第一話 聖女なら、少しくらい照れなさいよ!
魔族には、威厳というものが必要だ。
少なくとも、由緒正しき〈羞恥喰い〉の一族に生まれたわたし、ルヴィナ・ヴァーミリオンは、そう教えられて育った。
だから今日も、森の奥にそびえる古城、その玉座の上で優雅に脚を組み、いかにも魔族の令嬢らしく頬杖をついている。
完璧だ。
どこからどう見ても、気高く美しい魔族のお嬢様である。
――ぐぅぅぅ。
「…………」
静まり返った広間に、あまりにも気高くない音が響いた。
わたしの肩に止まっていた黒い小さな魔獣、ピピが、ぴくりと大きな耳を動かす。
「ぴぃ」
「聞こえてないわよね?」
「ぴ」
「聞こえてるじゃない!」
思わず玉座から立ち上がる。
「しょうがないでしょ! もう三日もまともに『照れ』を食べてないんだから!」
そう。
人間が赤面したときに生まれる羞恥の感情――それこそが、わたしたち〈羞恥喰い〉にとって何よりのごちそうなのだ。
なのに最近、この城には人間がまったく来ない。
「まったく……魔族が住んでるってだけで怖がるなんて、失礼しちゃうわ」
そのときだった。
ぎぃぃ――。
何年も開かれていなかった城の大扉が、ゆっくりと開いた。
「……!」
人間の気配。
しかも、女の子。
わたしは勢いよく玉座へ座り直し、髪を整えた。
――ごはんが来た。
扉の向こうから現れたのは、銀髪をきっちり切りそろえた少女だった。青灰色の瞳は落ち着き払っていて、身にまとった白い法衣には、見覚えのある神殿の紋章が刻まれている。
「魔族ルヴィナ・ヴァーミリオンですね」
声にすら緊張がない。
こちらはこの数分で完璧な決め顔を作り上げたというのに、随分と余裕な態度である。
「そうよ。それがどうかしたの」
「私はエリシア・ルーンと申します。神殿から派遣された見習い聖女です」
聖女。
その単語に、わたしの食欲はますます加速した。
(聖女ってことは、清らかで、真面目で、きっと簡単に照れるタイプ!)
「近隣の村で奇妙な事件が起きています。村人たちから、少しずつ感情が失われているという報告が」
「へえ」
正直、話などまったく頭に入ってこない。
「その原因を調べるうちに、この城の存在にたどり着きました。魔族が近くに住んでいるとなれば、無関係とは言い切れません」
「はいはい、事件ね。分かった分かった」
わたしはゆっくりと玉座から立ち上がり、エリシアへ歩み寄る。
髪をかき上げ、目を細める。
我ながら、様になっている自信がある。
「ふふん。聖女だかなんだか知らないけど、わたしを前に平然としていられるのも今のうちよ」
顔を近づける。
「さあ。わたしを見て――照れなさい!」
エリシアは黙ってわたしを見る。
わたしも見つめ返す。
しばし、沈黙。
「お腹が空いているんですか?」
「なんで分かったのよぉぉぉ!」
思わず飛びのいた。
なぜバレた。表情には出していないはずだ。
「お腹の音が、先ほどからずっと聞こえていましたので」
「聞かなかったふりをする優しさはないの!?」
「ありません」
即答だった。清々しいほど。
肩の上で、手のひらサイズの黒いコウモリ風魔獣ピピが「ぴ」と鳴く。まるで笑っているようだ。
「あんたまで『ない』みたいな顔するな!」
「ぴ」
「二対一で責めるのやめてくれる!?」
だが、ここで引くわけにはいかない。羞恥喰いの誇りにかけて。
「い、今のは前哨戦よ。本番はこれから」
わたしはエリシアの手をぱっと握った。
「な――なんてね。ちょっと触れてみただけよ。どう? 照れた?」
エリシアは自分の手とわたしの手を見比べる。
「ルヴィナの手、小さいですね」
「うるさい! 小さくないわよ!」
「でも温かいです」
「…………!」
一瞬、心臓が跳ねた。
肩の上のピピの耳が、ぽっと赤く光る。
「ちょっ、ピピ!」
「ぴぃ」
「そっちじゃない! わたしの照れを検知するんじゃない!」
これでは形勢逆転どころか、わたしが照れさせられている側になってしまう。
いや、そんなはずはない。まだ本気を出していないだけだ。
「次はこれよ」
今度は耳元に口を寄せ、声を落として囁く。
「近い、でしょ……?」
エリシアはわずかに首をかしげただけだった。
「近いですね」
「そこで照れなさいよ!!」
「なぜ照れる必要があるんですか?」
「なぜって、普通は……ええと……」
説明しようとして、逆にこちらが赤面しそうになった。
これはまずい。相手が照れないせいで、こちらの羞恥心ばかりが行き場をなくしている。
「なら、これはどう」
わたしはエリシアを壁際まで追い込むように距離を詰め、腕をどん、と壁につく。いわゆる壁ドンというやつだ。人間の本や噂で聞きかじった技だが、決まれば効果は絶大なはずである。
