第三話 聖女と魔族の地下遺跡デート……じゃない!
井戸の底には、思いがけず頑丈な梯子がかけられていた。
古い村の記録によれば、その昔、日照りの際に水を汲むための緊急通路として使われていたものらしい。今ではすっかり干上がり、代わりに地下へと続く道になっている。
「思ったより整備されてるのね」
わたしはランタンを片手に、慎重に梯子を下りていく。
「井戸の管理をしていた家の記録に、地下に古い通路があると書かれていました」
エリシアがすぐ後ろから続く。肩の上のピピは、暗闇の中でも器用にバランスを取りながらしがみついていた。
梯子を下りきると、そこには誰も足を踏み入れたことのなさそうな石造りの通路が延びていた。
ひんやりとした空気。壁一面に刻まれた見慣れない文字。
「……なんか、思ったより雰囲気あるじゃない」
「はい。古代の遺構のようですね」
二人分の足音と灯りだけが、静寂の中に響く。
――と、そこでふと、わたしはある事実に気づいてしまった。
(これって、つまり)
(薄暗い地下で、二人きりで)
(な、なんか、これって……)
「ちょっと」
「はい」
「勘違いしないでよね。二人で地下遺跡に入ったからって、デ、デートとかじゃ――」
「デートとは何ですか?」
真顔で聞き返され、わたしは思わず言葉に詰まった。
「知らないなら聞くな!!」
「知らないので聞いています」
「男女とか、女同士とかが、二人で出かけたりするやつよ!」
「では、今の私たちは該当するのでは?」
「場所を考えなさいよ! 井戸の底よ!?」
「場所に規定があるのですか?」
「なんでそんなところだけ真面目に検証するのよ! もういいわよ! 忘れて!」
自分から墓穴を掘った気がする。というより、こういうことをいちいち説明しなければならない相手に、そもそも意識すること自体が間違っていたのかもしれない。
気を取り直して先へ進むと、通路の壁に描かれた壁画が目に留まった。
「……これ」
わたしはランタンを近づけ、壁一面を照らす。
そこには、妙に個性的な姿をした生き物たちが、ずらりと並んでいた。
全身を炎で包んだ獣。長い尾を引く、水の精霊めいた人影。
その隣には、花が咲いたような笑みを浮かべる者がいる。さらに、全身から棘を逆立てて牙を剥く者、頬に幾筋もの涙を流す者、黒い靄に包まれた獣じみた影。
「……ずいぶん濃い連中ね」
思わずそんな感想が漏れた。
けれど、よく見ると、ただ姿が奇妙なだけではない。
笑みを浮かべた者の周囲には、人々の笑顔から光が吸い寄せられている。
棘だらけの者には、怒鳴り合う人間たちから赤い光が集まり、涙を流す者の足元には、泣き伏す人々の姿が描かれていた。
黒い影の周囲では、人々が怯えた顔で身を寄せ合っている。
「これって、まさか……」
「感情を糧とする種族を描いたもののようですね」
エリシアが壁画へ視線を走らせる。
「喜び、怒り、悲しみ、恐怖。それぞれ異なる感情を取り込んでいるように見えます」
「ちょっと待ってよ」
わたしは思わず壁へ身を乗り出した。
「じゃあ、照れを食べるうちの一族だけじゃないってこと?」
「その可能性が高そうです」
「聞いてないんだけど……」
物心ついた頃から、感情を食べる魔族といえば〈羞恥喰い〉だと教えられてきた。
それなのに、この壁画にはどう見ても仲間が大勢いる。
しかも、わたしたちよりだいぶ見た目が怖い。
「うちの一族、ずいぶん可愛い方だったのね……」
「そこを気にするんですか?」
「大事でしょ!」
そう言い返しながら、ふと壁画の端に目が止まった。
「……あれ?」
一体だけ、様子がおかしい。
ほかの者たちは姿も表情もはっきり残っているのに、その一体だけは、顔の部分だけが失われていた。
長い年月で自然に欠けたようには見えない。
何度も刃物か何かを叩きつけたように、そこだけが執拗に削り取られている。
「……なんで、こいつだけ顔がないのよ」
さっきまでの軽い気分が、少しだけ引いていく。
エリシアもその箇所をじっと見つめた。
「意図的に消されたように見えますね」
「趣味悪いわね……」
誰が。
何のために。
それを考えると、妙に背中が落ち着かなかった。
エリシアが壁の古代文字を指でなぞる。
「〈感情種〉」
「なに、それ」
「ここに、そう記されています」
エリシアは冷静に読み上げた。
「喜び、怒り、悲しみ、恐怖……それぞれの感情を糧とする者たちが、かつてこの世界には存在していた、と」
わたしはもう一度、壁画を見上げた。
「……うちの一族が特別ってわけじゃなかったのね」
なんだか少し複雑だった。
でも、それ以上に気になる。
顔を消された、あの一体。
あれはいったい、何の感情を食べる種族だったのだろう。
通路の先には、大きな石の扉があった。表面には複雑な紋様が刻まれ、どう見ても普通の力では開かなそうな造りをしている。
