曇天
邸に戻って、数週間が経った。
王宮からの便りはなかったが、王宮に通う時間が減った分だけ、茶会や社交場に出る機会が増え、それなりに忙しい日々を送っていた。
社交場は、政治の場だ。虚実混合の、様々な噂を耳にする。
ひとつ。公爵家令嬢が引きこもっているのは、悪漢に襲われたかららしい。
ひとつ。南の方でクーデターが画策されているらしい。
ひとつ。聖女は実は平民で、侯爵家が秘密裏に引き取ったらしい。
ひとつ。王弟が病気で、もう先が長くないらしい。
ひとつ。公にはされていないが、貴族が次々と変死や失踪を遂げているらしい。
ひとつ。王太子妃には、聖女がなるらしい。
------噂は噂。
ただ、私に向けられる視線は厳しいものだった。
アルに貰ったネックレスではなく、父から貰ったブローチを着けることが増えたのも、噂に拍車をかけたのかもしれない。
そんな中。
コンコンコン、と、扉がノックされる。
「ルシア、ちょっといいかな?」
「……お父様? どうぞ」
珍しく深刻な顔をしたオルストンが、部屋に入ってくる。
「どうなさったの?」
「それが…、いや、何と言えばいいか。先ほど、王宮から便りがあってな。………王家内の事情で、来月の大舞踏会のエスコートも出来ない、とのことだ」
「まあ」
王家内の事情。
噂にあった、クーデターと王弟の件が絡んでいるのかもしれない。
「それは…、残念ですね。では、今年もエスコートはお父様にお願いしても?」
「ん? ん…、ああ、それは勿論、構わないのだが……」
「?」
「……悲しくは、ないのか?」
「悲しい?」
「その…、いや、君も噂は耳にしているだろう。事情が事情だ。決してそんなことはないと思うのだが、社交界での立場もある。その、…………王太子殿下に、軽んじられている……と、感じたりは、しないのかと」
なんだ、そんなこと。
にこり、と笑って答える。
「悲しくは、ありませんわ。アルヴェリク様は立派なお方です。そのお方が、ご判断されたことです。相応の理由があると心得ておりますわ」
「そうか……」
寂しげな表情をして、続ける。
「……ルシア、君は昔から本当に頭が良く優秀で、下手な大人よりも分別のある、手のかからない子だった。聞き分けが良すぎるくらいだ」
「はあ」
「だからこそ、私は心配なのだ。君の本心がどこにあるのか、たまに分からなくなる。いや、君を責めたいわけではなく……忘れないでくれ。私は、いつでも君の味方だ。君が悲しみや苦しさを感じているなら、出来る限り、それを除いてあげたいと思っているよ」
「まあ、ふふ」
鼻で笑いそうになるのを堪える。
------ではなぜ、何度繰り返しても、やってもいない悪事を私の仕業だと疑うの?
