名残り雨
------これに乗るのも、最後になるかしらね。
流れていく景色を眺める。
馬車とは思えないほどの快適さ。御者台の上には、王家の紋章が光っている。
婚約解消についての話を聞きにいくために、私達は馬車に揺られていた。
「………お嬢様」
正面に座るルシェが、口を開く。
通常なら見張りのため馬で伴走しているが、今回は王家の護衛が付いており、返却物も持参しているため、同乗させている。
「何かしら」
「ひとつ、お聞きしても良いですか」
チラ、とルシェを見ると、珍しく険しい顔をしていた。
少し考えたが、最近起こった心当たりなど、婚約の件くらいしかなかった。
「………婚約解消の話なら、私にはどうしようもないわよ」
「違います。…いえ、関係、なくはないのですが」
歯切れが悪い。
「では何?」
「お嬢様は、その………。何を、恐れているのですか?」
「?」
「婚約の解消を告げられた時、お嬢様はひどく動揺されていました。お父上……ゼレンディア侯爵は婚約解消のせいだと思われていたようですが、私には、そうは思えませんでした」
「………………」
「お嬢様は、何を、恐れているのですか?」
真っ直ぐこちらを見つめるルシェに、誤魔化しは効かないと理解する。しかし、何と答えたものか。
言葉を探す私を見て、ルシェが悲しげな、困ったような顔をする。
「……言葉を変えます。私で、何か、お役に立てることはありますか」
------自分には、話せないことだと思ったのね。
「ありがとう、ルシェ。違うのよ、違うの。何と言えば良いのか………。私は…………誕生日が、怖いの」
「誕生日が?」
「ええ」
「……………………」
「…………ふふ、ごめんなさい。分からないわよね、こんな話。気にしないでちょうだい」
難しい顔をして黙り込んだルシェに、取り繕うように言う。
私、いつも十六になる前に殺されるの。殺されては、過去に戻される。記憶を持ったまま、何度も人生をやり直してるの。もう何千年も。
------なんて。いくらルシェでも、信じないでしょう。
「……ほら、もうすぐ着くわ。何があるか分からないもの、護衛、宜しくね」
「はい。何があろうと、お嬢様には指一本触れさせません」
「ふふ。頼もしいわ」
王宮の門を通過する。しばらく走って馬車が止まり、扉が開かれた。
降りた先には、見覚えのある侍従が待っていた。
頭を下げ、表情を崩さぬまま、口を開く。
「テネルシア=ゼレンディア侯爵令嬢。お待ちしておりました」
------王宮内には、もう周知されているという訳ね。
今までは、テネルシア様、だった。
態度もどこか余所余所しい。
「こちらへ。アルヴェリク王太子殿下がお待ちです」
「……ええ」
促されるまま、王宮へと足を踏み入れる。
案内されたのは、王宮の一角にある応接室だった。
「………護衛の方は、扉の外でお待ちください」
当然のように私に着いて部屋に入ろうとするルシェを、侍従が止める。
「しかし」
「ルシェ」
食い下がろうとするルシェを、短く制する。
「………承知いたしました」
全く納得していない顔をしながらも、持っていた小箱を私に手渡し、扉の横に待機する。
それを見届け、侍従が扉を叩いた。
「失礼いたします。テネルシア=ゼレンディア侯爵令嬢のご到着です」
「……入れ」
ギィ、と、短く軋む音がして、扉が開かれる。
「………お待たせしてしまい、申し訳ございません。テネルシア=ゼレンディア、ただいま参りました」
部屋の中央に進み、礼をとる。
顔を上げた先には、アルヴェリクと------ステラが、並んで座っていた。
------噂は、本当だったのね。
思う間もなく、アルヴェリクが立ち上がり、口を開く。
「………テネルシア嬢、お待ちしておりました。お掛けください」
「失礼いたします」
私が腰を下ろしたのを確認し、アルヴェリクも座り直して続ける。
「既に、ゼレンディア侯爵からお伝えいただいているとは思いますが……私と、テネルシア嬢の婚約の話を、解消させていただくこととなりました」
「はい」
「……聡明な貴女のことです。もうお分かりかとは思いますが、背景としては、彼女……アリステラ=エルヴェイン侯爵令嬢が、聖女の力を顕現したことにあります」
小さく頷く。
「ご存知の通り、聖女の力は、国の命運を左右します。彼女の能力も------詳細をお伝えすることは出来ませんが、既に、この国に大きな影響を与えています」
チラリ、とステラに目を遣る。
泣きそうな顔をしてはいるが、落ち着いてアルヴェリクの話を聞いている。
------淑女らしくなったわね。
こんな場なのに、微笑んでしまいそうになる。
私はステラの能力を知っている。それを、アルは知らない。
感情を表に出さないことは、社交界では大切なことだ。焦りも、怒りも、辛さも憂いも、全てを笑顔の仮面に隠さねばならない。
アルヴェリクが続ける。
「同じ侯爵家、正式に結ばれていない婚約。であれば、聖女であるアリステラ嬢を国母にすべき、というのが、王家の結論です」
辛そうな顔で話し終えたアルヴェリクの目を見つめ、口を開く。
「承知いたしました。私も、同意見ですわ」
王家の結論は当然だ。
前回までステラが王太子妃にならなかったのは、公爵令嬢との婚約が既に発表されていたからだろう。
