日常
アルヴェリクとの婚約を承諾してからの日々は、驚くほど穏やかで、あっという間に過ぎていった。
今までの生活に王太子妃教育が追加され、王宮へ向かうことが多くなった。
アルヴェリクとの仲は順調で、時折政治や魔術理論について話すこともあった。
年下の私の話にも耳を傾け、特に魔術理論については高く評価してくれたようだ。実際に術式を組んで見せた時などは随分と驚き、ゆくゆくは王家が独自に行なっている魔術研究にも協力してほしいとまで言ってくれた。
------王家が魔術研究をしているなんて、初めて知ったわ。
魔術研究といえば、魔法省の領分だ。国防を担う辺境伯や、治癒術を生業としている極一部の貴族が屋敷内に研究室を作っているという話は聞いたことがあるが、規模は決して大きくない。
王家が主導しているとなると、もっと噂になっていてもおかしくないはずだ。
「………王家が魔術研究をしているなんて、初めて聞きました。どのような研究を?」
尋ねた私に、アルヴェリクはいつもの柔和な笑顔に少しの照れ臭さを滲ませた。
「人の、可能性を引き出すような研究なんだ。人が、それぞれ生まれ持った才能を引き出せれば、本人にとっても、国にとっても、良いことだと思わないかい?生まれた身分に関係なく、誰もが自分の才を活かし、支え合って生きられる国------それを目指してるんだけど」
すっ、と一度視線を逸らして、バツが悪そうに笑う。
「あまり、上手くいってなくてね。表に出せるようなものじゃないから、公にはしてないんだ」
「そうなのですね。素晴らしいお考えです」
------まるで絵空事だ。
その絵空事を叶えるために、国の予算を割いている。上手くいっていないのであれば尚のこと、王家の面子もあるのだろう。
しかし、頼ってくれたこと自体は素直に嬉しかった。
「私でお力になれるのであれば、喜んで」
そう答えた私に、たいそう喜んでくれたアルヴェリクを見て、本当にそんな日が来るといいな、と。つい思ってしまったことを覚えている。
王宮通いの他にも、婚約内定の噂が届いたのか、デビュタント前だというのに、茶会へ招かれる機会も随分と増えた。
外出が増えた私に、王家は約束した通り護衛をつけ、それに伴い、ルシェが私から離れることが少し増えた。
裏で妙な工作をしていないかと、一度ルシェに聞いたことがある。
「ルシェ、あなた、休みの日は何をしているの?」
「僕ですか?お嬢様をこっそり見守ったり、趣味で集めた物を眺めたり、お嬢様の似顔絵を書いたり、お嬢様が何をしてるか想像したり………」
相変わらずだな。
「……あとは、たまに人を探してます」
「人?」
「ええ、兄です」
「ああ……昔、言ってたものね。見つかるといいわね」
「はい。ありがとうございます」
たまに姿が見えないのはそういうことだったのか。
とりあえず、私を監禁したり誘拐したりといったことはなさそうだ。
流石に王家の婚約者ともなると、私にもアルにも手を出せないのかもしれない。いい学びを得た。
------アルといえば。
"本来の物語"でアルの婚約者だったレイフォード公爵令嬢についての噂を聞いた。
なんでも、アルに想いを寄せていた彼女は、公爵令嬢という立場もあり、自分が婚約者になれると思い込んでいたらしい。
そこへ私が現れたことで、精神を病んで田舎へ引っ込んでしまったとか。
------流石に、少し、申し訳ないわね。
誰かを不幸にしたいわけではないのだ。
ただあの日、一つ歯車が狂っただけ。その余波が広がって。
------今ではもう、私が知っている物語とは、だいぶ違ってきている。
『もちろんルシア様の責任ではないですわ。王太子妃なんて、とんでもない栄誉ですもの。お受けするのは当然です。ただ、レイフォード公爵令嬢がお可哀想で…。』
などと。
涙するふりをしながら茶会でわざわざこの話を伝えてきたあのご令嬢も、本来なら出会わない人間だった。
