雨上がり
「………終わり、ですか?」
あの日から、数ヶ月。
「ええ。テネルシア様の王太子妃教育は、全て完了いたしました。誠にお疲れ様でございました」
にこやかな笑顔で告げる教師を前に、眉を顰める。
「………当初の予定では、まだ王妃陛下に同行しての公務実習が残っていたはずですが」
「そちらにつきましては、テネルシア様であれば必要ないとの判断でございます」
「…………そう」
------何かが動いている。
そう思った。
礼儀作法や各家の系譜、国内外の産業や外交。そういったものだけであれば、幾度となく生きていた世界だ。知識があるだけで説明がつく。
しかし、王太子妃としての実務は、そうではない。実際に情報が伝達されるタイミングや判断を下すまでの時間感覚、その場でしか感じ取れない空気や、文字からだけでは分からない各家の関係。
それらはいくら知識があるからと言って、省略できるものではない。
------それだけではない。
王宮内の各部署を回る予定も、いつの間にか消えている。
アルが協力を求めてくれた王家の研究についても、その後話はなかった。
「………………」
嫌な予感が、胸の内に広がる。
十六の誕生日が、少しずつ近づいていた。
「本当に、テネルシア様の知識量には驚かされるばかりで……アリステラ様も優秀ではございますけれど、比ではありませんね」
「………アリステラ様?」
ふいに出てきた名前に、疑問を口にする。
「アリステラ様のご指導も、先生が?」
王太子妃教育を任されるほどの教師は、そういない。そんな貴重な人材を、わざわざステラの教師役に?
「ええ。王家でお預かりしている以上、相応の品格を、とのことで、お二人とも私が担当させていただいております。もちろん、私はテネルシア様が主担当ですので、予定が重なる時は他の者が担当しますけれども」
「……そうなのですね。お褒めに預かり光栄です。本当に、今までありがとうございました」
「いいえ。こちらこそ、テネルシア様のご指導を担当させていただけましたこと、光栄でございました」
胸に手を当て、続ける。
「…テネルシア様でしたら、きっと、良き国母となられることと存じます」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる教師に、私も礼を返す。
「今後については、詳細が決まり次第、王家より文書にて通達されるとのことです。今は一先ず、余暇を楽しむようお伝えくださいとのことでした。それでは、私は失礼いたします」
「承知いたしました。ありがとうございます」
軽く礼をして、部屋を後にする教師を見送る。
「………私達も、帰りましょうか」
「はい」
扉の横に立つルシェに声をかけ、部屋を出る。
窓から外を眺めれば、木々が色づき始めていた。
「……庭園には、今、何が咲いているのかしら」
「さあ…、植物のことは、ちょっと」
まるで興味がない、という顔で答えるルシェに、笑ってしまう。
余暇を楽しめということは、王宮に通う頻度も減るだろう。
その前に、あの見事な庭園をもう一度散歩するのも悪くない。
「庭園に寄るわ」
「承知いたしました」
*
「申し訳ございません。現在、テネルシア様はお入りいただくことが出来ません」
庭園へ続く門の両脇に立つ衛兵のうち、片方が告げる。
「………入れない?」
「はい」
「…つい先日までは入れていたのだけれど。何か手続きが必要になったのかしら」
「いえ。許可された方以外は通さないように、との指示です」
「……………そう」
許可された者は通れる。
つまり、私には許可が出ていないということだ。
ざわざわと心が揺れる。
切り上げられた王太子妃教育。急に入れなくなった庭園。
「……理由は、教えてもらえるのかしら?」
「それは……」
衛兵が困り顔で目を見合わせる。
「………我々も、知らないのです。ただ、許可のない方は通さぬように、とだけ……」
「そう…。残念だけれど、仕方ないわね」
肩を落とし、悲しげに言う私に同情してか、衛兵が続ける。
「あの……別段、伏せられていることではないのですが、庭園だけでなく、書庫や執務室についても、現在は許可が必要となっています。なので、その…。テネルシア様だけに限ったことではないかと」