王太子妃教育を受けていたとは言え、公式になっていない婚約が覆ることは、貴族間でも稀にある。
相手が聖女となれば、ただの侯爵令嬢である私を選ぶ理由はない。
「アルヴェリク様、こちらを」
傍に置いておいた、小箱を差し出す。
「? 開けても?」
「ええ」
アルヴェリクが、蓋を開く。
箱の中には、アルヴェリクの瞳と同じ色の宝石をあしらったネックレス。婚約の申し出を受けた際、その証にと贈られたものだ。
「これは……!」
「……長い間、お借りしていたものです。大切に使わせて頂きましたが、もうお役目を終えましたので、こちらはお返しいたします」
微笑んで言う私に、意図を察したのだろう。
アルが大きく表情を崩し、手を握りしめる。
「…………っ、本当に、申し訳ない………。私だけの意見では、結論を変えられず………」
「気にしておりませんわ。……ですから、ステラ様も。そんなお顔をなさらないでください」
「ルシア様………」
大きな瞳が潤む。
「ルシア様、私、ルシア様にはあれほどお世話になりましたのに……」
「良いのです、ステラ様。思慮深いお二人が結ばれる、素晴らしいことですわ」
微笑む私を見つめるステラの瞳から、一筋の涙が流れた。
目を伏せ、それを拭う。
「………はい。ありがとうございます」
前を見据えた金の瞳には、先ほどまで泣いていた少女の面影はない。
「……しかし、ルシア嬢。王太子妃教育を受けていた君だ、無礼は承知だが、君さえ承諾してくれるなら、側妃として迎えるという手段も」
「いいえ、アルヴェリク様」
首を振る。
「元より、過ぎたお話だったのです。父のこともあります。何処かの次男か三男にでも婿入りしてもらって、領民を守りながら静かに暮らしていきたいのです」
「………そうか」
「しかしルシア様、それでは」
「ステラ」
食い下がろうとするステラを、アルヴェリクが短く制す。
「…………申し訳ございません」
「いいえ、アルヴェリク様、ステラ様、ありがとうございます。お二人のお気遣い、大変嬉しかったです」
アルヴェリクが、悲しげにも悔しげにも見える顔で、口を開く。
「最後に、もう一度だけ確認させてくれ。君は、王妃にはなれない。側妃の話も固辞するというのなら、君の数年間………王太子妃教育に割いた時間は、実を結ばないことになる。それで、良いんだね?」
「はい。問題ございません」
「………そうか」
今日初めて、僅かな笑みを浮かべて、アルヴェリクが続ける。
「……君の魔術についての知識は、本当に素晴らしい。私は本当に、王家に入ってほしかったが……君の望みがここに無いと言うのなら、強制はできない」
立ち上がり、手を差し出す。
「………今までありがとう、ルシア嬢。君と過ごした数年を、きっと忘れないよ」
別れの挨拶だ。
私も立ち上がり、手を握る。
「こちらこそ、ありがとうございました。数年とはいえ王家で過ごせたこと、とても貴重な経験でした」
手を離し、ステラに向き直ると、ステラも立ち上がった。
「ステラ様も…お元気で。ステラ様なら、アルヴェリク様と手を取り合い、きっと素晴らしい治世を築かれると信じておりますわ」
「ルシア様……。未熟な私をここまで連れてきてくださり、ありがとうございました。………どうぞ、また会う日までお元気で……」
深く頭を下げるステラの所作は、美しかった。
こちらも頭を下げる。
「ふふ、もしかすると、次にお会いする時は侯爵を継いだ後かもしれませんわね」
冗談めかして言った私に、二人は苦笑を浮かべたのみで答えなかった。
どうやら、笑いのセンスは無かったらしい。
「………それでは、私は失礼いたしますわ。アルヴェリク様、アリステラ様、どうぞお元気で」
踵を返しかけて、ふと、思い出す。
「………アルヴェリク様、最後に一つ、私からお聞きしても?」
「? ああ、何だい?」
「お二人のご婚約の発表は、いつ頃されるのですか?近々大きな催しなどは無かったと記憶しておりますが……」
「ああ。あれ、通達が行ってなかったかな? 二ヶ月後の花冠の日に、盛大な催しをする予定になっている」
「……え?」
------その日は、私の誕生日で
「ちょうど、ステラの誕生日なんだ。十四になるから、デビュタントと合わせて、発表を行う予定だよ」
------ステラの、誕生日。
ああ。そういうこと。
冷えていく心を隠し、にこやかに笑う。
「………そうなのですね。それは、おめでとうございます」
「あの……ルシア様も、参加してくださいますか?」
「ステラ様。勿論、そうしたいのですけれど……私がいては、周囲の皆様に気を遣わせてしまいますわ」
「………そうですか」
明らかに気を落としたステラを見て、思わず拳に力が入る。
誤魔化すように一度深く息を吸い、吐く。
「参加は遠慮させていただきますけれど、邸にて、心の底からお祝いさせていただきます」
「ありがとうございます」
「それでは、今度こそ失礼いたしますわ。アルヴェリク様、アリステラ様、お元気で」
互いに礼をとり、部屋を後にする。
扉の外で待っていたルシェが、一瞬驚いた顔をし、締められた扉を睨んだ後、黙って着いてくる。
------私は、どんな顔をしているのかしら。
怒り?恥?悲しみ?憂い?
