卒業式
冬休みが終わって三学期。卒業文集委員が忙しくなった。学級会や朝礼で卒業文集委員が私達に色々と提案したり催促したりした。どの写真をどのように載せるか。どんな文を書くか。表紙や図表を誰がどのように描くか。他の学級では将来の夢が題材になっている所が多いようだ。私達の学級は過去六年間を振り返った文章をそれぞれ書くことにした。文章が苦手な生徒は絵で表現しても良い。私は図書室や祖父母の事を書いた。私達の書いた文章を工藤先生は添削した。私達が書き直してまた工藤先生が添削。それを三回ほど繰り返した。
授業は相変わらずだ。試験と先生の熱心な講義。私達は分からない事があれば質問する。質問が長くて多い生徒はメールや手紙で質問して後で答えてもらう。
一月が終わり二月になると卒業式の練習が始まる。体育館に全学年が集まって行進したり整列したりする。歌も歌う。校歌だけでなく、「蛍の光」「贈る言葉」「翼をください」を柳澤先生の厳しい指揮の下、私達は歌った。姿勢正しく腹の底から真面目に歌え。口を大きく動かせ。柳澤先生が指導する。私達は真面目にやっているつもりだったが、先生は少し不満ではあった。どうせ歌うならば国歌斉唱だろう。けれども学校の選挙の結果、君が代は歌わない。
日本国籍ではなかったり、日本国籍でもコリア系・中国系・ブラジル系の生徒は何人かいる。君が代を嫌がる気持ちも分からなくはないけれど、日本で暮らし続けるのだから歌っても良いのではなかろうか。嫌なら無理に歌わなくて良いけれど、歌いたい生徒を歌わせて欲しい。君が代は確かに皇室の存続を願うだけのつまらない歌。けれども他国の不幸を願っているわけでもない。君が代を避ける学校の対応も分かるけれど、学校が歌わせる歌も私にはあまり親しみを持てなかった。祖父が時々歌う「日本陸軍」の方が実は私は親しみがあった。けれども気色悪がられるので桐乃にも千夏にも言っていない。
卒業式の練習の頻度が少しずつ多くなっていく。週に一回から二回三回と増えていく。時には全校生徒が集まる事もあった。六年生以外は退屈でしかないが、それなりの態度で参加していた。工藤先生の姿を見かけると生徒達は興味津々に目で追っている。独特の雰囲気を感じ取っているのだろう。工藤先生はたまに微笑み返す。
怒鳴ったりしなかったが、先生達は厳しく生徒達を監督する。軍隊でもないのに行進と整列を何度もさせる。ズレていたらそれを指摘する。男子生徒達は嫌な顔をしたが言われた通りにしている。女子生徒達は首を動かさずに目配せし合っている。工藤先生はあまり生徒達を注意しなかったが、深刻な顔で直立不動だった。座る時は静かに上品に座る。私達の学級はそれに倣った。
どうせ軍隊みたいな事をするならばやはり国家斉唱しても良いのではなかろうか。軍国主義が嫌ならもっといい加減でもかまわないだろう。そんな愚痴を工藤先生に言ってみると工藤先生は苦笑いして、
「貴方の気持ちは分かりますが投票で国歌を歌わない結果になりました。それに集団には秩序がないと混乱します」
一部の生徒達は私立中学に行く。受験勉強の為に欠席しがちな生徒は何人かいた。私は公立の中学に行くので必死に自分を追い込まなかった。
二月の後半になると工藤先生の試験の頻度は少しずつ減ってきた。授業も復習が多くなった。
雪が降る。父が前々から撥水性のあるコートと手袋と靴を用意してくれていた。私はそれを履いて登校する。生徒の中には厚着なのに寒そうにしている子が何人かいた。撥水性でない手袋と靴とコートなので溶けた雪が染み込んで身体を冷やすのだ。先生は気の毒そうにそれらを暖房の近くに置いて乾かした。
長い休み時間になると生徒達は寒い中校庭に出て遊び出した。私も千夏と桐乃と一緒に雪をかき集めてカマクラを作った。撥水性のある手袋でも雪を触りすぎて結局濡れてしまった。休み時間が終わる前に校庭を見渡すと、男子達が私達よりはるかに大きなカマクラや雪だるまを作っていた。彼らは作品を自慢していた。教室に入ると工藤先生が校庭を眺めていた。私達の気配に気付くと笑顔で迎え、
「怪我した人はいませんか」
と、尋ねた。幸い私達には怪我人はいなかった。雪合戦していた生徒達も服が濡れていたが平気そうである。むしろ身体を動かしていたので暑そうであった。
「汗と雪で身体が冷えますから気をつけてくださいね」
先生が穏やかに注意した。授業が始まる。
ちょっとした雪はこの後も三月始めまで二回か三回降った。積もらなかったけれど私達生徒はうきうきした。
私の家では三月三日のひな祭りをささやかながらにした。母が子どもの時に飾っていた雛人形を和室に飾った。父は相変わらず忙しかったが、団子を買ってきた。
気が付くと卒業式。その頃はまだ肌寒かったけれども春の気配はしていた。晴れると温かいし梅も咲いている。この日は父が祖父母の様子を見ながら珍しく留守番してて、母は保護者として式に参加した。
一年生から五年生まで学年ごとに合唱していく。最後に私達六年生の合唱。その後に新しい雑巾や粘土で作ったペン立てが六年生に贈られた。後輩達の手作りだ。私達も去年まで似たような事をしていた。それが終わると後輩達は体育館から行進しながら出ていった。
一人一人卒業証書を校長から直接もらっていく。保護者達や教職員の見ている前なので緊張した。六年生は百人以上いたので時間がかかったはずだが、私は緊張しててあまり退屈を感じなかった。途中で三人ほど体調不良で保健室に運ばれた生徒もいた。それ以外の事件はなかった。涙を流す生徒はいたけれど、私達の学級は落ち着いていた。
卒業式が終わると私達はまた整列を組んで体育館から学級ごとに出ていった。教室に戻ると私達は一旦、席に着いた。式には出なかったが佐藤は座って待っていた。工藤先生が卒業証書を読み上げた後、佐藤に渡す。私達は黙ってそれを見守っていた。
工藤先生はじっくりと私達を見渡し、
「皆さん、一年間お疲れ様でした。中学生になったら更に面白い学びがあります」
と、言った。先生は微笑んでいるが自信に溢れている顔つきだ。私は単なる社交辞令ではないと分かった。
一年を振り返ってみれば色々と学んだ。覚える事も試験も多くて大変だったけれど、先生は熱心に解説してくれた。詰め込み知識だけではなくて人との距離感も学んだ。
先生は長話をせずに饅頭と卒業文集を配った。
「それでは皆さん、さようなら」
先生が言うと、最後の日直の掛け声、
「規律、礼!」
私達は立ち上がり、頭を下げると、
「先生、ありがとうございました」
と、声を合わせた。先生は感無量に頷いて手を振った。私達は教室を出ていく。泣く子はいなかった。意外とあっさりしていた。私は扉の前で振り返る。先生は視線に気付かないのか、笑顔を絶やさず、他の生徒達に手を振っている。
私は今でも先生のその姿を思い出せる。




