虹
ステラの指導を引き受けてからは、それまでにも増して多忙な日々だった。
王家も聖女誕生の正式発表の準備や受け入れ準備に追われ、以前のようにアルとお茶をする機会も減っていった。
それでも月に一度か二度は時間を作ってくれたが、礼儀作法の練習も兼ね、会う時はステラも含む三人で、というのが定番となった。
ステラの覚えが早かったこともあり、指導を開始してから三ヶ月後には、世間へ向けて、聖女が出現したことが正式に発表された。
侯爵家令嬢という肩書に加え、目を引く美しい容姿、何より百年以上ぶりに現れた聖女に、国中が大いに沸いた。
王太子と年が近いこともあり、王太子妃になるのでは、と噂する者までいた。
世間の話題はすっかりステラ一色となり------。
そんな中でも、私のデビュタントは訪れる。
毎年雪の季節に行われる、王家主催の大舞踏会。
アルからは予定が合わずエスコートが出来ない旨の書状が届き、私はお父様------オルストン=ゼレンディアと共に参加することとなった。
「ルシア」
「はい」
「渡すのが遅くなってしまったんだが………、これを」
「まあ、何かしら」
デビュタントの前日、オルストンから一つの贈り物があった。手渡された濃紺の箱を開く。
「まあ…、なんて綺麗なブローチ」
糸を編み上げたかのように繊細なプラチナの枠。その細い蔓を思わせる曲線に沿って、色とりどりの小さな宝石が散りばめられている。
そして、その中心。
幾重にも取り囲まれた宝石の奥で、一際大きな黄金色の石が、月の光を閉じ込めたかのように淡く輝いていた。
------本当に、何度見ても綺麗。
「希少な石で出来ているらしい。本当は、十二の誕生日に贈るつもりで用意していたんだが…。王太子殿下からの贈り物と重なってしまっただろう?
だから、そのまま仕舞っておいたんだ。返品しようかとも思ったが…、きっと、君に似合うと思うと手放せなくてな」
------今回贈られなかったのはそういう訳だったのか。
箱の中に収まるブローチを見つめる。
繰り返す生の中で幾千の宝飾品を目にしてきた私でさえ、これほど美しいものは他に見たことがなかった。
------まあ、だからお父様も、毎回贈ってくださるのでしょうけれど。
「………嬉しいですわ、お父様。ありがとうございます」
オルストンの目を見つめ、微笑んで礼を言う。
「うん……、いや、喜んでくれたなら良かった」
「明日のデビュタントも、こちらを着けていこうかしら」
「! 本当か? しかし、王太子殿下からいただいたものもあるだろう」
一瞬顔を綻ばせ、すぐに心配したような表情になる。
「ええ。でも、せっかくお父様にエスコートしていただくのですもの。アルヴェリク様も、きっと許してくださいますわ」
「そうか!そうか、うん。いやなに、これまでは王太子殿下から頂いた物を使っていたから、もしかしたら出番はないものかと思っていたんだが…、気に入ってくれたなら良かった」
「ふふ。お父様が私のために選んでくださったのですもの。嬉しくない訳がありませんわ」
「うん。うん!そうだな、ああ、私の可愛いルシア!明日のデビュタントが一層楽しみだ!今日は明日に備えて早く寝るんだぞ」
「まあ、お父様ったら。私、もう、小さな子供ではありませんわ」
「はっはっは、そうだったな!レディにとんだ失礼をしてしまった、私は退散するとしよう」
心外だ、という表情で返した私に、大きな笑い声を返して部屋を後にする。
「……………………本当に、綺麗」
手元に残されたブローチを手に取り、そっと胸元にあてる。
「………お嬢様の美しさの前には、霞みますね」
「まあ、ふふ。ルシェったら、お上手ね」
この数年でルシェも大分物静かになった。相変わらず外に出ていることもあるようだし、私への興味が薄れてきているのだろう。
それでも、二人になると、こうして軽口を叩いてくる。
「事実です」
「ふふ。ありがとう」
鏡に映ったブローチは、濃紺のドレスの上で、夜空に浮かぶ月のように、輝きを放っていた。
*
「ゼレンディア侯爵、ならびに、ご令嬢テネルシア=ゼレンディア様、ご到着です!」
大きな声とともに、両開きの扉が開かれる。
------まあ、大方予想通りね。
会場に入るや否や、周囲からの視線が集まる。中にはあからさまに声を潜め、囁き合う者もいた。
次期王太子妃と噂されている者が、デビュタントに王太子を伴わなかったのだ。聖女を王太子妃に、という声もある。好奇の視線を向けられるのは当然だろう。
------お父様は気にしてなさそうなのが幸いね。