「わたしのこと――かわいいと思わないわけ?!」
我ながら渾身の決め台詞だった。
しかしその直後、足元の絨毯がわずかにめくれていたことに気づかず、わたしはバランスを崩し、盛大に自分から壁へ激突した。
「――ぶふっ!」
「大丈夫ですか」
「だ、大丈夫よ! 今のはノーカン!」
鼻を押さえながら立ち上がる。
威厳など、もはやどこにもない。
だがエリシアは表情を変えないまま、こう続けた。
「先ほどの質問ですが」
「な、なによ」
「とてもかわいいと思います」
「…………」
時が止まった。
「ルヴィナ?」
「い、いきなり真正面から言うなぁぁぁ!」
顔が一気に熱くなる。ピピの耳が眩しいくらいに赤く光った。
「ぴぃぃ!!」
「照れを食べたいはずのわたしが、なんでこんなに照れてるのよ……!!」
しかも厄介なことに、自分自身の羞恥心は、いくら生まれても絶対に食べられない。魔力にもならない。ただ無駄に恥ずかしいだけの、何の得もない現象である。
三日間の空腹に加えて、この理不尽。
わたしはがっくりと膝から崩れ落ちそうになった。
「……あんた、絶対わざとでしょ」
「いいえ。思ったことを言っただけです」
「それが一番タチ悪いのよ!!」
ひとしきり叫んだあと、わたしは深呼吸をして気を取り直した。
これ以上格好悪いところを見せるわけにはいかない。魔族の――いや、羞恥喰いとしての誇りがある。
「……コホン。それで、事件の話だったわね」
わたしは何とか玉座に座り直し、脚を組んだ。
「あなたたちの村で、村人の感情が薄れているんだっけ」
「はい。喜怒哀楽が徐々に鈍くなっているという報告が複数あります」
「ふぅん」
わたしは顎に指を当てて考えるふりをした。実際には空腹で頭が回っていない。
「で、わたしを疑ってるってわけ」
「近くに感情を糧とする魔族が住んでいれば、無関係とは考えにくいので」
「あのねえ」
わたしはため息をついた。
「わたしたち羞恥喰いが食べられるのは『照れ』だけよ。喜びも怒りも悲しみも、そんな器用に何でも食べられるわけないでしょ」
「では、ルヴィナは犯人ではありませんね」
「信じるの早くない!?」
あまりにあっさり手のひらを返され、こちらのほうが拍子抜けした。
「ルヴィナが照れ以外の感情を扱えないというのは、事実として筋が通っています。嘘をつく理由もありません」
「そ、そう……。まあ、分かってもらえたのは助かるけど」
少しくらい疑って粘るものではないのか。聖女という職業への信頼が、わずかに揺らいだ気がする。
だがエリシアはそのまま、思いもよらぬ提案をしてきた。
「では、一緒に本当の犯人を探しましょう」
「はい?」
「事件の原因を突き止めるまで、私はこの周辺に留まる予定です。ルヴィナも協力してください」
「な、なんでわたしまで巻き込まれるのよ! わたしには関係ない話でしょ!」
「いいえ、関係はあります」
エリシアは相変わらず表情を変えないまま、淡々と続けた。
「事件が解決すれば、村人が魔族を怖がる理由もなくなります。そうすれば、また人がこの城を訪れるようになるかもしれません」
「……それって、つまり」
「照れてくれる人間が増えるということです」
わたしはぴたりと動きを止めた。
その一言で、頭の中の天秤があっさり傾いた。
「行くわよ! 今すぐ!」
考えるより先に、わたしは玉座から飛び降りていた。
肩の上でピピが「ぴ」と一声鳴く。呆れているのか、面白がっているのか、判断がつかない。
「準備は必要ないんですか」
「食欲の前に準備なんていらないのよ!」
我ながら、羞恥喰いの令嬢として褒められた台詞ではない気がする。だが今さら取り繕っても遅い。
エリシアは小さくうなずいた。
「では、村までご案内します」
「その前に一つだけ言っておくけど」
わたしは扉へ向かいながら、振り返って人差し指を突きつけた。
「別にあんたに協力してあげるんじゃないから。あくまで、ごはんのためよ」
「分かりました」
「……本当に分かってるの、それ」
「はい。ルヴィナの食事のための協力ということですね」
「そういう身も蓋もない言い方しないでよ!!」
結局、最後まで調子が狂わされたまま、わたしたちは城をあとにした。
森の向こうには、これから向かう村の屋根がぽつぽつと見えている。
あの村のどこかに、事件の原因があり――そして、わたしを腹の底から照れさせてくれる誰かも、きっといるはずだ。
肩の上でピピの耳が、なぜだかまだ少しだけ赤い。
「……ねえ、ピピ。まだ光ってるじゃない」
「ぴ」
「だから誰の照れを検知してるのよ!」
こうして、聖女と魔族の、どうにもかみ合わない共同捜査が幕を開けたのだった。




