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工藤先生  作者: 加藤無理
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4/13

夏休み


 夏休みの間、私は母の手伝いをしていた。父は相変わらず仕事で忙しく、時には日本国外を出張していた。私も母も家族旅行を期待しなかった。


 私達は私が生まれる前から父方の祖父母と同居していた。私が赤ん坊の頃は祖父母が私の面倒を見ていた。この時も父は仕事で忙しく、母も仕事をしていた。祖父母は両親の悪口を言わなかった。ひたすら孫である私を可愛がった。熱が出れば病院に連れていき、元気なら遊び相手になる。家事は祖母がやり、その間に私が余計なことをしないか祖父が見張っていた。状況が変わったのは私が小学校三年生の時だ。祖父が癌になって入院した。手術は成功したが少しずつ弱くなった。祖母もつられるかのように衰えていった。母は仕事を止めて祖父母の介護をすることにした。


 まだ私は小学生だったが祖父母も両親も晩婚だったので祖父母は八十近かった。祖父母は母から仕事を奪うことになったので申し訳なさそうにしていた。明るかった二人がよく泣くようになった。


 母は祖父母が娘である私の面倒を見てくれていたので憎むどころか介護を頑張った。けれども重労働には変わりない。時々、訪問介護士に来てもらって教わっている。


 体力も落ちて祖父は認知症すれすれで物忘れが酷くなっていた。祖母は頭は冴えているが体力が落ちている。祖父を見てよく涙を流す。母は励ます。


 私は母の言われた事を不器用ながらもやっていく。洗濯物をネットに入れてそれを洗濯機に入れて動かす。終了したら干す。乾いたらたたむ。母に言われた通りに食糧や日用品を買う。しまう。炊事の時は野菜や肉を切る。母と調理をする。料理は柔らかくて食べやすいものが多い。盛り付ける。祖父母と食べる。食後は食器を洗って片付ける。自分の部屋だけでなく祖父母の部屋や廊下も掃除をする。掃除は苦手だ。母によく注意される。母と一緒に祖父母の便所トイレや入浴の介助をする。


 忙しい。母は私に早起きさせて学校の宿題をさせる。夜に祖父母が落ち着いたら私は千夏と桐乃にメールを打つ。帰宅した父に寝るようにと注意される。思いきって遊べないが、つかの間のひととき。


 母方の祖父母は二人きりで生活している。七十歳前後だが元気そうだ。時々、近所に住んでいる伯父夫婦が様子を見に行っているそうだ。


 父方の伯父夫婦は郊外で養鶏所を経営している。伯父達もそれを手伝ういとこも多忙なようだ。


「老人ホームに行けたら良いのに」

 祖母が悲しそうな顔で言うと父は、

「高いんだろ。ものすごく重度じゃないと入れないみたいだし」

 祖母は肩をすくめて、

「でも嫁と孫の足を引っ張るなんて……」

 父は苦い顔をして、

「そんな言い方、頑張っている久江達に悪いぞ」

 感謝しないで横柄な態度を取られるのも嫌だが、卑屈な態度も嫌だ。父の言う通りだ。祖母には笑ってほしかった。祖父は少し横柄だが最近は笑顔を取り戻してきている。そっちの方が気楽だ。祖母の心配の通り、確かに介護は辛い。老人ホームで面倒を見てもらって私達が時々面会すれば互いに気楽なのかもしれない。それに私と母の素人しろうとの介護より、介護士による介護の方が間違いはない。訪問する介護士から何度も「それは危ない」「それだと皆怪我する」と注意される。同時に私が意気消沈いきしょうちんしていると、励まされる。

「まだ小学生でしょう。無茶しなくて良いんだよ」

「こういうのは大人に任せて時には遊びなよ」

「本当に偉いね」


 話を知った千夏はメールや電話で、

「手伝おうか?桐乃も誘おうか?」

 と、提案した。だが私は断った、

「お婆ちゃん達がすごく遠慮するから断るよ。それに本当に介護や家事は大変だよ。お勧めしない」

 桐乃は、

「お節介だね、千夏は。私は久江の愚痴を聴いてあげるよ。もちろん皆には内緒にしておく」

「ありがとう」

 私は返信した。二人の存在はありがたい。


 夏休みの間でも週に一・二回は水泳の授業があったし、登校日があった。その日は介護と家事の手伝いはせずに学校に行った。桐乃や千夏とじかに会えて安心する。佐藤は登校したりしなかったりしたが会えば再会を喜んだ。私は水泳は苦手だが好きだった。千夏と佐藤もそうだった。桐乃は運動神経が良いのでスイスイと早く泳げた。


 工藤先生は日焼けを気にしているのか露出度の低い水着を来ていた。先生は平泳ぎは上手いがクロールが苦手だった。先生がクロールを教える時は上手い生徒を泳がせて手本にさせた。腕や足や息継ぎのコツを解説する。それで新たに上手くなった生徒が何人も出てきた。むしろ先生が得意なはずの平泳ぎよりもクロールの方が教え方が上手かった。


 私は月経の時でも水泳に行ったがその場合は見学で我慢した。保健体育の授業で習ってはいたものの、いざ初潮になると慌てた。この夏休みのすぐ前から始まって、保健室に駆け込んだ。保健室の先生からナプキンをもらってまた便所に入って装着する。