目を丸くする。まだ若いこの衛兵なりに、言える範囲で、慰めてくれたのだろう。
微笑ましいことだ。
「そうなのね、ありがとう。気を遣わせてしまったわね。いつもお仕事ご苦労様」
「はっ…!いえ!労いのお言葉、ありがとうございます!」
「……回廊なら、入れるかしら。折角だもの。上から眺めるだけなら、許可は必要ないわよね?」
「はい、そちらでしたら問題ないかと存じます!」
「ありがとう。お体に気をつけてね。ルシェ、行きましょう」
「はい」
衛兵に見送られながら、再び王宮内に向かう。
「……何かが、起きているみたいですね」
衛兵が見えなくなった位置で、ルシェが言う。
「そうね」
何かは分からない。だが。
「でも、今すぐ何かが起こるわけではなさそうだわ」
私がここにいるのがその証だ。
私の身に何かが起こるのであれば、拘束なり投獄なりされているはずである。その時間は十分にあった。
それに。
『テネルシア様でしたら、きっと、良き国母となられることと存じます』
教師の言葉を思い出す。
------私が思っているより、王宮の人間には好意的に見られているのかしら。
「非公式とは言え、アルの婚約者だしね。一先ず、私の身は安全そうよ」
「…………そうですね」
少し不機嫌そうな声音で答え、黙ってついてくるルシェ。
だいぶ私離れしていると思ったが、執着していた名残りだろうか。本人は隠せているつもりなのだろうところが愛らしい。
「ふふ」
「何故笑うんですか」
「変わらないものもあるのだと思って」
「?」
不思議そうな顔をするルシェを見て、再度微笑む。
「……分からないですが、お嬢様が笑っていられるのであれば、僕も幸せです」
「ふふ。相変わらず、お上手ね………あ」
ポツ、と頬に冷たいものが触れた。
「雨ですね。晴れてるのに、珍しい。急ぎましょう」
「ええ」
ルシェが差し出した上着を、傘がわりにして王宮へ急ぐ。雨足は強くない。
扉を潜ったところで水滴を払い、息を整えて階段を登る。回廊に出ると、もう雨は止みかけていた。眼下に広がる庭園を眺める。
「あれは…薔薇かしら。王妃様がお好きだと言っていたもの、きっと秋薔薇ね。春ほどの豪華さはないけれど、深くて綺麗な色…。雨もいい仕事をしているわ」
花弁に残った雫が陽の光を反射し、キラキラと輝いている。空も晴れ、深い花色との対比が美しい。
「あ、見て。虹……きゃっ!」
「危ない!」
よく見ようと手摺りに手を置くと、先ほどの雨ですっかり濡れていた。
「お嬢様。滑ると危ないのでお下がりください」
「心配性ね」
笑いながらも下がり、もう一度庭園を見下ろす。
「…………え」
そこに、先ほどまではなかった人影があった。
陽の光に輝く銀の髪と、金の髪。あれは。
「………ステラと……アル?」
「………そうですね」
------ステラは、入れるのか。
いや、考えてみれば当然だ。ステラは聖女。そしてアルは王太子。
聖女の力は国の為に使われ、王家は国の為にある。それならば、その二人が並んでいることは何ら不思議ではない。
「……今起こっていることに、彼女の力が必要なのかもしれないわね」
聖女の先見が必要なほどの何かが。
「その割には楽しそうですが」
ルシェの言葉に、きょとんとしてしまう。
「楽しそう…?」
「お嬢様というお方がありながら、あの男。他の女と二人で親しげにするなど、お嬢様を軽んじてはいませんか」
殺気まで漏れ出しそうなルシェに、思わず声を上げて笑ってしまった。
「ルシェ、貴方、私が嫉妬していると思ったの?」
「違うのですか?」
「ふふ。アルヴェリク様は立派な方よ。でも、それだけ。政略結婚に感情は必要ないわ」
「……そうですか……。それは、失礼しました」
少し恥ずかしそうに言うルシェに頷いて、視線を戻す。
キラキラと光る庭園の中を、談笑しながら歩く二人。絵になる光景だ。
深刻な顔をしていないということは、何かが起こっているとしても、解決の目処は立っているのだろう。
「………そろそろ、邸へ帰りましょうか」
「はい」
階段へ向かう前に、横目で空を見遣る。
だいぶ薄く消えかかっていたが、そこにはまだ虹がかかっていた。
------大丈夫。
私には、未来があるのだから。