------まあ、会ったのはあの一度きりだけれど。
そんな出会いが沢山あった。
妬む者。媚びる者。権力に靡いたと蔑む者。
利になりそうな者とは交流を深め、そうでない者とは距離を取る。親しいと言っても良い令嬢も何人か出来た。
最初の頃こそ、王家と縁を作るということはこういうことなのか、と。多少振り回されもしたが、半年、一年と経つごとにそれにも慣れ、今ではただの日常だ。
記憶保持の魔法を施しているとはいえ、あくまでも強化。覚えなくてもいい人間など山ほどいる。
一度きりで会わなくなった人間の顔は、もう覚えていなかった。
そんな日常も。
「………そろそろ、ね」
あと数時間で、私は十四を迎える。物語が変わっていなければ、そこから一ヶ月ほどで、聖女が王家に保護されるはずだ。
------結局、今回も見つけられなかったわね。
聖女・アリステラ=エルヴェイン侯爵令嬢。
少なくとも、世間にはそう公表された。
侯爵家という身分に加え、国に安寧をもたらすという伝説の聖女の出現に、国中が大いに沸いた。
しかし。
------エルヴェイン侯爵家に、アリステラという名の嫡子はいない。侯爵家の血は確かに引いているみたいだけれど……。
過去に処刑された理由は、圧倒的に聖女に関するものが多かった。だから調べた。何度も何度も。繰り返す度に。
------おそらく、エルヴェイン侯爵家の誰かが外で儲けた子なのでしょうけれど。
公的記録にはアリステラ=エルヴェインの名はなく、そもそも、アリステラというのが生来の名前かもはっきりしない。
それでも少しずつ情報を集め、確かにエルヴェイン侯爵家の血筋であるらしいということだけは分かったが、聖女でもないただの庶子は侯爵家にとっての恥。
公式記録は元より、アリステラが生まれたと思われる前後に侯爵家の人間が通っていた店や、交流のあった女性など、市井に残る僅かな痕跡さえ消されており、辿ることが出来なかった。
------顔だけは分かるから、外出の際は注意して見ていたけれど。流石にそんなに上手くはいかないわね。
私が毎回殺されるように。聖女が現れることも、毎回決まっているのだろうか。
そう思うほどに、聖女として現れるまでの彼女に関して、何一つ確かな情報は手に入らなかった。
------聖女様だもの。世界に、愛されてるのね。
なんて。
「ふふ」
空に浮かぶ月を見上げ、笑みが漏れる。
「どうかしましたか?」
「いいえ、ルシェ。なんでもないわ」
「そうですか。……明日で、十四ですね。少し早いですが、おめでとうございます」
「ありがとう」
「……デビュタントの日取りはまだでしたよね。エスコートは、王太子殿下が?」
そんなことを気にするのか。
ルシェをちらりと見遣るが、就寝前のハーブティーを用意しているようで、顔は見えなかった。
「ええ、その予定よ」
窓を閉め、ベッドに向かう。
「……そうですか。いよいよ、本当に婚約者としてのお披露目ですね」
「そうね」
「おめでとうございます」
「ありがとう」
「………………」
茶器の音だけが響く。
………………。
念のため、フォローしておくか。
「ルシェ」
「はい」
「最近は、王家の方達も護衛についてくださって、ありがたいわね」
「…………?はい」
「色々な方がいらっしゃって、流石王家だわ」
「はい…」
「我が家からは、貴方だけね」
「!」
目を見開く。
「……はい……はい、お嬢様。お守りします。今後も、ずっと」
噛み締めるように呟くルシェ。
「頼りにしてるわ。そろそろ寝ようかしら。灯を消して、ハーブティーもお願い」
「はい、ただいま」
注がれたお茶を飲む。本当に、淹れるのが上手くなった。
「ご馳走様。それじゃ、また明日ね」
「はい。失礼します」
パタン、と扉が閉まり、私も目を閉じる。
聖女出現まで、あと少し。
残された平穏な日常を、明日も噛み締めるために。




