9話
村上は胸の焦燥を抑えきれず、通常なら関わることのない厚生労働省の**官房長・斎藤**の部屋へ足を運んだ。斎藤は感染症対策全般を統括する上級官僚である。
「失礼します。斎藤官房長、お時間をいただけますか」
村上は控えめに入室したが、その目は必死だった。
斎藤は書類に目を落としたまま、わずかに顔を上げて言った。
「君は……どなただね。官邸の案件ではないはずだが」
村上は息を整え、言葉を選びながら報告を始めた。
「現場の病院は、非常に厳しい状況です。患者は制御不能で暴れ、職員は走り回り、拘束具も足りず、破いたシーツや毛布で応急的に固定しています。逃れた患者を再び押さえつける作業が繰り返され、休む暇もありません」
斎藤は書類から目を離さず、首をかしげた。
「……厳しい状況、というのはどういう意味だね。数値で示してもらわないと、国として動く判断はできない」
村上は一歩前に踏み出し、声を強めた。
「目の前で職員が負傷し、患者が制御不能に暴れています。全員が限界の状態です。このままでは医療体制が破綻します! お願いです、官邸としても厚労省としても、今すぐ**行動**してください!」
斎藤は眉をひそめ、書類に視線を戻したまま答えた。
「村上君、君の必死さは理解するが、正式な報告書やデータなしに国が判断することはできない。手順を踏まなければ、法律上も予算上も対応できない」
村上は一度深く息をつき、諦めずに続けた。
「正式な報告書が揃うまで待つわけにはいきません! 応急的な手段でも構いません、どうか**行動**を起こしてください! 現場は今日も限界です!」
斎藤はため息をつき、書類に目を落としたまま言った。
「報告は必ず正式に提出してくれ。急ぐなら、その手順を最短で進めるしかない」
村上は無言で頷き、部屋を後にした。官庁の冷たい廊下を歩きながら、焦燥と苛立ちが胸に渦巻く。現場は待ってはくれない。制度の壁を前にしても、諦めずに手を打たなければならない――村上はそう心に決めた。




