冬休み
二学期が終わって冬休み。桐乃とその家族は神社巡りをして、千夏とその家族は父方と母方の祖父母の家に行くそうだ。私は母の手伝いだ。桐乃と千夏は私に何かあったらメールや電話で相談するように言ってくれている。ありがたいが私には母と訪問介護士がいるし、祖母の頭はまだ冴えている。
私より大変な年末年始になる生徒は何人かいる。一人親世帯や機能不全家族の子達は必死で自炊したり家事をしたりする。そんな子達を工藤先生は時々訪問するそうだ。児童相談所に頼っている子がいるが、それでも厳しい生活であることには違いない。裕福な生徒でも家の行事の手伝いをしなければならない。大掃除やおせち料理や親戚づきあい。和気藹々《わきあいあい》であれば良いが、そうでなければ苦行だ。年末年始に遊べない・休めない子どもは意外と珍しくない。私もその一人だ。全く羨ましくないわけではないけれど、必ずしも不幸というほどでもない。
私より辛い立場の子達が自分達の境遇をどう思っているかは知らない。ただ、図書室でたむろしている子達は真面目に勉強している。振り返ってみればヤングケアラーは当時からいた。
「昔も子守りや年寄りの世話をして学校を休みがちだった子が沢山いたよ。けれども今時の子ども達は遊びと勉強が大事でしょう。可哀想ね」
祖母が言っていた。
十二月二十五日のクリスマスにたまたま父が会社を休めたので、その日に私達は年末年始を祝った。おせち料理や雑煮を作らなかったが、年越しそばを母と私が用意した。クリスマス前には私と母が中心になって、ちょっとした大掃除をした。力仕事が出来なかったので隅々まで出来なかったが、それでもだいぶマシになった。
クリスマス当日には伯父といとこが来た。今回来たいとこは中学生のお兄さんではなくて高校生のお姉さんだった。伯父は私から大掃除の話を聴いて、
「言ってくれれば伯父さんが手伝ったのに、水臭いな」
と、言った。いとこは、
「父さん。そんな事を言うのは狡いよ」
私は気にしなかった。伯父一家が養鶏所で一年中忙しいのは分かっている。
祖父はいとこを覚えていた。私と母に介助される祖父母を見て、いとこは微笑んで、
「叔母さんも久江もありがとうございます」
と、労った。
祖父母と両親はいとこに近況を訊いた。進路はどうするのか。家族仲は良いのか。困った事は無いか。家業の手伝いは大変か。いとこは微笑みながら答えた。家業を継ぐつもりなので農業系の大学に進みたい。父親は心配しているが母親は応援している。弟が頼りないので話しかけると、すねる。祖父は何回も似た質問をするので祖母と父が止めに入る。いとこは嫌な顔をしない。
私はあまり会話に入らなかった。私が幼い頃は伯父一家が盆と正月に来て、いとこ達が私の遊び相手になってくれた。しかし今はそんな歳ではなかった。
「久江は小学校を卒業したらどうするの?」
不意にいとこが私に尋ねた。私は咄嗟に答えられなかった。伯父が、
「え?中学に進学するんだろう」
と、間に入ったので私は頷いた。いとこは、
「そうだけどさ、将来の夢とか無いの?」
私は特にハッキリと決めていなかった。漠然と歴史と外国語を勉強したいとは思っている。商売や入社など、経済的自立については考えられなかった。私が黙って考え込んでいるといとこが、
「どうしても見つからなかったら、勉強を頑張ってね。勉強を止めると進路の幅が狭まるから」
私は頷いた。
勉強なんかしても社会で役に立つとは限らない。早めに進路を決めてそれに突っ走れ。大学なんて時間の無駄。高卒でも良いから何かをしろ。そんな事をテレビで言う大人が沢山いる。周りの大人達も進路を決められない子達を憂えている。勉強を勧めるいとこの言葉に私は少し安心した。
「久江もあっという間に高校生になるよ。嫌と言うほど進路について訊かれる。中学生になったら高校進学か就職か。高校生になったらまた同じ。大学進学を選んでも具体的に何を学びたいかを決めなければならない」
いとこが言った。父は、
「まあ、中卒で就職する人は今でもたまにいるな」
私は不安になった。中卒で就職するのは早すぎる気がした。しかし漠然と勉強するのも良くない気がした。「久江はまだ小学生だから努力すれば何でも出来るよ。特に好きな教科が無ければ算数と理科を頑張ってね。中学生になったら英語。数学は嫌われている分、頑張ると就職に有利らしいよ」
いとこが言うと伯父は肩をすくめて、
「自分はそんなに成績良くないのに久江に説教かよ」
いとこは伯父を一瞬、睨んだ。父は、
「いいや兄さん、理数系は実際に重宝されるよ。英語も大事」
母は、
「どうしても理数系が嫌なら法律ね」
私は迷ってしまった。算数と理科は今年から好きになり始めたけれど、そんなに得意ではない。英語には興味があるけれど自信がない。国語と社会はいまいちだ。
「とにかく勉強を頑張りなさい」
祖母が言った。伯父は、
「久江はまだ遊びたい盛りだろう」
私はゲームや運動には興味が無かった。母に何度も注意されるほど不器用だが祖父母や家事は嫌いではない。遊ぶ時間があったらぼんやりして休みたい。けれども伯父の心配はありがたい。
クリスマスの日に私達は早めの年越しそばを食べた。ケーキやチキンなどの豪華な料理ではないけれど、団欒の一時。私はケーキも好きだがソバも好きなので不満はなかった。天麩羅も食べて満腹だ。単にクリスマスケーキが食べられないだけで子どもが傷付くわけではないだろう。一緒に家族と和気藹々と何かを食べられれば思い出になる。それが出来なければ確かに嫌な思い出にはなる。
年が明けた。冬真っ盛り。けれども雪は降っていない。寒さと乾燥の季節。年末年始は訪問介護は休みだったので私と母は忙しかった。祖父は介護される事に抵抗しなかったし、祖母は謝ったり礼を言ったりした。大変ではあるけれど耐えられないほどではなかった。母は器用にどこをどうして欲しいかきめ細かく確かめながら介護していた。祖父母は面倒臭がらずに答えた。こういったやり取りを怠ると互いに独りよがりになって喧嘩になる。私はそれに従って手伝う。
父は相変わらず仕事が忙しい。朝早く出勤して夜遅く帰る。私と母が忙しいので、父はなるべく自分の事は自分でした。洗濯や朝食や書斎の掃除は父自身でやっていた。
私と母は父に家事と介護をやれとは言わなかったし、父も私と母に労えとは言わなかった。祖母は私達三人に労いの言葉をかけた。
私はたまに父が過労死するのではないかと不安になった。父も私と母が家事と介護に追われて鬱状態のではないかと不安になっていたようだ。私は学校がある時は家事も介護もしないけれど、母はずっと忙しい。祖父が何度も食事をしようとしたり時々夜中に目を覚まして外に出ようとしたりする。母はそれを制して祖母が祖父を説得する。母の過労も心配だ。
母は祖父母が寝ると熱心に日記をつけていた。後に祖父母が亡くなった後、それを私達や親戚に見せた。いつどこで何を何のためにやったかだけでなく、当時母が感じた事や思った事もつづられていた。