ちら、と父を見上げると、目が合った。
「どうした、ルシア。緊張しているのか?はっは、大丈夫だ。この空間で、君より輝いている者はいないよ。そのブローチも、ドレスとよく似合っている」
向けられた朗らかな笑顔に、無意識に顔が綻ぶ。
------悪い人では、ないのよね。
何を言われようが、噂は噂。
言いたい者には言わせておけばいい。
そんなことで、私が私であることは揺らがない。
結果、デビュタントは元々交流のあった令嬢と談笑し、見知らぬ令嬢に少しの嫌味を受け、幾人かの貴族令息と踊ったのみで、大きな事件もなく幕を閉じた。
*
デビュタントを終え、季節が二つほど過ぎた。
十五の誕生日を迎え、一人、気を引き締める。
今回は王太子妃候補。
今までとは違って王家の護りがあるとは言え、いつもなら、あと半年から一年で、私の命は終わる。
「ルシア様」
呼びかけられ、目の前で優雅にお茶を飲む少女を見る。
ステラと出会ってから、一年が経っていた。
------あの頃とは、見違えるようね。
表情をころころと変え、失言をしては真っ青になっていた小さな少女は、今ではすっかり淑女の雰囲気を纏っていた。
「どうしたの?」
「あの………、申し訳ありません。王宮の侍女から、先月、ルシア様が十五歳を迎えられたと伺いました」
「? ええ、そうね」
少し目を伏せ、申し訳なさそうに言う。
何を謝ることがあるのだろう。
「ルシア様にはこの一年間、とてもお世話になりましたのに…知らなかったとはいえ、お祝いの言葉さえ差し上げられなくて」
「そのようなこと…ステラ様がお気になさることではないですわ」
「いいえ、そういう訳にはいきません。淑女たるもの、礼は尽くさねば。なので、ルシア様」
「?」
顔を近づけ、口元を扇子で隠して、小さな声で言う。
「お誕生日のお祝いと、お祝いが遅れてしまったお詫びに………一つだけ、未来を視て差し上げますわ」
目を見開く私に、ステラは悪戯っ子のように笑う。
「…王家の方々には、内緒ですよ?」
「…………本当、に、未来が、視えるの?」
掠れた声で聞き返す。
「はい。と言っても、確定した未来ではありません。私が未来を視ることで、変わる……変えられる運命もあるからです」
確かに、ステラが王宮に来てから、報道される事件に"未遂"という文字が付くことが増えた気がする。
「なので、一番可能性の高い未来、とお考えください」
私の目を見て答えるステラ。
それ以上は言えない、という風に一度目を伏せる。
視えた未来は、変えられる。
------それならば。
「…………………勿体無いお申し出、ありがとうございます。では……」
喉が張り付く。
気付かれないよう、静かに息を整えた。
「……私の、最期を」
「最期、ですか?」
こてん、と首を傾ける。自分の死が見たいなんて、酔狂だと思われただろうか。それでも。
小さく頷いた私に、ステラはふわっ、と笑い、
「分かりました。では、お手をお借りしても?」
震えを抑えて手を差し出す。
「…………ええ」
私の手を挟むように、胸の前で手を組み、目を閉じる"聖女"。
「------………虹、が、見えます」
「虹?」
「ええ。
------窓から、陽がさしていますわ。視線だけ動かして……お年を召した手をされているので、もう自由には動けないのかもしれないですわね。でも、苦しさはなく……明け始めた空に、虹がかかっています。憂いも、苦しみも、悲しみもなく------」
伏せられた睫毛が上を向き、こちらを見つめて微笑む。
「------ルシア様は、とても穏やかに、最期を迎えられるのですね」
「…………私、が」
声が震える。
「優しいお方ですもの」
涙が溢れそうになる。喜びか、安堵かは分からない。
「ありがとう…………ありがとうございます、ステラ様……。行先を知れて、今世を、穏やかに生きられそうですわ」
「ふふ。喜んでいただいたのなら、良かったです」
事件を未然に防げている以上、ステラの力は本物だ。つまりは。
------あるのだ。そんな未来が。私にも。
「……それでは、私は、次の予定がありますので」
「ええ。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
溢れそうになる涙を悟られぬよう、足早にその場を去った。
庭を抜けたところで、ルシェが合流する。
「………お嬢様?いかがなさいました」
訝しげに聞くルシェに、
「何でもないわ。何でもないの」
重ねて答えた。
------あるのだ。私にも。
未来が。




