43話 エルナを絡めとる周到な罠
「おはようございます。エルナ支配人。ワシは商人の《マゼル》じゃ。朝早くからお時間を作っていただき感謝するぞい」
「おはようございます。支配人のエルナです」
見たことの無い商人だ。
ニヤニヤしながら私の足元から顔まで視線を這わせてくる。
(これは……相手をしない方が良さそうです。父さんを連れているなんて嘘で名前を知っているだけかもしれません。私の出自は別に隠しているわけではないですから調べようと思えばいくらでも出てくるでしょうし)
会ってすぐ不快な視線を向けられたことですでに良好な関係を築こうとは思えなくなっている。
(……一応連れてきたって人を見せてもらおうかな)
心配でついてきたジーナさんと警備についてくれているライフシード自警団のカシムさんを連れて打ち合わせ室へ。
「突然の話になってしまい申し訳ない。緊急の要件だったのでね」
「いえ、ですがこの後もお客様がお見えになる予定ですので早速本題に入らせてください」
「わかった。まずそこからじゃろうの。おい、連れてこい」
マゼル商人は部下に人を連れてくるように命じる。
この時の私は父親を連れてきたなどというのはもうほぼ嘘だと思っていた。
多少の似ている程度の人を用意してきたか、または怪しげな霊媒師がゴーストがいるなどと言うのかもしれない。
(早く終わりにしてお引き取り願おう)
そう思っていた。
しかし連れてこられた男性を見て驚きのあまり思考停止状態に陥る。
「どうじゃ?5年ぶりの再会じゃろう。父親のクラウスとわかるかの?」
「………………」
私は何も話せなくなってしまった。
「エルナ支配人?」
ジーナさんが黙りこくる私を見て声をかけてくれるが私は目の前の男性に釘付けになりよく聞こえない。
今にも死んでしまいそうな程衰弱し、意識を失っている男性。
(父は死んだと聞いていたのに……)
見てすぐわかった。
(父さんだ……)
黒子の位置、火傷痕の形、痩せていること以外のあらゆる要素が私の知っている父さんだった。
偽物を用意するにしたってここまで詳細に揃えられるのだろうか。
「信じられないと言った様子じゃな。でもこれは現実じゃよ。エルナ支配人も父親の遺体を見たわけではないのでは?」
5年前、父が乗っていた馬車が無惨な姿で発見された。残っていたのは血がこびりついた父愛用の道具入れだけ。
現場を検証した騎士に説明を受けながら泣き崩れたあの日を今でも覚えている。
(それはそうだけど……。生きてるなら連絡くらいしてくれるはずで……)
「私の奴隷だったんですよ。最近知りましてね。この契約書が履行されることを恐れて家族がいないと嘘をついていたらしいんですよ」
心を読んだかのように私の疑問に回答するマゼル商人。
「さて本題に入ろうかの。エルナ支配人には契約書に従って借金奴隷となってもらおうか」
「え…………?」
マゼル商人が出してきたのは貴族の証文付き契約書だった。
『クラウスは荷運びを失敗した場合の損害を補償する。不可能な場合、親族すべて借金奴隷として生涯を返済に捧げる』
「な……何……これ……」
父さんのサイン、貴族の証文、契約の日付は5年前。
偽物であることを願いたい。でも……本物にしか見えない。
「こんなもの守る必要ない!」
ジーナさんが即座に声を上げる。私を庇おうとしてくれている。
「子爵様の証文が見えないのか。正式な書類での契約を反故にすればどうなるか知らんのか」
「!!!」
黙りこくるジーナさん。彼女はライフシード領にくるまで貴族の理不尽に晒されていた過去を持つ。
つまり良く知っているのだ。貴族の理不尽さを。契約反故の後に何が起こるかを。
「……損害というのはいくらなのでしょうか」
「当時は金貨2000枚と言ったところかの」
「……お支払いします」
「ダメじゃ。あれは5年前の話。そなたの父親本人が奴隷落ちした時点で損害補填すればいいという段階は過ぎ去っておる」
そうくるわよね……。私にはこの商人の狙いが朧げにだが見えてきていた。
(そもそも即金が目当てじゃないのでしょうね……)
本当の狙いはその先。ここからこの男はさまざまな要求をしてくる気なんだ。
「待ってエルナ!ライフォニアは国王陛下の庇護下にあるはずよ!きっと何とかなるわ!」
「それは……」
スッキリバイオレットとライフォニア。この2つに関しては国王陛下に庇護してもらっている。
貴族を相手にすることが多いのに従事者は全員平民という状況は危険だということで、イアック代表が事業開始の最初期からシド様を通じて国王陛下に便宜を図ってもらっていた。
でも……
「……ダメなの」
「な、なんでよ!?」
「ククククク……そりゃそうだわな。この契約は5年も前に取り交わされたものなんだからのぉ」
国王陛下の庇護はあくまでもスッキリバイオレットとライフォニアが出来てからの事項に限る。
今回は5年前の契約書だから対象外だ。
(こんなのどうすればいいの……?)
