第二話 村人まで、わたしを赤くするんじゃない!
森を抜けると、日当たりの良い盆地に小さな村が広がっていた。
木造の家々が寄り集まり、井戸端では洗濯物がはためいている。のどかを絵に描いたような光景だ。
だというのに、村へ足を踏み入れた途端、わたしは異様な視線を浴びることになった。
「……なんか、みんなこっち見てない?」
「魔族が村に入ってくることは、そう多くありませんので」
「分かってるけど、そんな露骨に見なくてもいいでしょ!」
子どもたちがわらわらと物陰から顔を出しては、また引っ込む。まるで珍しい生き物でも観察するような扱いである。
だが、そんな中で一人だけ、まったく物怖じせずに駆け寄ってきた少女がいた。
「聖女さま! あと――魔族の人?!」
快活そうな娘だ。エプロン姿で、腕にはパンの入った籠を抱えている。栗色の髪を高い位置で一つに結び、そばかすの浮いた頬には人懐っこい笑顔が張りついている。
「あなたは?」
「あたし、ミーナ! 村のパン屋の娘です!」
ミーナと名乗った少女は、恐れる様子もなくわたしをまじまじと見つめてきた。
「わあ、本物の魔族の人だ! 角とか生えてるんですか?」
「ふ、普段は生えてないわよ!」
魔力が乱れると、つい出てしまう角と尻尾のことは、絶対に知られてはならない情報である。
だがこの人懐っこさ、逆に言えば――。
(この子、簡単に照れそうじゃない!)
わたしは即座に頭を切り替えた。事件の調査など二の次だ。まずは目の前の朝食候補である。
「あなた」
「はい?」
わたしは髪をかき上げ、余裕たっぷりに微笑んでみせた。
「その髪型……まあまあ似合ってるじゃない」
褒めるふりをして、少し上から目線にする。これでいくらか照れが生まれるはずだ。
ところがミーナは満面の笑みで、
「ありがとうございます! でもルヴィナさんのツインテールの方が、ずっとかわいいですよ!」
「……っ!」
まさかの返し褒めだった。
しかも心底そう思っている様子で、悪意もからかいも一切感じられない。
肩の上でピピの耳がぽっと光る。
「ぴ!」
「だからわたしの照れを検知するなーっ!」
「ルヴィナさん、顔真っ赤ですよ」
「あんたのせいでしょ!!」
朝食のはずが、なぜか自分ばかりが赤くなっている。この村、想像以上に手強いかもしれない。
「あ、そうだルヴィナさん」
ミーナは思い出したように手を叩いた。
「聖女さまと一緒に来たってことは、例の件の調査ですか?」
「例の件?」
「感情が薄れちゃう、あの話です」
ミーナの表情が少しだけ曇る。
「最近、村のみんな、なんか変なんです。あたしのパン食べても、前みたいに『おいしい!』って喜んでくれる人が減ってて」
「喜ばない?」
「はい。それに、うちのおばあちゃんも、悲しい話聞いても全然泣かなくなっちゃって……。怒りっぽかった隣のおじさんも、最近やたら大人しいし」
「なるほど。徐々に、感情の起伏そのものが失われているのですね」
エリシアが淡々とメモを取る。真面目な聖女らしい仕草だ。
「一気に全員が無感情になったわけではない、と」
「うん。少しずつ、じわじわって感じです」
わたしは腕を組んで唸った。
「感情を少しずつ吸い上げる、ねえ……」
そのとき、広場の向こうで小さな男の子が転んだ。
膝を強く擦ったらしく、近くにいた母親が慌てて駆け寄る。
「大丈夫? 痛かったでしょう?」
「……ううん」
男の子は自分の擦りむいた膝を見下ろした。
血が滲んでいる。
なのに、泣きもしなければ、顔をしかめもしない。
「別に、痛くない」
その声には、強がっている様子すらなかった。
わたしは思わず眉をひそめる。
「……あれも?」
ミーナが小さく頷いた。
「最近、ああいうことが増えてるんです」
誰かが意図的にやっているのか、それとも自然発生的な現象なのか。少なくとも、わたしたち羞恥喰いの手口ではない。照れという特殊な感情だけをつまみ食いするわたしたちと違って、これはもっと広範囲に、色んな感情を根こそぎ奪っている。
その親子が広場を離れていった直後、別の子どもたちがわらわらと集まってきた。
泥だらけの膝をした子、三つ編みの女の子、鼻の頭にそばかすのある少年たち――。
「魔族のお姉ちゃん、ちっちゃーい」
「誰がちっちゃいのよ!」
「角かわいい!」
「かわいいって言うな! ……って、今は出てないでしょ角!」
気づけば完全に子どもたちに取り囲まれていた。誰も彼もが物怖じせず、興味津々にわたしを見上げてくる。
「触ってもいい?」
「触らなくていいわよ!!」
「じゃあ抱っこは?」
「なんで触るよりハードル上がってるのよ!」
「肩車!」
「わたしを何だと思ってるの!?」