なんて。言わないけれど。
「ありがとうございます、お父様。お父様に愛されて、ルシアは幸せ者ですわ」
「うん……。そうだ、もう一つ」
沈んでいた声が、パッと明るくなる。
「こちらは良い報せだ。アルヴェリク様から、君の十六の誕生日に、婚約発表を兼ねた盛大な催しを開きたいとのことだ。私は良いと思うが…異論ないかな?」
「ええ、勿論ですわ」
「そうか、ではそのように返そう。娘の晴れ舞台だ、最高のドレスを用意しないとな!忙しくなるぞ」
「ふふ、私より張り切らないでくださいな。でも、楽しみにしております」
「ああ、任せておけ!そう思うと、婚約前最後の大舞踏会で、エスコートを務められるのも悪くない気がしてきたな。私も服を新調するとしよう」
「まあ、もう来月ですよ。間に合いますか?」
「間に合わせるとも!では早速手配に取り掛かろう。それではな、寒くなってきたから、体に気をつけるんだよ」
「ええ、お父様も」
バタバタと部屋を出て行くオルストンを見送る。
------なんだか、いつも忙しないわね。
ぼんやりとそう思い、計画性が無いのは今に始まった事ではないわね、と溜息をつく。
「……お嬢様」
「なあに、ルシェ」
「私は、ずっと、お嬢様の味方です」
「まあ!貴方も?ふふ、ありがとう。愛されているわね」
その愛が、私を守るとは限らないことも知っている。
「……………信じていただけなくても、良いのです。これは、私の信仰ですから」
「信仰なんて大袈裟ね。でも、ありがとう。心強いわ」
これは本心だ。
おそらく、ルシェの身体能力は常識の範疇に無い。その戦力が近くにあることは、とても心強い。
「………守ります、全てから」
------全てから、か。
傲慢ね。
「ありがとう」
静かに目を伏せたルシェに、会話の終わりを感じ、父が来るまで行っていた作業に戻る。
目を落としたのは、ゼレンディア家の帳簿だ。確実に悪化している。
「………悪い人では、ないのだけれど。やっぱり、領地運営の才能は無さそうね」
小さくこぼした私の言葉を聞いているのかいないのか、ルシェは何も言わなかった。
*
王宮から他の報せは無いまま、雪の季節がきた。
相変わらずきな臭い噂が届いてはいたが、当主でもない私にその真偽は分からず、茶会や社交場に顔を出しては、私自身も噂の種になっていた。
そして、大舞踏会。
エスコートが出来ないと言ったアルは、壇上にいた。
王家主催の会だ。そこにいること自体は不思議では無い。
おそらく、エスコートは難しいが、少し顔を出すだけの時間は取れた、ということだろう。
それでも、以前から囁かれていた噂を裏付けるには、それで十分だった。
父にエスコートされるのも最後だろうからと、アルからの贈り物ではなく父から貰ったブローチを着けてきたのも災いした。
瞬く間に広がった婚約解消の噂は留まるところを知らず、個人的に開かれた茶会やサロンでも冷笑を浴びることが増えた。
仲の良かった令嬢は怒ってくれたが、次第に連絡も取れなくなっていった。
王宮に何度か遣いを出したが、今は来訪を控えてほしい、こちらから連絡する、の一点張りだった。
------まあ、過去に浴びた罵声に比べれば、大したことはないけれど。
しばらく、穏やかな日々を送っていたせいだろうか。
少し堪える。
「……私が、行ってきましょうか」
「いいえ、ルシェ。いいのよ。噂が真実だとすれば、訪問を断られるのは当然だわ」
静かに憤るルシェを宥め、首を振る。
「………そうですか」
そうしたまま季節は過ぎ、春。
「………………」
「………………」
「…………………お父様、かしら」
「そうですね」
疑問を口にした私に、ルシェが答える。
扉の前に、気配を感じる。それも、もう二時間程。
「……何かしら、いつもならすぐに入ってくると思うのだけれど」
「さあ。いつも急ですから。たまには逡巡することがあってもいいかもしれません」
「それでも二時間は長すぎるわ。何か、話しにくいことなのでしょうね。待ってあげた方がいいかしら」
「この様子だと、明日の朝まで続くかもしれませんよ」
「それは困るわ」
ふう、と溜息を一つつき、席を立つ。
手を伸ばした瞬間。
コン、コン。
先に扉が鳴った。
「………どうぞ」
ガチャ、と、随分と静かに扉が開かれる。
「………やあ、ルシア」
「お父様、ごきげんよう。いかがされました?」
「いや…………その、今日は、随分といい天気だ。………元気かね?」
「………………お父様」
「……………すまない、何と言っていいのか………」
「悪い報せですわね。どうぞ、遠慮なさらずおっしゃって」
------事前に通告が来ているのだ、処刑宣告ということはないだろう。
「………君は、本当に、いつも冷静だな。私も見習わねば。………………王家から、報せが届いた。アルヴェリク殿下と君の婚約を、改めたいということだ」
「え」
婚約を解消?このタイミングで?
