約束の炎
森はざわめいていた。まるで怯えるように。
世界最大の城下町を、黒い炎が包み込む。
――その中心で、黒竜アザンが天を裂くように咆哮した。
世界は絶望に染まっていた。今まで神として崇め崇拝してきた黒竜達がある日を境に暴れだした。
全ての黒竜は危険視され、人の手によって神狩りが始まる。
多く居た黒竜達も数を減らしこのまま絶えるのは時間の問題であったが、
しかしその内の一体黒竜の頂点に君臨するアザンは恐ろしい程の力を持ち。
街を丸々焦土へと変えると全てを怨むように現在も世界を崩壊へと導いている。
「どうやら黒竜は近くの森から、この街に向かっているらしい」
「あぁ、もう世界は終わりだな」
「お前は逃げないのか?」
「逃げた所で奴は全てを根絶やしにするつもりだ。だったら俺はここに残るね」
「そうか…じゃあ俺は行くぜ」
「あぁ、生きてたらまたどこかで会おう…」
街角ではそんな話が聞こえてきた。
「黒竜か…」
噂には聞いていたここまで早く自分達の住む町へ迫っているとは予想外だった。
「覚悟を決める時だな」
長い茶髪に青い瞳を持った男セシルドは、
買い込んでいた食糧を抱え家へと向かう、
ノブの引く手が少し重く感じる。
開き切ると抱えてるものを落とさないよう慎重に奥の机へと運んだ。
暖炉の火がパチパチと音を立てて弾けている。
その灯りに照らされてふんわりと肩に布を掛け一人の女性が暖を取っていた。
物音に気付くとゆっくりとした動作で振り返りこちらを見つめる。
その優しそうな表情のまま「おかえりなさいセシルド」と呟いた。
「ただいまリィア、食料を買い込んでおいた」
「あら、そんなにたくさん?ふふ、ご飯の準備をしなきゃね」
そう言って立ち上がろうとするのをセシルドは止めた。
「夕飯は俺が準備するからお前はゆっくり座っていろ、体に障る」
リィアのお腹は大きく膨れていた。
「そうね、じゃあお願いするわ無理して体壊したらこの子に申し訳無いものね」
愛おしく目を細め優しく膨らみに手を触れる。
「こんな時代でも希望を持っていて欲しい、誰にも優しく接する事のできる…そんな強い子になってね」
暖かな声色で包み込む様に声を掛ける。
「きっとなるさ、お前と俺の子だからな」
「そうね…きっと」
フフと笑みを向けられて、セシルドは少し顔を赤らめると視線を逸らした。
「め、飯用意してくるぜ」
「お願いね、美味しくなきゃ嫌よ?」
「善処する…」
いくつかの食材を手に持ち、セシルドは調理場へ向かった。
しばらくして良い香りが流れてくると、
両手に美味しそうな料理を持ってセシルドが戻ってきた。
温かなスープに魚のムニエルを挟んだフワフワとしたパン。それを机に置き、それぞれが席に着くとリィアはスープにそっと口を付けた。
「どう…だ?」
「ちょっと塩辛いかしら?」
「なっ、すぐ作り直してくる!」
慌てるセシルドの手にそっと自分の手を重ねると少し意地悪な笑みで微笑む。
「フフ、冗談よ凄く美味しい」
「本当か?」
「本当よ、最近任せっぱなしだったから上達したのね」
「そうか、良かった…」
ホッとして席へ戻るとセシルドは口を噤んでしまった。
「………」
「………」
しばらく無言が続くと、リィアはフゥと息を漏らしセシルドを見つめた。
「セシルド……黒竜が、来るのね」
「あぁ……噂じゃ、もう近くの森へ来ているらしい」
彼の声は静かだった。けれど、その瞳の奥に宿るものは、覚悟だった。
「行くつもりなの?」
「あぁ。ここに留まっても、黒竜はすぐ街に来る。
なら……俺が先に、止めるしかない」
「気を落とさないで、分かってたことだから…いつかこういう日が来るって」
「すまない…」
胸が苦しくなる、本当はここに残るべきだと誰よりも自分が分かっている。
「大丈夫、あなたはこの街一番の戦士ですもの…きっと私達を守ってくれるって信じてる」
「無謀だとは思わないのか?」
「信じてますから、確かに黒竜は強い…屈強の戦士達もみんなやられてしまった…でも」
ジッとセシルドを見つめるその瞳には強い意志が浮かんでいた。
「あなたは私の夫。この子の父親なんですから、ね?」
「あぁ、お前たちには指一本触れさせない」
セシルドは席を立つとリィアの前へ屈んだ。
「無事に産まれて来るんだぞ…」
膨らみに手を触れ語りかけるように言葉を紡ぐ
そんなセシルドの頬にそっと細くしなやかな指が触れ優しく輪郭を滑らす。
「俺が逃げたら……この子を守れない。あの黒竜が街に来たら、誰も残らない」
「……あなたは、いつもそうね」
ぽつりと呟く声には、悲しみよりも微かな笑みが混じっていた。
「誰かのために、真っ先に傷つく」
「それしか、知らないんだ」
リィアは小さく息を吐き、彼の胸に手を当てた。
「行って。あなたが後悔しない道を選んで。
私は、あなたが帰ってくるって信じてるから」
「……ありがとう、リィア」
その瞬間だけ、彼はわずかに微笑んだ。
導かれるように深く口付けする、
お互いの体温が伝わるほど体を触れ合わせ永遠とも思えるほど深く深く抱き合った。
「愛してるセシルド…」
「俺もだリィア…」
そして、愛する妻の額にもう一度唇を落とすと、
「俺は死ぬために行くんじゃない。
生きて、この子の未来を守るために行くんだ」
そこまで言うと彼は静かに背を向けた。長年使っている身丈半分ほどもある特殊な針の束を手に取り、振り返ること無く家を出た。
「…馬鹿」
無謀な事ぐらい目に見えていた。
「止めたって…出て行くくせに…」
涙が溢れる。我慢していた気持ちが止め処なく次から次へと。
「セシルド…!!お願い…どうか…どうかこの子を…この子の未来を守ってあげて…」
誰も居なくなった部屋、扉の向こうではセシルドが俯いていた。
「有難う…リィア」
そっともたれて居たドアから体を離し走り始めた。
「これは…なかなか」
その様子をずっと眺めていた一つの影は、大きな翼を広げ羽ばたいた。




