第3章 夜更け【3】
気が付くと、黒い空間に佇んでいた。何も見えない。なんの音も聞こえない。だが、無性に不安になる空間であった。
『どうしてそんなこともできないんだ』
不快な音声が耳の奥を貫く。辺りを見回しても、なんの気配も感じない。
『どうしてお前はそんなに不出来なんだ』
――ごめんなさい。
それは、なんの考えもなく出てきた言葉だった。そう口にするのが当然のように。
『お前は邪魔だ。もう少しで上手くいくはずなんだ』
『お姉ちゃんを見習いなさい!』
――ごめんなさい。
耳を塞ぐことも許されず。ただ蹲る。そうすることでしか耐えられない。
『役立たず。弱いお前に何ができる』
『こんなこともできないなんて。本当に恥ずかしいわ!』
様々な声が重なり、不協和音となって耳の奥で響く。呼吸すら許されない。
『お前に王は務まらない。いつかキングも愛想を尽かす』
信じたくない。それなのに、まるでそれが正解のように胸中を占める。
『お前がいなければすべて終わるんだ』
――もうやめて。
『愛されているだなんて、よくそんな幻想を懐けたものだ』
ゆらりと影が揺れる。目を逸らすことは許されなかった。
『さっさと私の前から消えてくれ』
『さっさとこの世界から消えてくれ』
声が重なる。どちらが本当の言葉なのか。きっと、どちらも本当の言葉なのだろう。
ここに居ることが、きっと罪なのだ。
* * *
ようやく呼吸を取り戻すように目を覚ます。激しい心拍を落ち着けようと、荒く呼吸を繰り返す。窓の外に覗く月はまだ高く、寝室の外はしんと静まり返っている。時計を見ると、まだ真夜中だった。
(……またこの夢……)
ベッドの上で体を起こし、荒く深呼吸する。圧迫された肺に押し出されるように涙が溢れた。
(これが、キングの本心だとしたら……)
そう考えると、心臓を悪魔に鷲掴みにされているような気分だった。ただの夢だ。そう思ってみても、あの不快な声が耳から消えない。
誰か、と呼び鈴に手を伸ばして、すぐに思い留まった。この鈴を鳴らせば誰かが来る。自分の夢見が悪いだけで、誰かの眠りを妨げていいなんてことがあるはずはない。
枕に顔を埋める。そうしていれば、いつか朝が来る。
悪夢かどうか、朝が来ればすぐわかる。目の前の事実が捻じ曲げられることはなく、目に映るすべてが真実。だからこそ、この目を開くのが怖かった。あの闇が待ち受けていたとしたら。彼がそれに打ち勝てるはずはなく、きっと支配されるばかりなのだろう。そう考えると、ただ恐ろしかった。
* * *
無理やりに閉じていた目が深い眠りに落ちることはなく、コマ送りのように過ごしているうちにカーテンの向こうが白み始めた。溜め息とともに体を起こし、伸びをする。結局、よく眠れなかった。
散歩にでも行って来よう、と寝間着から着替えて寝室を出る。それと同時に、あれ、と不思議そうな声が聞こえた。
「レクス、どうしたんスか? まだだいぶ早いっスよ」
声のほうを振り向くと、ドアのそばにフィリベルトの姿がある。夜間警護のために寝室のそばに控えていたのだ。
「あ、そうか……。僕は勝手に出歩いてはいけないんだね」
「勝手にはいけないっスけど、自分はレクスの行動を制限しろとは言われてないっス。散歩に行きたいなら自分がお供しますよ」
フィリベルトの明るい笑みが、リベルの心を少しだけ軽くしてくれる。釣られて小さく笑うと、悪夢の残像が薄れるようだった。
「少し庭園を散歩したいだけなんだ」
「この城の庭園は見るだけで楽しいっスよ。自慢の庭園っス」
庭園には一度だけ足を踏み入れた。キングの行動に驚いて逃げ込んだときだ。あのときはじっくり見ている時間がなかったが、美しかったことだけは記憶に残っている。あの光景の中にいれば、少しでも夢のことを忘れられるかもしれない。