------誕生日は、二ヶ月後だ。
「他には………他に何か報せは!?」
「! おお、おお、ルシア……分かるよ」
声を荒げた私に、父が驚いた顔をした後、すぐに泣きそうになる。
「ここまで何年も努力してきたのだ。全ては王太子妃になるために。それが王家からの一方的な通達で白紙にされるなど、さぞや辛いだろう」
「婚約など、どうでも良いのです。それよりも他に報せはなかったのですか。出廷しろとか、身柄を拘束するとか、迎えが来るまで邸から出るなとか!」
「な、何を言ってるんだ? そんなこと、ある訳ないだろう。君はこの件に関して被害者だ。改めて謝罪と説明の場を設けたいから、一週間後に王宮に来るように、とはあったが」
謝罪と、説明。
「……そうですか、それならば良いのです。突然のことで、取り乱しましたわ。失礼いたしました」
「おお……ルシア……」
父から離れ、椅子に座って紅茶を一口含む。
------私としたことが。
ステラに未来を教えられた影響もあるのだろう。
今回こそはと、油断していたかもしれない。
「……婚約解消については、本当に良いのです。例え王太子妃になれなかったとしても、学んだことに無駄なことなどありませんわ」
悲しげにこちらを見る父に、微笑んでみせる。
「アルヴェリク様についても、尊敬はしておりましたが、お慕いしていた訳ではございません。なので、寧ろ、肩の荷が降りた思いです」
「そ、そうなのか?」
「ええ。社交場での噂についても、全く気になりません…と言えば、少し、嘘ですけれど。貴族ですもの。真偽織り交ぜた噂をされることは、元より承知しておりますわ」
------その噂が、人を殺すことも。
目を伏せる。
過去の噂に比べれば、王太子に捨てられたと言われることなど、何と言うことはない。
「……一先ずは、お話を伺いに参ります。一週間後でしたわね。内容について承知した旨、お伝えいただけますか?」
「……ああ。私から返事を出しておこう」
部屋を出ようと踵を返し、ぴたりと立ち止まる。
ゆっくりとこちらを振り返る父と目が合った。
「?」
「………ルシア。こんな時くらい、泣いてもいいんだよ」
泣く?
私が。こんなことで?
「………っあはは!」
「!?」
「………ふふ、失礼しました。お父様、それほど心配されては、私の方が気を遣ってしまいますわ。私は、本当に気にしていません。どうか、普段通りの、明るいお父様でいてくださいませ」
「そ、そうか…。はは…、君の、そんな笑い顔は初めて見たな。…うん、よし!では、君を手放した愚か者に、返事を書いてこよう。後悔するといい、とな!」
「まあ、うふふ。でも、その意気ですわ、お父様」
先ほどとは違い、顔を上げて部屋を出るオルストンを見送る。
扉の横には、物言いたげなルシェ。
「………なあに、ルシェ。貴方も、心配してくれているの?」
「…いいえ、お嬢様」
短く否定する。
「これは、嫉妬です」
「嫉妬?」
「はい。例えどんな理由であろうとも、お嬢様の笑顔を引き出した、あの男に」
「あらあら。うふふ。私はいつでも、笑っているでしょう?」
「…………。あとは、哀れみですかね。お嬢様を選ばなかった、あの男への……いえ、私としては嬉しくもあるのですが。とにかく、そういうものです。お嬢様のことは、心配しておりません」
ピシャリと言うルシェに、肩をすくめる。
「信頼されているのか、私のことなどどうでも良いのか、分からな」
「どうでも良いと思ったことなど、一瞬たりともありません」
私の声を遮って否定する。少し驚いてルシェを見ると、強い意志を込めた瞳と目が合った。
ふ、と。
最近ではあまり動かさなくなった表情を崩し、笑う。
「今も昔も変わらず、お嬢様は、僕の、神様です」
------最近は、執着も弱くなってきたと思っていたのに。
今回の件で、また心配性に火がついたかしら。
「ありがとう。ほどほどにね」
「ふふ。ええ、全身全霊で」
「話を聞いていたかしら」
もう一度目を見合わせ、二人して笑う。
婚約が解消されたとは思えない、穏やかな空気が流れていた。