私は無意識にアオコさんの耳飾りを触っていた。
イアック代表に贈っていただいたもの。追い詰められて心の拠り所を求めての行動だった。
「まぁいきなり奴隷になれと言われたら困惑するのもわかるわい。ワシは優しいからの。契約の履行を待ってやってもよいぞ」
この時私は正常な判断ができていなかった。
「私をライフォニアの幹部に迎え入れてくれればのぉ。そうなればお互いにwin―winだろうのぉ」
どうみても乗っ取りを計画しているこの男をライフォニア内部に加えるなんてできない。
普段なら悩むまでもなくお断りだ。
でも今はこんな話がまだマシに聞こえて一考してしまうくらいには混乱していた。
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この時のマゼル商人の心中は
『待ってやるだけじゃがな。契約はいつでも履行できるようにしておいて甘い蜜を吸うだけ吸ってやる。ライフォニアの実権に大きく食い込んでから奴隷にしてやればいい。それでこの美しい娘の全てがワシの思いのままだ』
こう考えている。
己の野心を満たし、下卑た妄想の果てに貴族に列せられての酒池肉林。マゼル商人はそんなことを考えるようなゲス男だった。
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いつもの私なら相手の顔から考えを察せるはずだった。
今は私は相手の顔を見る心の余裕すらない。
「ピィ!!」
「ヒィ!?」
「アオコさん!?」
アオコさんが突然私の肩から飛び立ってしまった。
「な、なんじゃぁ……!?」
盛大にビビり散らすマゼル商人だったが、アオコさんが突然飛び立ってしまうのはいつものことだ。
アオコさんは魔物の討伐も役務に入っている。強めの魔物を察知したなら即時駆けつけてくれるのだ。そうすることで領民に被害が出るのを防いでいる。
今回もそのパターンだろうと推測できた。
「アオコ……さん……」
私はアオコさんの飛び立つ背中を見送る。
途端に心細く感じてしまう。
アオコさんはアオコさんのやるべきことをやっているだけなのに見捨てられたような気になってしまう。
人間の交渉の場では当然アオコさんに出来ることはない。
それでもアオコさんの存在は私を支えてくれていたんだと気づく。
(ダメ。無理にでも頭を働かせないと)
ここが人生の正念場だと覚悟して思考する。
そして導き出した結論は
――どうにもならない
だった。
どうやっても多大な迷惑をかけてしまうから。
ライフシード領に。
ライフォニアに。
イアック代表に。
大切な仲間たちに。
そして迷惑をかけて尚、逃げ切れるわけではないと思われた。
この男はイアック代表の作った<貴族の理不尽から仲間を守る仕組み>の抜け道を通って<貴族の理不尽>を通してきた。
通されてしまえば逃げる方法などないとわかっているんだ。
(せめて……みんなに迷惑をかけたくないのなら私が取れる選択肢は……)
――奴隷落ち。
それなら私が犠牲になるだけで済む。
絶望で血の気が引いていく。心臓がキュッとなり潰れそうな気さえする。
(本当に父さんは家族を担保にしていたの?)
