紋章が灯る朝
太陽の光が、世界を金色に染めていた。
空は雲ひとつなく、穏やかな風が草を揺らす。
その優しい光が、ベッドの上で眠る少年――クラウダの頬を包み込む。
(……おい)
どこか遠くから声が聞こえた気がした。
けれど、クラウダは毛布を頭まで被り、小さく唸った。
「うぅん……お兄ちゃん、眠いよ……」
(おい、クラウダ。いつまで寝ているつもりだ)
その声が少し強くなった瞬間、クラウダは勢いよく跳ね起きた。
「あ、れ……? ここ、どこだっけ……」
ぼんやりとした視界に映るのは、壊れかけた部屋。
机も棚も、昨日の惨劇をそのまま残していた。
胸の奥がじんと痛む。息を吸うたび、孤独が胸に広がっていく。
「……僕、一人、なの……?」
思わず布団を抱きしめたその時――
(おい、泣くな。気持ちは分かるが、それじゃ前に進めねぇだろ?)
聞き覚えのある低い声。
「セ、セシルド……?」
辺りを見渡すが、声の主の姿はどこにもない。
ただ、どこからともなく響いてくるように聞こえる。
(あぁ、姿が見えなくて不安か?)
「う、うん……セシルド、どこにいるの?」
(お前の中だ)
「……へ?」
混乱するクラウダに、セシルドは少し苦笑したように言う。
(しょうがねぇな。右手を出してみろ)
言われるままに右手を差し出す。
そこには見覚えのない紋章が刻まれていた。
「な、何これ……!」
(それが俺と外の境界線だ。出入り口みたいなもんだ)
「へぇ……カッコいい……!」
クラウダが目を輝かせて、まじまじと見つめていると、紋章が淡く光を放ち始めた。
(そろそろ出るぞ、クラウダ。手をもう少し前に)
「え、ちょ、ちょっと!?」
光が強くなり――しかし、次の瞬間、光が途切れる。
(……むっ? なんだこれ、出られそうなのに出られねぇ……!?)
「えっ、どうしたのセシルド!?」
(何かに引っかかってる感じだ……チッ、出口が……閉じてるのか?)
クラウダは慌てて右手を見つめ、考え込んだ。
「出入り口……出口……あっ!」
そして、思いきって叫んだ。
「開けッ!」
その瞬間、紋章が眩い光を放ち、黒い液体が溢れ出した。
「わあぁ!?」
床に落ちた黒の雫が生き物のように蠢き、
瞬く間に黒い液体が人の姿を描き、そこに深緑の瞳が灯り、黒髪の男――セシルドが姿を現した。
「ふぅ……まだ慣れが必要だな」
ゆっくりと首を鳴らすと、セシルドは穏やかに笑った。
「しかし、今のは焦ったな。まさか"許可"がいるとは思わなかった」
クラウダは固まったまま口を開けていた。
「あ、セ、セシルド……まさか本当に出てくるなんて!」
「俺だって感覚でやってるだけだ。だが、この体は便利みたいだぞ」
そう言うと、セシルドは近くに落ちていた本を手に取った。
「見てな」
瞬間、手が黒く溶け本を取り込み
そのまま右手に同化して消えた。
「えぇ!? 本が!? 消えた!?」
セシルドは左手を軽く握り――開く。
消えたはずの本が、ズルリとそこに現れた。
「……すごい! 本当に出てきた!」
「俺の意思で取り込んだ物は、好きな時に出せるらしい」
「じゃあ! 荷物とかセシルドが持ってくれたら、僕は楽だね!」
「……おいおい、俺は便利な袋じゃねぇぞ?」
思わず呟いたセシルドに、
クラウダは悪びれもせず笑った。
どこか人間扱いされてないような気がして、
少しセシルドは胸がチクチクと痛むものがあった。
(この体になった時点で俺は人間じゃねぇよな…)
旅の準備を進める中、クラウダは次々と荷物を渡していく。
中には、ぬいぐるみまで混ざっていた。
「あのなぁクラウダ、旅はお泊まり会じゃないぞ。さすがにこれは……」
「だって……もう、この家には戻れないかもしれないし……置いていくなんて……」
自分の思っていた以上に覚悟を決めていたクラウダに、まだまだ幼いからと保護者顔していた自分が少し恥ずかしく感じた。
「でもやっぱり必要は無いよね……ごめん、セシルドちゃんと置いていくよ」
小さな声。
セシルドは言葉を失い、そして静かに笑った。
「……そうか」
クラウダが別の部屋へ行くのを見計らい、セシルドはそのぬいぐるみを、そっと右手から取り込んだ。
「まったく……仕方ねぇな」
すべての準備を終え、クラウダは家の扉に鍵をかけた。
もう壊れた家に鍵の意味などない。
それでも――それは、少年なりのけじめだった。
「なんか、旅立つのに手ぶらって変な感じだね」
「まあな。荷物係がいるからだろ」
「ごめんね、セシルド」
「あ、いや別に嫌だった訳じゃねぇぞ、な?」
うっかり滑らせた言葉だったが、
大人気無かったかと焦って、セシルドは苦笑いを浮かべた。
(俺ってこんな性格だったか……? あぁきっとブラックの……)
「セシルド?」
「んっ…?あぁ、すまんな考え事してた、そろそろ行くか」
「うん、僕は絶対にお兄ちゃんを助けるんだ!」
青空の下、二人は歩き出した。
その瞳はまっすぐ前を向き、
黒髪の影と、蒼い瞳が光を受けて交わる。
そこに写り込む自分の黒髪に、セシルドは胸が少し痛んだ。
(あの時俺が黒竜に関わらなければこんな事には……)
心のどこかでブラックが嘲り笑う。
(……最大の敵は、俺自身かもしれねぇな)
セシルドは小さく息を吐き、クラウダの隣に並んだ。
彼らの足跡が、朝露に光る草原に刻まれていく。
そして――
少年と黒竜の旅が、今、始まった。