「開き方が分からないわね」
エリシアが扉に手をかざす。
「魔力の流れを感知しています……これは」
「なに?」
「一定量の感情魔力を注入することで開く仕組みのようです」
「感情魔力……」
わたしはにやりと笑った。
「それなら簡単じゃない」
エリシアがこちらを見る。
「エリシアを照れさせればいいのよ!」
「またその話ですか」
「またじゃなくて、今度こそ本気よ!」
わたしは腕まくりをして、気合を入れ直した。空腹はとうに限界を超えているが、こんな場面で情けない姿は見せられない。
まずは基本、正面から褒めてみる。
「エリシアってさ、意外と……その、悪くない顔してるじゃない」
「ありがとうございます」
「お礼を言われても照れの足しにならないのよ!!」
次に距離を詰める作戦。
わたしはエリシアのすぐ隣に立ち、肩が触れるほど近づいた。
「ね、近くない?」
「近いですね」
「そこで慌てなさいよ!!」
「なぜ慌てる必要が?」
「もういいわよそれ!!」
三度目、最終手段として手を握る。
「これでどう」
「ルヴィナの手、また少し冷たくなっていますね」
「そこじゃなくて!!」
悉く空振りである。
肩の上のピピが「ぴ」と鳴きながら、心なしか同情するような顔をしている気がした。
「なによ、その『今日も駄目だったね』みたいな鳴き方!」
「ぴぃ」
「慰めるな! 余計惨めになるでしょ!」
わたしは膝に手をついて肩を落とした。完全に息切れである。頑張れば頑張るほど、こちらの体力と羞恥心だけが浪費されていく。
だが、そんなわたしを見て、エリシアがぽつりと呟いた。
「ルヴィナは一生懸命でかわいいですね」
「……は?」
「一つの目的のために、色々な作戦を試すところが、真剣で好感が持てます」
「な――」
心臓が跳ねた。
今のは、これまでの意図的な決め台詞や作り笑いとは全然違う。ただの、素直な感想だった。
「な、なんでいきなり本気の褒め方してくるのよ!!」
顔に一気に熱が集まるのが分かる。
ピピの耳が眩しいくらいに赤く光った。
そして――。
――ゴゴゴゴゴ……。
目の前の石の扉が、重い音を立てて動き始めた。
「え、ちょっと……」
わたしとエリシアは、開いていく扉をぽかんと見つめる。
「なんでわたしの感情で開くのよ!!」
「感情魔力を必要とする、と説明した通りです」
「わたしがまさかの発生源になってるのが納得いかないのよ!!」
結局、何度もからかおうとして自分だけが照れて、その照れが結果的に扉を開ける鍵になっていたという、なんとも締まらない展開である。
だがそれでも、目的は果たされた。
わたしたちは開いた扉の奥へと足を踏み入れる。
そこには、これまでの通路とは比べ物にならないほど広大な空間が広がっていた。
天井は高く、壁には無数の魔法陣が刻まれている。そしてその中心――部屋の最奥に、巨大な装置が鎮座していた。
球体のような形状をした、金属とも石ともつかない不思議な質感の物体。その表面には、うっすらと赤い光の粒子が漂っている。
「これは……」
わたしは装置に近づき、その表面に刻まれた古代文字を目で追った。
「ちょっと待って、この文字……」
「読めるのですか」
「うちの一族は、古い魔族語をある程度教わるのよ」
わたしは慎重に文字を読み解いていく。
やがて、その意味が判明した。
「――〈ココロスイトール〉」
「意味は?」
「感情収集装置……らしいわね」
わたしは思わず眉をひそめた。
「何よ、この頭の悪そうな名前」
「古代語を現代語に訳すと、おそらくそのままの意味になったのだと思います」
「古代人、もうちょっと格好いい名前つけなさいよ!」
だが名前の格好悪さはさておき、その正体は間違いなく、今回の事件の核心だった。
「これが、村人の感情を吸い取っている装置なのね」
わたしは装置に漂う赤い粒子を見つめる。よく見れば、それは村で感じた喜びや悲しみ、怒りの残滓のようなものだった。
「犯人、こいつじゃない」
ようやく突き止めた真犯人を前に、わたしは小さく息を吐いた。
だがその安堵も、束の間だった。
――ヴウゥン。
装置の表面が、突然眩しく発光し始めた。
「な、なに……!?」
「魔力反応が急激に上昇しています。おそらく、私たちが近づいたことで――」
エリシアの言葉を遮るように、装置全体が甲高い音を立てて震え始める。
「まさか……!」
わたしは咄嗟にエリシアの前に出て、体勢を低くした。
「再起動してる――!!」
球体の表面から、無数の赤い光の触手のようなものが、勢いよく伸び始める。
肩の上のピピが警戒するように毛を逆立てた。
「ぴぃぃっ!!」
わたしたちを吸い込まんとするかのように、装置が唸りを上げる。
「エリシア、下がって――」
だが逃げる間もなく、光の触手が二人へと一気に襲いかかった。
――村を苦しめていた真の原因は、こうして牙をむき始めたのだった。