大好きだった父。体が弱かった母のために必死に働く父を尊敬していたし、家族を何より大事にしてくれる優しい人だった。
でも本当は私たちを担保にできる資産だと思っていたのだろうか。
「エルナ支配人、ここに今のお話をまとめた契約書を作成してきました。サインをもらえますかな?」
「……ずいぶんと用意がいいですね」
「ワシも商人の端くれじゃからの。このくらいは出来て当然ですよ」
白々しい。初めから筋書きは決めていたくせに。
「新しい契約書など不要です。あなたをライフォニアに迎えることなどありませんから」
それだけはさせない。
「ほほう。それなら5年前の契約書に従ってエルナ支配人が素直に私の奴隷になると?それならこっちの契約書にサイン願おうか」
スッと奴隷契約書を出してくる。私が奴隷を選ぶことも予想済みということ。
「待って!待ってよエルナ!イアック代表に来てもらおうよ!あの人なら何か考えてくれるよ!」
目に涙を浮かべてジーナさんが私を静止してくれる。
「おや、それはいけませんよ。イアック代表は今、上位貴族様とお話し中のはず。それを邪魔すればどうなるか」
そんなことまで調べられている。迷惑はかけられない。この男は本当に用意周到だ。
「ありがとうジーナさん。私は……大丈夫だから」
「エルナぁ!!」
泣かないでよジーナさん。こんな男に泣き顔なんて見せたくないのに私まで泣きそうになっちゃう。
目の前には奴隷契約書。
夢の終わり――いや、もう人生の終わりか、或いは地獄の始まりとも言える契約書。
手が動かない。
当然だ。<今から地獄に堕ちます>という内容の契約書に自分からあっさりとサインできる人間などいない。
誰も声を出さない、誰も動けない沈黙の時間。
見かねたマゼル商人が口を開く。
「やれやれ、もう一つ譲歩してやる。父親の治療に尽力してやるわい。多額の金がかかるがそれでエルナ支配人が――エルナが素直になるなら安いということにしようかの」
名前を呼ばれるだけで嫌悪感で顔が歪んでしまう。
それでも父さんの治療をしてくれるというのであればよかったと思うことにしないといけない。
「……ありがとう、ございます」
お礼を言うだけで本当に屈辱的に思ってしまう。
私は震える手で奴隷契約書にサインする。
……サインしてしまった。
もう私は平民ですらない。人権のない道具に成り下がった。
「ひゃひゃひゃひゃひゃ!サインしたのぉ!大事な契約だ。外にワシと懇意の子爵様が待っておられる。証文を貰えば晴れてお前はワシのものだ」
外に待機している……か。本当に全て用意してから来たんだとわかる。私を絡めとるためだけに……。
「厳密に言うなら証文をもらうまで奴隷契約は成立していないが……もういいじゃろう。さっきからその見事な耳飾りが気になっていたんじゃ。それはもうワシのもの同然。さぁ寄越せ。相当な高値で売れるじゃろう」
何もかも奪われる。イアック代表との思い出すらも。
「……嫌」
泣かないと決めていたのに。気付けば私は涙を流していた。
奪われたくなくて庇うように耳飾りに触れる。
『これが絶対エルナさんを守ってくれますから』
イアック代表の言葉が頭にリフレインする。
(イアック代表……助けてください……)
心の中で助けを求めてしまう。ここに来れるわけがないのに。
この場にイアック代表がいなくて良かった。いたら泣いて縋ってしまったかもしれないから。
ニヤニヤした顔で私の耳飾りに手を伸ばすマゼル商人。
バシッ
「ぐあっ!」
しかしその手は耳飾りに触れる前に弾かれた。
「ピィ!」
「ア、アオコさん!?」
魔物討伐に出て行ったはずのアオコさんが戻ってきた。
「こ、このクソ鳥がぁ!…………あ?」
激昂するマゼル商人だったが、次いで部屋に入ってきた人の顔を見て固まってしまった。
「クソ鳥はひどいですね。アオコはライフシード領復興の象徴なんですけど?」
ここにいるはずのない人。ここからかなり距離の離れたシド様の屋敷で、絶対失礼をしてはいけない上位貴族の方を歓待しているはずの人。
「良かった。何とか間に合ったみたいですね」
イアック代表がそこにいた。
お読みいただきありがとうございました。
毎朝6時更新頑張ります。
マゼル: 今夜はお楽しみじゃあ!
マゼル: 巨万の富を得て大貴族と繋がるんじゃあ!
マゼル: 貴族に列せられてしまうのも時間の問題じゃなぁ!
マゼル: そうすれば気に入った女は全部ワシのもんじゃ!
マゼル: ひょひょひょひょひょ!
イアック: (うわぁ…駆けつけてみたらすごいゲス顔のやつがいるんだけど…)
またお越しいただけたら幸いです。
よろしくお願いします。