わたしは威厳を保とうと必死になるが、子どもたちの目にはすでに「面白い見世物」としか映っていない様子だった。
一方のエリシアは、そんな光景を眺めながら一言。
「人気者ですね」
「どこをどう見たらそうなるのよ!!」
「子どもたちに囲まれています」
「これは人気って言わないの! からかわれてるだけ!」
ようやく子どもたちを追い払い、村の広場でひと息ついたところで、わたしは若い青年にも声をかけてみることにした。せめて一人くらい、まともに照れさせてやらなければ気が済まない。
「ねえ、あなた」
できる限り妖艶な微笑みを意識する。
「わたしみたいな美少女に見つめられて、平気なわけ?」
青年はわたしを見て、なぜか目を細めた。
「ちっちゃい子が頑張ってるなあ」
「誰がちっちゃいのよ!!」
完全な失敗。しかも子ども扱いという、この上ない屈辱つきである。
肩の上のピピが「ぴ」と鳴く。
「あんたも笑ってるでしょ、今!」
「ぴぃ」
村中で誰一人としてまともに照れてくれない。それどころか、幼子から大人まで一様に「かわいそうな小さい魔族の子」という扱いを受けつつある。
「エリシア、他人事みたいに言わないでよ」
「今日も食事できませんでしたね」
「その通りだけどそんなあっさり言うな!!」
空腹が限界に近づく中、それでも調査だけは続けなければならない。わたしとエリシアは村の中を歩きながら、さらに聞き込みを進めた。
村人たちの証言はどれも似通っていた。
好きなものを見ても心が動かない。悲しい知らせを聞いても涙が出ない。怒るべき場面でも、なぜか怒りが湧いてこない。
「感情がなくなるって、思ってたより笑えない話ね」
ただし、全員が同じ速度で感情を失っているわけではない。村の中心に近い人ほど、症状が重いようだった。
「中心に近いほど、ですか」
エリシアが呟く。
「何かの発生源があって、そこからじわじわ広がっている可能性がありますね」
「井戸のあたりが一番村の中心っぽいけど」
わたしが指差した先には、古びた井戸があった。村の広場のちょうど真ん中に位置している。
肩の上のピピが、突然ぴくりと反応した。
「ぴ……!」
「どうしたの、ピピ」
ピピの視線は、井戸の奥、その先の地面へと向いている。まるで何かを嗅ぎ分けているかのように、耳をぴんと立てていた。
「この魔獣、何か感知しているようですね」
「ピピは魔力に敏感なのよ。この子が反応するってことは、あの井戸の下に何かある」
わたしは井戸に近寄り、身を乗り出して覗き込んだ。
「ちょっと待って……この井戸、随分深いわね。底が見え――うわっ!」
身を乗り出しすぎて、足元がぐらついた。
「危ないですよ」
落ちかけたわたしの腕を、エリシアが素早く掴んで引き戻す。
「わ、分かってるわよ!」
だが心臓は、わたし自身が思っている以上に大きく跳ねていた。
肩の上のピピの耳が、また赤く光る。
「ピピ!」
「またルヴィナが照れています」
「実況するなぁ!!」
握られた腕の感触がまだ残っている。慌てて振り払うように腕を引っ込めた。
「あ、あんたが変なところ触るからでしょ!」
「変なところとは、どこですか」
「そ、そういう意味じゃなくて――もういいわよ!」
これ以上追及されるのは危険だと判断し、わたしは強引に話を井戸へ戻した。
「とにかく、この井戸の底に何かあるってことよね。降りてみるわよ」
「準備が必要です。ロープと灯りを借りてきます」
エリシアがそう言って、ミーナのところへ道具を借りに走っていったその瞬間だった。
井戸の底から、地響きのような音が聞こえてきた。
――ドクン。
まるで巨大な何かの心臓が脈打つような、低く重い音。
わたしの背筋に、ぞわりとした感覚が走る。
「……なに、今の」
もう一度、井戸の奥から音が響く。
――ドクン。
わたしの表情から、さっきまでの軽口はすっかり消えていた。
「……これ、わたしたち魔族の魔力じゃない」
もっと得体の知れない、古い何かの気配だった。
戻ってきたエリシアも、その空気を感じ取ったのか、いつもの落ち着いた表情がわずかに引き締まる。
「地下に何かがある、ということですね」
「それも、かなり厄介な何かがね」
わたしとエリシアは顔を見合わせた。
村人の感情が薄れていく怪事件。その原因が、この井戸のさらに奥――地下に眠る何かにあることは、もはや疑いようがなかった。
肩の上でピピが、緊張した様子で小さく鳴く。
「ぴ……」
「行くわよ、エリシア」
わたしは井戸の縁に手をかけながら、静かに息を吐いた。
村の空をふと見上げると、太陽はすでに傾き始めている。
この地下に何が眠っているのか、まだ誰も知らない。




