第四話 あんたが傷つくのは、嫌なのよ!
光の触手が、うねりながら襲いかかってくる。
「エリシア、危ない――!!」
わたしが叫ぶより早く、エリシアはすでに聖印を展開していた。
「聖域展開――〈守りの光〉」
淡い光の壁が二人の周囲に広がり、迫りくる触手を弾き返す。
「ふう……」
「相変わらず反応が速いわね」
「聖術の基本です。ですが」
エリシアの表情に、わずかな緊張が走った。
「この防御も、そう長くは持ちません。装置の魔力供給が続く限り、攻撃も終わらないでしょう」
「じゃあ、こっちから壊すしかないわね」
わたしは両手を構え、炎の魔法を放とうとした。
だが――。
「……出ない」
「どうしました?」
「お腹すきすぎて魔力がないのよ!!」
この土壇場で、まさかの燃料切れである。
三日以上まともに食事をとっていない身体は、いくら気合を入れても魔力を絞り出してくれなかった。
「な、なんでよりによってこんな時に……!!」
「では」
エリシアが淡々と告げる。
「私が照れればいいんですね」
「それができたら苦労してないのよ!!」
叫びながらも、他に方法がないことは自分でも分かっていた。
わたしはエリシアの防御壁の内側で、最後の照れさせ作戦に打って出ることにした。
触手が唸りながら壁を叩く中、わたしは大きく息を吸い込む。
「か、かわいい!!」
「ありがとうございます」
「す、好き――そうな顔してる!!」
「そうでしょうか」
「顔近づけるわよ!!」
「どうぞ」
「なんで平気なのよー!!」
この期に及んでも一切揺るがない反応に、わたしは半泣きになりながら手を止めた。
装置の触手が壁にひび割れを生じさせ始めている。
「くっ……」
このままでは防御が破られる。それだけは分かった。
そのとき、触手の一本が、エリシアの防御壁の隙間を縫うように伸びてきた。
「エリシア――!!」
考えるよりも先に、身体が動いていた。
わたしはエリシアを庇うように前へ出て、触手の直撃を肩で受け止める。
「――っ!」
燃えるような痛みが走った。
「何をしているんですか」
エリシアの声に、初めて明確な動揺の色が滲む。
「だって……!!」
肩を押さえながら、わたしは振り返って叫んだ。
「あんたが傷つくの、嫌なのよ!!」
自分でも驚くほど、素直な言葉だった。
いつもの決め台詞でも、作った微笑みでもない。食事のためじゃない。事件のためでもない。ただ、エリシアが傷つくのが嫌だった。心の底からそう思ったから、口から出てしまった。
沈黙が流れる。
エリシアの表情が、ゆっくりと動いた。
いつも変わらないはずのその頬が、ほんの少しだけ――赤く染まる。
「……」
わたしは目を丸くした。
「い、今……」
肩の上のピピの耳が、これまでで一番強く赤く発光する。
「ぴぃっ!!」
「照れた!?」
「照れていません」
「絶対照れた!! ピピ、証言して!!」
「ぴぃ!!」
「証人いるんだけど!!」
エリシアは口元を手で軽く覆いながら、視線をわずかに逸らした。
「これは、その……」
「その?」
「少し、驚いただけです」
「顔真っ赤なのに!?」
だが言い訳をしている間にも、わたしの視界には、確かにその頬から生まれる赤い光の粒――紛れもない〈照れ〉が漂っているのが見えていた。
空腹の身体が、それを本能的に感じ取る。
わたしは迷わず両手を伸ばし、その光の粒を包み込むように受け取った。
「いただきまーす!!」
「食事の前みたいに言わないでください」
だがそんな言葉も、今のわたしの耳にはほとんど届いていなかった。
口に含んだ瞬間――全身に、久しく感じていなかった充足感が広がる。
「お……」
エリシアが小さく首をかしげる。
「おいしい……!!」
「それは少し複雑な感想ですね」
だが今はそんなことを気にしている場合ではない。
全身に魔力が満ちていくのが分かる。普段は消えている角と尻尾が、一瞬だけ姿を現し、すぐに消えた。
「よし――これなら!!」
わたしは両手を構え直し、体内に満ちた魔力を一気に解き放った。
「〈紅蓮爪〉!!」
真紅の炎が渦を巻いて装置へと放たれる。
「私も加勢します」
エリシアも聖印を展開し、光の刃を装置へと向けた。
「〈聖光斬〉」
炎と光、二つの力が交差しながら、装置の中心を貫いた。
――ズガァァァン!!
巨大な爆音とともに、装置の表面に亀裂が走る。
「効いてる!!」
「もう一度、続けてください!!」
わたしとエリシアは呼吸を合わせ、再び力を放った。
魔族の炎と、聖女の光。本来なら相容れないはずの二つの力が、なぜかこの瞬間だけは見事に噛み合っていた。
装置は激しく明滅したのち、ひときわ大きな爆発とともに、粉々に砕け散った。
「……終わった?」
わたしは肩で息をしながら、砕けた残骸を見つめる。
装置の破片から、無数の光の粒――今まで村人から吸い上げられていた感情の欠片が、ふわりと宙に舞い上がった。それらは天井の隙間を抜け、地上へ吸い込まれるように昇っていく。
「村人たちの感情が戻っていく様子ですね」
「よかった……」
わたしはその場にへたり込んだ。
安堵と疲労が同時に押し寄せてくる。
「大丈夫ですか」
エリシアが手を差し伸べてくれた。
「その手、さっき照れてたくせに平気そうに出してくるの、ちょっと納得いかないんだけど」
「立てないなら、そのまま座っていてもらって構いませんが」
「立つわよ!!」
わたしはその手を借りて立ち上がった。
崩れ始めた遺跡から、二人と一匹は急いで通路を戻り、井戸の梯子を上って地上へと脱出する。
外に出ると、すでに夕暮れが村を橙色に染めていた。
「……はぁ、疲れた」
わたしは草の上に大の字になって寝転がった。
空腹は満たされ、事件も解決した。しばらくはこのまま何も考えたくない気分だった。
だが、心のどこかにまだ引っかかっていることがある。
「ねえ、エリシア」
「はい」
「もう一回、照れて」
「嫌です」
「なんでよ!!」
あれほど確かに見た赤面の証拠があるというのに、本人はどこまでも涼しい顔を崩さない。
「一度見せたからといって、何度も見せる理由にはなりません」
「理屈っぽいのよ!!」
わたしは半分やけになりながら草の上で身体を起こした。
肩の上のピピが「ぴ」と鳴きながら、まだどこか名残惜しそうにエリシアの頬のあたりを見つめている。
「ピピもがっかりしてるじゃない」
「がっかりしていません」
結局、あれだけの大事件を乗り越えたというのに、二人のやりとりはいつもの調子にすっかり戻ってしまっていた。
だが、それでいい気もした。
シリアスな空気を長々と引きずるのは、どうにも性に合わない。
夕焼けに照らされる村を見下ろしながら、わたしはぽつりと呟いた。
「……とにかく、これで一件落着ってわけね」
「はい。村の皆さんも、これで安心できるはずです」
「そうと決まれば」
わたしはむくりと立ち上がり、腹を撫でた。
「今度こそ盛大に照れさせてもらう相手を探さないと。エリシアからもらった分だけじゃ、まだ全然足りないもの」
「相変わらずですね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
二人と一匹は、夕暮れの道をゆっくりと村へと戻っていった。




