が送らなければならなかった。小学校低学年は一年中、大人に送ってもらっていた。昼間でも変質者が出てくることはある。
図書室で自習や読書している生徒達は特に反発せずに集団下校する。送ってくれる大人は祖父母世代の年寄りだったり、両親より若かったりする。大人達の中には生徒達の親や祖父母だけでなく、学校の近くで働く障害者や自営業の人もいた。私達は下校のオジサン・オバサンと呼んでいた。若ければ下校のお兄さんお姉さん。知的障害者や精神障害者、聴覚障害者や視覚障害者。介助者と一緒の時もあれば慣れてくると一人で私達を送ってくれる。最初は正直、どう接すれば良いのか分からず、私は少し怖かった。知的障害者のお兄さんは時々唸るし、精神障害者のお姉さんは時々歌う。けれども暗闇で一列になって歩くと一体感がわいてくる。少しずつ打ち解けるようになった。聴覚障害者のオジサンは携帯電話のメール画面で言いたい事を話すし、手話も教えてくれる。視覚障害者のオバサンは杖を叩きながら耳をすます。飛び出しやふざける生徒達に敏感に反応して注意する。美容院や床屋やコンビニやレストランの店長、いかにも子どもが好きな専業主婦、会社を退職した老人。下校のオジサン・オバサンとはとりとめのない話をした。
下校のオジサン・オバサンは毎日同じ人ではなく代わる代わる輪番で担当していた。毎週月曜日と水曜日の担当もいれば、金曜日だけの人もいる。私達は町村ごと丁目ごとに分かれて班になり、下校する。毎日同じ道順で帰る班もあれば、違う道順で帰る班もある。
下校のオジサン・オバサンの中には職場体験やボランティアを受け入れてくれる場合もあった。私達が特別授業で個人経営の店や障害者の施設に見学すると、笑顔で迎える。顔見知りだから話しかける場合もあるし、依怙贔屓を嫌って他人行儀な場合もある。
私達の学校の図書室は広くて全校生徒の一割から二割がたむろしている。混んでいるが皆、静かにしている。時々、教職員が巡回するし、下校のオジサン・オバサンが早めに来てそっと様子をうかがっている。私達は案外恵まれているのかもしれない。図書室にたむろしている生徒達は放課後すぐに帰りたくても帰れない事情のある子が多い。けれどもそれとなく居場所がある。母親が専業主婦だったり、友達が多くて自由に遊べたり、塾で勉強出来たり、祖父母にかまってもらったりする生徒達を私達はあまり羨ましいとは思わなかった。
私達は図書委員の生徒達よりも遅くまで図書室にいる。図書委員は返却された本を確かめたり、本を書棚に戻したり整理したりしている。私達が本を借りる時は図書委員に見せる。図書委員はメモしたり判子を押したりする。図書委員が帰った後は返却箱に本を返したり、閲覧したら元の位置に戻したりした。下校のオジサン・オバサンが来たら簡単に掃除をしたり後片付けをする。放課後すぐに図書委員が掃除をするが、残っていた私達が最後にまた整理整頓する。
新しい本がどんどん入ってくる。注文するのはだいたい工藤先生だった。よく図書室の掲示板に工藤先生が書いた書評が貼られていた。工藤先生は図鑑や伝記や歴史や古典を紹介していた。図表が沢山ある自然科学の入門書もある。生徒達から依頼されると小説やライトノベルや漫画も注文する。小学生向けの本と大人向けの本の両方が入ってくる。科学雑誌や経済雑誌や新聞もある。
私は伝記をよく読んだ。科学雑誌や経済雑誌はぼんやりと眺めた。読書家の生徒達は様々な本を読んだ。辞書みたいな図鑑を熟読したり、いかにも難解な古典に挑戦したりした。活字化されているが源氏物語や太平記や特攻隊の手記の原文だったり、その解説書だったりした。
古くなった本は欲しい生徒達に抽選で譲られた。難解過ぎて敬遠された本は工藤先生が引き取った。一番人気なのは小説とライトノベルだった。