 休み時間が終わっても教室に戻らなかった私を工藤先生は心配していた。

「大丈夫?休んだ方が良いのでは?」

「大丈夫です」


 月経になると佐藤は絶対に登校しなかったし、千夏も水泳の見学の為だけに来なかった。桐乃は登校したが悔しそうに眺めていた。

「男子はずるい」

 男子達も月経中の女子を羨ましがっていた。丁重に病人扱いしてもらえるからだろう。


「女子や女性は大事な所から毎月出血するのです。それはとても面倒臭いし辛いのですよ」

 工藤先生は男子達にさとした。大半は黙るが、

「男だって朝になったら精液が出て大変なのに」

 と、食い下がる男子もいる。それを聞いた私達女子は不快になった。生々しい。千夏も桐乃も手で口を塞いで彼を睨んだ。

「そうですね。男も女もそれぞれの苦労があります。だから羨ましがったり茶化してはいけません。特に男子は紳士になりましょう。女子はか弱いのです」

 工藤先生がまた諭した。男子は力なく、

「分かりました」

 私は少し意外だった。他の先生もテレビに出てくる大人達も男女平等を謳っている。それどころか、

「本当は女は強い。女は頑張って社会進出しなければならない」

 と、女性をあおっていた。


 工藤先生は女子の言動を制限しているわけではなかった。女の子なんだからしとやかに、女ははしたない事をするな、男に譲れ、そんな事を先生は言ったことがない。どちらかといえば無茶をして心身壊れないかと心配していた。体育や喧嘩で男子達と張り合う女子何人かを見て、

「怪我をしたら元も子もありませんよ」

 と、注意する。逆に本人が心身丈夫で才能があると分かるとあっさり引き下がる。


 旅行にも遊びにも行けなかったが、充実した夏休みだった。盆休みには養鶏所を営んでいる伯父といとこが私達の家に来た。伯父には高校生の娘と中学生の息子がいる。私のいとこでもある。今回は息子の方が来た。伯母ともう一人のいとこは養鶏所の仕事で出られなかった。


 祖父は物忘れが酷くなっていたが、伯父といとこを覚えていた。けれども弱った祖父母を見て二人は悲しそうな顔をした。伯父は自分達が育てた卵を母に渡しながら介護を労った。母が嬉しそうに受けとると、和室に行って仏壇に線香をあげる。祖母も和室に行きたがったので私は祖母に肩を貸して連れていった。それを見たいとこが更に暗い顔をした。伯父は私に、

「久江ちゃんも手伝ってるのか、偉いな」

 と、労った。いとこと私と祖父は居間に残され、伯父と両親と祖母は和室にこもって話し合いを始めた。祖父はいとこに色々と質問した。勉強はどうだ、身体の具合はどうだ、養鶏所の手伝いは辛くないか、家族とは仲良いか、将来はどうしたいのか。いとこは勉強よりも養鶏所の手伝いが気楽だ。重労働だが慣れているので元気だ。姉と父は厳しいが母が仲裁に入る。将来は決めていない。姉が家業を継ぎたがっている。私はあまり会話に参加しなかった。祖父といとこばかり話す。つまらなくはなかったが、距離を感じた。祖父は何度か同じ質問をする。いとこは戸惑いながらも同じ答えをする。


「久江こそこれからどうするんだ?」

 突然、いとこが話しかけてきた。私は驚いてすぐには答えられなかった。いとこは、

「介護士にでもなるのか?」

 私は、

「多分ならない。私は大学に行きたい」

 祖父は、

「何を学ぶんだ?」

 私は咄嗟に答えられなかった。いとこは、

「俺も進路を決めてないけどさ、周りに流されるなよ」

「うん」

 私は曖昧に返事をした。


 しばらくすると、祖母達が居間に入ってきた。祖父は祖母に、

「結局どうなったんだ」

 祖母は軽いため息をついて、

「今すぐじゃないけど、私達は老人ホームに入るのよ」

 祖父は悲しい顔をしたが、反対しなかった。


 この後実際に私が中学二年の時に祖父母は老人ホームに入り、私達三人は父の会社のある東京に引っ越した。住んでいた家は誰かに貸している。戦地から帰ってきた祖父が必死に稼いで建てた家だった。


 祖母は胃ろうを断固拒絶した。身体に沢山の管を刺して不自由な生き方をするより、あっさりと最期を迎えたがった。両親と伯父、いとこは苦い顔をした。私は何となく祖母本人の意思を尊重すべきだと思った。


 結局、私が高校生の時に祖父母は延命措置をせずに息を引き取った。家族に判断が委ねられるので、父達は断腸の思いだっただろう。祖父母の死は案外受け入れられた。祖父母が死と向き合っていたからだろう。私は何となく自分も延命措置をせずに人生を終えようと決めた。相続問題はほとんど起きなかった。祖父母が録音機で細かく意思を伝えていたからだ。私はぼんやりしている時、祖父母を思い出す。二人を思い出すと更に工藤先生の言葉が浮かぶ。


 人は死ぬ為に生きている。

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