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第九話 : 幕間三 : 彼女のやり方

 カタカタカタ、ターン。


 放課後の静まり返った視聴覚室に、長谷川亜美がエンターキーを叩く、乾い

た音が響いた。

 彼女は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、パソコンのモニターに映し出され

ている画面を冷ややかな目で見つめていた。

 画面に開かれているのは、本校の生徒が暗黙の了解で利用している匿名の裏

掲示板。そこには、一人の女子生徒に向けられたおぞましい悪意の数々が、文

字の羅列となってヘドロのように渦巻いていた。


『気取ってんじゃねえよ』『賞取ったからって調子乗るな』『どうせ教師に媚

び売ったんだろ』……。


 ターゲットにされているのは、図書委員であり文芸部に所属する新田葵だっ

た。彼女が先月の文芸コンクールで新人賞を受賞した直後から、嫉妬と僻みに

塗れた匿名の書き込みが急増していたのだ。

 長谷川は、表情ひとつ変えず、マウスを操作する。

 悪質な書き込みはすべてスクショを撮り、タイムスタンプを記録し、投稿元

のIPアドレスの推移をエクセルのスプレッドシートに淡々と流し込んでい

く。すでにシートは数十行に及んでいた。


「大人はすぐに『見なきゃいい』って言うけど……本当にナンセンスだわ」


 誰に言うともなく、呟く。

 言葉を紡ぐことで評価された人間に向かって、「言葉を見ないように生き

ろ」などと強要するのは、解決でもなんでもない。ただの怠慢だ。

 見えない場所から石を投げている連中には、確たる「証拠」という現実の重

みをもって、自分たちが何をしたのかを思い知らせてやる必要がある。


「あ、いたいた。長谷川! 部室のガムテが切れたんだけど、これってどこに

言えば新しいのもらえるんだ?」


 ノックもなしにドアが開く。陸上部のウインドブレーカーを着た鈴村大介

だ。

 長谷川は小さくため息をつき、「生徒会室に行って、備品補充の申請書を書

きなさい」と画面から目を離さずに答えた。


「サンキュー! いやあ、学校のルールでわかんねえことがあったら、とりあ

えずうちのクラスの優秀な委員長に聞くのが一番手っ取り早いからな」


 そのまま帰るかと思いきや、鈴村はふらりと長谷川の後ろに回り込んでモニ

ターを覗き込んだ。


「うわ。なんだこれ、クソじゃん」

「まだいたの? ええ、クソよ。匿名を隠れ蓑にした臆病者たちの掃き溜め」

「……これ、新田のことか?」


 鈴村の声から、いつもの能天気な明るさがスッと消えた。


「俺さ、新田のあの小説、図書室で読んだんだよ。陸上ばっかやってる俺には

難しい表現とかはわかんねえけど……なんか、すげえ胸が熱くなった。あい

つ、すげえカッコいいもん書いてんだな」

「あら。あなたが活字を読むなんて意外ね」

「バカにすんな。……で、長谷川。お前これ、どうすんの?」


 鈴村は、モニターの悪意の羅列を睨みつけながら言った。


「まさか、ただ監視してるだけじゃないだろ?」


 長谷川は口角をわずかに上げ、手元にあった分厚いクリアファイルの上に手

を置く。


「当然よ。明日、このログとスクショのファイルを持って、副校長と生活指導

の水原先生のところに乗り込むつもりよ。そして、学校側からプロバイダへの

開示請求と、警察への相談を即座にやってもらうわ。……あの子が自分の言葉

を嫌いになってしまう前にね」

「オッケー。じゃあ俺も行くわ」

「あなたには関係ないでしょ」

「関係大ありだ。顔も隠して陰口叩いてるようなコソコソ野郎に、新田が折れ

るのはめちゃくちゃ腹立つんだよ。証拠集めとか小難しい交渉はお前に任せる

けど、もし新田が怖がって動けなくなってたら、俺が引っ張ってやる」


 横目で鈴村のまっすぐで淀みのない目を見ると、長谷川は小さく肩をすくめ

た。


