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工藤先生  作者: 加藤無理
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人は死ぬ為に生きている


 「人は死ぬ為に生きている」


 あれから二十年。私は警察官になった。結婚もして同じ歳の夫と四歳の娘と二歳の息子がいる。今でもこれが不思議に思える。


 警察官になった上に結婚してしかも子どもを二人生むとは思っていなかった。まったりした民間の独身貴族も悪くないが、治安維持を担いながら家庭を築いていくのも悪くない。警察は激務だし家事も育児も大変だ。夫や両親や職場仲間、色んな人に支えてもらって私は生きている。


 娘と息子が小学六年生になったら工藤先生の話をしよう。娘は喋られるがまだ文字は書けない。息子は二足歩行してやっと走るのを覚え始めた。紆余曲折うよきょくせつはあるだろうが二人はどんどん成長していく。やがて私達から独立していくだろう。


 物価も税金も上がる。暗い報道ばかり。家では子ども達が時々、寂しさや不条理で泣いている。不安や問題はある。時には困るが生活していくしかない。仕事も真面目にこなさなければならない。がむしゃらにやっていくうちに前に進んでいく。


 仕事で陰鬱いんうつな事件と対峙する。醜い感情と暴力。だが帰宅して子ども達の時々見せる笑顔を見ると、人生は捨てたものではないと思える。


 早朝、子ども達を保育園に連れて行って早めの出勤。職場のパソコンで報道を確かめる。私の日課だ。ある記事が目に入ってきた。私が中学二年生始めまでいた故郷にある団体が載っている。六十代から七十代の女性十三人がNPO法人を起ち上げて、子どもと親の支援をしている。家族に食糧や衣類を提供する以外に、空き家を借りて勉強する場を設けたりしている。教会や寺院と連携してバザーを開いたり、障害者や外国人を支援する団体と連携して交流会を開いたりもしている。児童相談所とも連携しており、親が虐待したり育児放棄したりすれば根気強く説得したり子ども達を避難させたりもする。


 画像には後ろ姿の子ども達とNPO法人の職員達の姿があった。学校を借りて理科の実験をしている場面だ。二十歳前から五歳くらいの子どもが、職員の手つきを見ている。職員の顔は俯いていたが見覚えがあった。工藤先生だ。白髪もシワも増え、少し小さくなったけれどもしっかりと面影がある。教える時のあの熱心な顔つきは忘れられない。記事の最後の方にやはり工藤先生の名前があった。教師として引退しても子ども達に勉強を教えているのだ。


 先生はひたむきに生きている。その姿を見ている今の子ども達は何を感じ取っているのだろう。


 生きていれば嫌な事がある。生まれてこなければ良かったと思う者もいる。そこそこの人生を歩んでも、反出生主義者になる者もいる。子どもを絶対に幸せに出来る保証がないから子どもを生まないという考え方がある。所詮、生きている意味なんてない。理想や他人の為だけにに生きているのはあまり健全ではない。享楽を追求するのもよろしくない。死ぬのが怖いから生きてるだけの者もいる。


 絶望したり度が過ぎる苦痛を受け続けると人は自殺を願う。どうせ死ぬのに何の為に生きているのか。虚無的にもなる。


 けれども殺人も自殺も駄目だ。本能的に私はそう思う。事件現場を見て被疑者の取り調べをする時に、どうしようもない悲しみに襲われる。ある程度慣れてはいるが、良い気持ちはしない。あんな血の匂いのする現場に入り、他人の尊厳を踏みにじった被疑者と会えば、「死にたい」という言葉が甘ったるくなる。


 人は死ぬために生きている。一見、虚しい響きではあるが、工藤先生の言葉を思い出すと何故だか落ち着くのだ。


 工藤先生。ありがとうございます。

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