とんだ思い違いをしていた。
私は今まで、十六になるまでに殺されると思っていた。
けれど、そうではなかったのだ。物語は、私の方など向いていなかった。
------この物語の主人公は、ステラ、貴女なのね。
私の………いや。
ステラの誕生日まで、あと二ヶ月を切っていた。
*
その日は、すぐにやってきた。
婚約を解消してからというもの、茶会にもすっかり呼ばれなくなり、邸で過ごす日が増えていた。
オルストンも気丈に振る舞ってはいるが明らかに気を落としており、母は相変わらずたまに姿を見かけるくらいで、出かける予定もない私は魔術研究に没頭していた。
記憶消去に関する書物を手に取り、ふと著者が目につく。
「………ギオ=ランクル」
彼はこの分野において、第一人者だった。記憶消去だけでなく、記憶や精神に関する広範な知識と深い技術を持っていた。
そして、だからこそ、あれが起こったのだ。
------全ては、あの日から始まった。
「不幸な事故でしたね」
白々しい声が転がる。声の主は、勿論ルシェだ。
視線を向ければ、飄々とした顔でこちらを見つめている。
「……そうね」
ここまで長かった。今日まで生きてきた。
特にこの二ヶ月は、少しの見落としも無いよう、細心の注意を払った。
つまり、何かあるとすれば。
「…………賑やかね」
窓の外に視線を移す。
静かな邸とは対照に、ここからでも分かるほど、街は賑わっていた。
花冠の日。
王宮を中心として植えられたステリアの花がちょうど満開となる頃に設けられた祝祭の日だ。
薬草にもなるその白い花は、女神より授けられたとして、国花にもなっている。
「……毎年のことなのに、騒がしいですね」
吐き捨てるように言うルシェに、苦笑を浮かべる。
昼を過ぎたとはいえ、まだ陽は高い。
大きく開いた五枚の白い花弁が陽光を受けて輝く様は、地上に落ちた星のようにも見えた。
「今年は、特別でしょう。王太子殿下のご婚約発表の日だもの」
「………本来なら」
「やめましょう、ルシェ。終わったことよ」
何かを続けようと口を開いたルシェに、小さく首を振って見せると、何も言葉を発さないままその口は閉じられた。
「そんなことより、これからのことを考えましょう。今日はこんなにも賑やかなんだもの。光が強いほど、影も濃くなるのが常。何かが起こったとしても、すぐには気づかれないわ」
「………何かが、起こるとお思いなのですね」
「………………」
「護ります。何があろうとも」
無言を肯定と受け取ったのだろう。静かに、しかし強い意志を込めた声で言うルシェと目を合わせる。
「ありがとう。お願いね」
------魔法であれば。
大体のものは対処できる。攻撃魔法も、精神魔法も、例え魔獣に襲われようと、邸ごと爆発されようとも、防ぎ退けることが出来る。
しかし、この世界はそれを許さない。
身を守る。逃げようとするのは、疾しい事があるからだと尋問される。
罠を張る。偶然貴族が掛かり、殺害未遂容疑で拘束される。
引き籠る。怪しい研究をしている嫌疑を掛けられ、投獄される。
何もしなければ殺される。
何かをすれば、それが罪になる。
結局。
------日々の中で、地道に火種を潰していくしか無いのよね。
未だ高い位置にある太陽を見上げる。
先ほどよりは、ほんの少し、傾いただろうか。
朝から何度見上げたか分からない空は、憎らしいほどに晴れ渡っている。
「………早く、明日になるといいわね」
ぎゅ、と、祈るように手を握りしめた。