たまに歌集も入ってきた。詩や短歌や俳句。注文したのは工藤先生だったり柳澤先生だったりする。柳澤先生も注文する。柳澤先生が紹介する本は反差別と反戦を主題にした作品が多かったセクシャルマイノリティや障害者や先住民や貧困層や部落出身者の悲しい物語。日本には卑劣で残酷な差別の歴史がある。戦争反対。憲法九条守れ。国境を無くせ。誰とでも対話しろ。確かに戦争は私も嫌だ。
本によっては特攻隊員は国と国民と自分の名誉の為に死んだ。逆に国や軍部の命令で嫌々犬死にした。どちらが本当なのか私には分からない。憲法九条を変えたら海外の国々が怒るのか、それとも日本は自分の国を守れるようになるのか。私には分からない。本を読むほど知識が増えて頭が良くなる。いろんな事が分かって頭がスッキリする。けれども私は少し本を読んだだけでそうはならなかった。
ウィンストン・チャーチルやマルコムXやフローレンス・ナイチンゲールやマーガレット・サッチャー。伝記を読んだ方が感動する。難しい政治の話は分からないけれど偉人の話は面白い。私は宿題と復習の後に時間があると本を少しずつ読んだ。
読書家の生徒は集中力が際限無かった。三年生の女子が難解な古典の本を半月で読み終えたり、五年生の男子が大人も読むような小説を一日で読破したりした。どちらも私が挫折した本だ。下校中に二人は本の内容を熱心に語っていた。しっかり理解しているのだろう。
書棚の隅にファイルが何冊か置かれていた。パソコンから印刷した紙をファイルで止めてある。どれも百ページ以上はある。工藤先生が英語圏や中国語圏の書籍から翻訳したファイルだった。原文の著者と題名が一ページ目に大きく書かれている。ゴルダ・メイアや丁玲など、女性の伝記があった。読んでみるとなるべく平易な文章で書かれていた。原文では省略されていた時代背景も括弧をつけて解説されている。おそらく日本では翻訳されていない本を先生の自己流で訳したのだろう。著作権に抵触しているのではないかと疑問に思ったが、最後のページで一応、出版社から許可を得ていると書かれていた。教師は偉いな。翻訳も出来るんだ。と、当時の私は無邪気に思った。よく考えれば翻訳は非常に手間がかかるし才能も問われる作業だ。
私が工藤先生にファイルの事を誉めると工藤先生は一瞬目を丸くして、
「まあ、読んでくれたんですね。今度は英語を勉強して原文を読んでみましょう。すぐにとは言いません」
私は曖昧に返事をした。
先生のファイルから、世界にはとんでもない女傑が沢山いる事を知った。イスラエルのゴルダ・メイアは本当に女傑だ。また、アメリカの黒人活動家の中には女性も何人かいて、実は彼女達が世界を動かした。日本でももっと知らされるべきだろう。私がファイルを読んでいると読書家達も興味を持った。
私の住む市町村には図書館が何ヵ所もあったが、どこも私の家からは遠くて学校の方が近かった。学校の図書室の方が私には馴染みがあって気楽だった。私が図書館を利用するようになったのは中学生になってからだ。私の通っていた中学校はそれほど広くなくて充実していなかった。下校のオジサン・オバサンもいない。小学校の時に図書館には数えるほどしか行っていない。祖父母が介護を必要になる前は本に興味がなかったし、その後は学校の図書室でたむろしてて事足りていた。図書館には一般人では入手できない貴重な本が多いと思っていたが、意外とベストセラー小説が多かった。そんな小説が悪いとは思わないけれど、拍子抜けをした。政府刊行物の白書や学術雑誌や文学全集は確かにあったが目立たない所に置かれていた。
私の通っていた小学校は逆で小説と漫画は奥に、古典と科学書や図鑑は目立つ所に置かれていた。白書もさりげなくあった。背表紙を眺めるだけで面白かったし時間も潰せた。文字を覚え始めた一年生向けの絵本もちゃんとあったし、読書家向けの堅い本もあった。生徒達は宿題を終えると自分に合った本をじっくり探す。
工藤先生と柳澤先生の二人が図書室を管理していた。私達に本の世界を導いたのは二人の先生である。




