因果は巡る
意識が戻る。
息が荒い。
全身に冷や汗をかき、胸がドクドクと煩く鳴っていた。
「……夢、だったの……?」
見慣れた天井。
まだ薄暗い部屋。
布団の横には、いつも通りのライズの姿がある。
「よかった……夢だったんだ……」
安堵の息を漏らし、クラウダはライズの手を取った。
――その瞬間、違和感に気付く。
冷たい。
まるで、氷のように冷え切っている。
「……お兄ちゃん……?」
そして、聞き慣れた声が返ってきた。
「誰が“お兄ちゃん”だって?」
その声は確かにライズのものだった。
だが――その目は、もう兄のものではなかった。
闇夜のような深紅の瞳が、クラウダを見下ろしている。
その瞳には、情も温もりも一片もなかった。
「悪いな、クラウダ。この体は、俺様がもらうぜ」
「……え?」
ぞっとする笑いが、体を震わせた。
「お兄ちゃんを……返して……」
「ん?」
「お兄ちゃんを返してッ!!」
震える声。
それでもクラウダは、勇気を振り絞って叫んだ。
何もできなくても、何かをしなければ――。
ライズの姿をした男は鼻で笑う。
「ハッ、あの時あいつはお前の代わりに“喰われて”やったんだぜ?
せっかく助かったのに、無駄にする気か?」
「お兄ちゃんを見捨てるなんて、僕にはできない!」
「……クク、兄想いな弟だな。胸糞悪い!」
次の瞬間、首を掴まれた。
壁に叩きつけられ、息が詰まる。
「がっ……!」
「生意気言ってんじゃねぇぞ、ガキが。
そんなに兄が恋しいなら、一緒に喰ってやるよ」
手が黒く染まり始めた、そのとき――
ビシィッ!
窓ガラスが震え、ヒビが走った。
続いて、バラバラと砕け散る。
突風が部屋へと吹き込み、紙や布を乱暴に巻き上げた。
空気が、一瞬で変わる。
「……これは……!」
ライズの体を乗っ取った“何か”が、険しい顔で窓の外を睨む。
「……気付いたのか、アザン……!」
(アザン……?)
クラウダの脳裏に、古い伝承がよみがえる。
――三百年前、世界を滅ぼしかけた黒竜の名。
ビリビリと空気が震え、窓の外が真紅に染まった。
天を覆うような影が、月光を完全に遮る。
「本当に、黒竜……!?」
黒い翼がゆっくりと地に降り立つ。
その姿――巨大な黒竜。
世界を焦土に変えた“災厄”が、三百年ぶりに目を覚ました。
巨大な体は煙の様に一瞬で消え去り、
その中央には黒竜と同じ鋭く、赤い瞳を持つ男が浮いていた。
艶やかな黒の短髪をふわりとなびかせて、
背中に生えた翼を一つ羽ばたかせると、
クラウダ達のいる部屋へと降り立った。
「久しぶりだな、ブラック。……ずいぶん暴れているじゃないか」
低く、静かな声。
それはまるで刃のように鋭かった。
「ほざけッ! 貴様はこの俺様が……!」
ブラックが叫ぶより早く、アザンが右手をかざす。
その腕が黒く染まり、
ライズの体の中へと滑り込む。
「……ぐ、ぁっ……!?」
ズルリと音を立て、ライズの体から黒い塊が押し出された。
それは床に落ち、液体のように広がる。
同時に、ライズの体から力が抜け、アザンの腕の中に崩れ落ちた。
「お兄ちゃんッ!!」
クラウダが叫ぶ。
アザンはちらりと少年を見やると、わずかに目を細めた。
「……なるほど。時を越えて再び“兄弟”の因果が巡るとはな」
彼はライズを抱え、背中に二対の黒い翼を広げた。
その姿は、まさに“堕ちた神”のようだった。
「待って!! お兄ちゃんを連れて行かないで!!」
クラウダは必死に駆け出す。
だが、一歩踏み出した瞬間――足元が沈んだ。
ズブリ、と。
床が、液体のように崩れ落ちる。
「な、なにこれ……!?」
足元から黒い影が伸び、
クラウダの体を掴んだ。
「やだ……やだよ!! お兄ちゃん!!!」
その声は、届かない。
アザンは振り返ることなく、窓から空へと飛び立った。
広がる翼が風を巻き、
部屋の残骸を吹き飛ばしていく。
「お兄ちゃん……!」
伸ばした手は虚しく空を掴み、
次の瞬間、
クラウダの身体は黒い液体に飲み込まれた――。
「黒竜アザン、再び動く――」
連れ去られた兄、眠っていた因果が今、目を覚ます。