「勝手にしなさい。じゃあ明日、昼休みに図書室へ行くわよ。まずは本人の意

思確認と、私たちが味方だと伝える必要があるから」


◆


 翌日の昼休み。

 長谷川と鈴村は、新田と話をするべく図書室へと向かっていた。

 長谷川の腕には、昨夜のうちにまとめ上げた「反撃のためのクリアファイ

ル」が抱えられている。


「新田のやつ、最近いつも奥の書架の死角で縮こまってるからな。たぶん、今

日もそこにいるだろ」

「ええ。落ち着いて話を聞いてくれるといいのだけど……」


 図書室の入り口に足を踏み入れた二人は、ふと足を止める。

 奥の書架へと向かう通路の隅。新田がいるはずのその手前の棚の陰から、じ

っと彼女の様子を窺っている二つの影があった。

 宮瀬航と、新城恵理だった。


「……長谷川、あれ。宮瀬と新城じゃねえか。なにしてんだあいつら」

「しっ。ちょっと様子を見るわよ」


 長谷川は鈴村を制止し、本棚の隙間から航たちを観察した。

 長谷川は以前から、あの二人の「独特の空気感」が気になっていた。

 同じクラスにいても、彼らは時折、周りの人間には見えていない「何か別の

ルール」に従って動いているような顔をすることがあるのだ。

 新田がネットで執拗な嫌がらせを受けていることは、アクセスログを追って

いた長谷川だからこそ掴めた事実だ。航や恵理がそれに気づく接点は何一つな

い、はず。

 それなのに今、新田を見つめる二人の目には、「あの子がなぜ苦しんでいる

のか、その痛みの元を知っている」という確信が宿っていた。


「……宮瀬くんたち、新田さんの抱えている事情を知っているって顔ね」

「は? なんであいつらが? 誰にも言ってねえんだろ、新田はよ」

「わからないわ。でも……なんだか面白くなってきたじゃない」


 長谷川が目を細めたその時、二人が意を決したように新田の前に歩み出た。


「……新田さん」


 恵理が声をかけると、新田はパニックを起こしたようにスマホを抱え込んで

後ずさった。


「放っておいてよ!」


 図書室内に、新田の悲鳴のような拒絶が響き渡る。


「私に関わったら、ふたりまで巻き込まれる! 騒ぎになったら、もっとひど

いこと書かれるんだよ……お願いだから、こっちに来ないで!」


 泣き叫び、全身で二人を拒否する新田。

 そして、どう踏み込むべきか言葉を失い、立ち尽くす航と恵理。

 その光景を見た鈴村が、首の骨をゴキリと鳴らした。


「宮瀬のやつ、気持ちはあってもやり方が不器用すぎんだよ。……ほら、長谷

川。俺たちの出番でいいんだろ?」

「ええ、証拠はここにあるわ。あとは、新田さんを現実の泥沼から引きずり上

げるだけよ」


 長谷川が眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせると同時に、鈴村が陸上部で鍛えた瞬発

力で飛び出し、逃げようとする新田の前に大きな壁となって立ち塞がる。


「おっと、どこ行くんだよ新田」

「す、鈴村くん? なんで……どいてよ!」

「まあ落ち着けって。そんなに怯えなくても、誰も減らず口叩くネットのバカ

どもの味方なんかしてねえよ」


 そして長谷川もまた、コツコツと静かな足音を立てて、航と恵理の後ろから

歩みを進めた。


「あなたたち、やっぱり何か厄介事に首を突っ込もうとしていたのね?」


 振り返り、驚きに目を見開く航と恵理に向かって、長谷川はふっと笑みを作

る。

 あなたたちが見ている世界がどんなものかは知らないけれど、現実世界での

戦い方なら、クラス委員長の私が教えてあげる。


 長谷川はクリアファイルを強く握り直し、新田と航たちの間に進み出た。


前話の裏で、動いていた現実の人たちのお話です。


だいたい全16話でまとまる目処がつきました。

もう少しだけ推敲を続けますが、このまま途切れることなく投稿は終えられそうです。

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