一握りの変化
ギオの死は、無事に事故として処理された。
調査官が来た数日後には紙面に載り、人々はその死を悼み、私のもとには別の人間が教師としてやってきた。
日々と共にギオの事件も風化していき------。
そして、私はまもなく、十ニ歳を迎える。
------順調ね。
開いた窓から階下を見下ろす。柔らかな風が心地良い。
十二。聖女が現れるまで、あと三年。
"本来の物語"では。
私が十五になる年に聖女が力を顕現し、そこからすぐに保護対象として王家に迎え入れられる。社交界デビューがまだだった彼女に、同じ侯爵家として仲良くしてやってほしい、と紹介されるのだ。
「………アリステラ=エルヴェイン」
ぽそり、と呟く。なんて綺麗な名前だろう。
ステラと呼ばれたその少女は、まさに聖女と呼ぶに相応しい容姿をしていた。
「お知り合いですか?」
振り向くと、いつもと同じ笑顔を浮かべたルシェ。
「……いいえ。ある物語の、主人公よ」
------ふふ。主人公。
自分で言って笑ってしまう。それならば、さしずめ私は悪役令嬢というところか。
「そうでしたか。随分と、懐かしそうにされていたので」
静かに言いながら、紅茶をカップに注ぐ。
ギオの一件以来、ルシェは気配を隠すのが上手くなった。
------いえ、気配だけではないわね。
所作、表情の作り方、感情の制御に至るまで。
------似ている。あの頃のルシェと。
私の前に、暗殺者として現れた、あの頃の------
「お嬢様、紅茶が入りました」
「ありがとう、いただくわ」
テーブルの横に佇むルシェ。
この一年で、背もだいぶ伸びた。
「! 美味しい、上手くなったわね。すごいわ」
「本当ですか?!」
ぱっ!と花開くように笑うルシェに、あの日の言葉を思い出す。
『僕、約束します。よりお嬢様のお役に立てるよう、お嬢様の足を引っ張らないよう、お嬢様のお側にいられるよう。今まで以上に心と体を磨いて、お嬢様を------』
一年前とは比べ物にならないほど成長した彼は、いったい、どれほどの努力をしたのだろう。
------その全てが、私を守るため。
じわっ、と、胸が温かくなる。何百、何千と繰り返し人に憎まれ、殺されてきた。今回もそうかもしれない。
ただ、今この瞬間だけは、確かに私を想ってくれている人がいる。
何よりの救いだった。
「………そういえば、公爵家から手紙が来なかった?」
「手紙ですか?」
「ええ。お茶会のお誘いが来ると思うのだけれど」
「来てませんね」
「? あら、そう?私の勘違いかしら」
------おかしいわね。
何度繰り返しても、毎回、この時期になると公爵家から手紙が届いていた。公爵令息の婚約者を決めるため、公爵夫人が良家の令嬢数人を集めてお茶会を開くのだ。
「公爵家といえば、先日、公爵令息と辺境伯のご令嬢がご婚約なさったそうですよ」
「えっ」
「? なにか、ありましたか?」
「あ、いえ、いいえ。急な話だったから驚いて」
「どうやら、例の------ギオ=ランクル一級魔術師の事故の件で、軍事力の強い家との繋がりを求めたのではないか、との見方があるようです。辺境伯は土地柄、対人だけでなく魔獣の類にも慣れていますから」
------なるほど。そんなこともあるのか。
私が知っているのは、あくまでも本来の物語と、通ってきた過去だけ。今までも私の行動によって多少の変化は起きた。
今回も、ギオの死を受けて、物語が多少変化したのだろう。
------そうなると、次の婚約者は誰なのかしら。
誰でもいいけれど、面倒じゃない人がいいわね。
紅茶を啜りながら、空を見上げる。
それが判明するのは、十二になって半年が過ぎた頃だった。
「ルシア!ルシアはいるか!」
騒々しくドアが開けられる。
「お父様!?どうなさいましたの、そんなに慌てて……きゃっ!?」
ドタドタと廊下から入ってきて、ルシアを抱き上げる恰幅の良い男性。
ルシアの父親、オルストン=ゼレンディア侯爵だ。
「お前の婚約が決まったぞ!アルヴェリク王太子殿下だ!」
「えぇ!?」
「お前の噂を聞いて、候補として挙げてくださったそうだ!王太子殿下もご了承済みらしい!」
「お、王太子殿下の婚約者は、レイフォード公爵令嬢では……?」
ぶんぶんとルシアを振り回す腕がぴたりと止まる。
「どこでそれを?」
きょとん、とした顔で聞いてくる父に、しまった、と思う。この世界ではそういう話になっていないから、私に話が回ってきたのだ。
「あ、えぇと、先日お茶会で……皆様そうお話しされておりましたわ。交流も深いレイフォード家が第一候補でしょうね、と」
「は〜…なるほど。女性というのはいくつでも噂が好きなものなのだな。まあ、耳が早いのは良いことだ」
「うふふ。お父様は、噂話にはお詳しくないですものね」
「そうだな。噂なんぞを仕入れている暇があったら、一つでも多く領民の声を聞かないと!」
------その噂話から、新しい技術や国内情勢を読み取っているのだけれど。
まあ、世襲貴族として生まれ、じわじわと資産を食い潰しているこの男に言っても仕方のないことだ。
幸いにもゼレンディア領は土地に恵まれている。私が家名を継げばすぐに回収できる。
------その日が来れば、ね。
「お父様らしいですわ」
うふふ、と笑う。本当に、この男らしい。
善良で、領民想いで、要領は悪いけれど、民に愛され、
------その領民が声を上げれば、実の娘でさえ疑う。
「それでだな!」
「はい!」
がっ、と両肩を掴まれ、強制的に思考が中断される。
「今はまだ候補の段だが、国王夫妻も王太子殿下も、評判が誠ならば是非に、と仰っていてな!顔合わせが済めば正式に婚約だ!すぐに王宮に行くぞ!」
「す、すぐにですか!?」
「ああ、善は急げだ!そうだ、先に遣いを出さないとな。忙しくなるぞ!おい、筆とペンを用意してくれ、あとは封蝋と………いや、私が執務室に行った方が早いか」
再びバタバタと去っていくオルストンに、呆気に取られるルシア。
------まさか、婚約相手がよりによって王太子殿下だなんて。
悪い噂は聞かない。むしろ、現王が即位してからというもの治安も良く、貴族からも国民からも支持は厚い。
だが。
------苦手なのよね。あの瞳が…。
魔女として、悪女として、罪人として。数えきれないほどに裁かれてきたルシアにとっては、自身に裁きを下す側の人間であるという印象は拭えなかった。
憎しみとも、哀れみとも違う冷たい瞳を思い出し、漠然とした不安が浮かぶ。
ふと視線を感じて顔を上げると、ルシェと目が合った。
「------おめでとうございます」
「…ありがとう」
にこ、と笑うルシェ。
そうだ。ルシェも、今回は今までで一番上手くいっている。私に執着しすぎることもなく、非番の日には街に出かけたり、夜に邸を抜け出したりもしているようだ。
------流石に、王太子殿下の婚約者なら殺されないかもしれない。
王家ともなると、その守りは一貴族の比ではない。
もしかすると、今度こそ。
冷静に努めようとするが、つい、期待しそうになってしまう自分がいる。
ギオが消えたことによって起こった変化が、広がっていくのを感じた。




