第15話「忘れられた植物図鑑」
アンドロイドのメイド「ヒナ」は、日々の業務をこなし、決められた動作を繰り返す。そして、業務を終えた後、その日の出来事を日記に綴る。
壊れた時計、見慣れない来客、うっかりこぼした紅茶——ただの記録にすぎないが、そこには確かに「今日」が刻まれている。
これは、感情のないメイドが紡ぐ、静かな日常の記録。ただそれだけの物語。
2025年5月21日(水)
昨日、私は市場で未知の野菜を確認した。形状は長楕円形、表皮は深緑、断面には白色の繊維構造が確認できた。栄養価及び用途についてのデータを保持していない。補完の必要性を判断。
本日、通常業務の一環として外出。市街地を巡回中、古書店を発見。情報収集のため入店。
店内は雑然としている。棚の配置に規則性はなく、書籍は無作為に積み重ねられている。
空気はわずかに湿り気を帯び、紙の古い匂いが充満している。足元には重ねられた本が置かれており、慎重な動作が必要。
探索開始。
私は記録する「目的:未知の野菜に関する情報の補完」
背の低い店主が奥のカウンターに座り、新聞を広げている。私に興味を示さない。声をかけずに探索を続行。
厚みのある書籍を発見。タイトル「秘伝の薬草大全」。
内容を確認。収録情報は詳細かつ体系的——野草の分類、成分、薬効、調理法、歴史的背景まで網羅。だが、未知の野菜の記述はない。
しかし、一章に奇妙な植物の記述を確認。根は螺旋を描き、葉は半透明、光に触れると色彩が変化する。水ではなく、特定の鉱物成分を含む土壌でのみ成長。既存の植物データと照合——該当なし。
私は記録する「未知の植物に関する記述を確認」
奥付を確認。ページの端に手書きの謹呈サインを発見。
「大切な人へ。失われぬよう、受け継いでほしい」氏名と住所が記載。
住所は現行の地図データと照合。駅を二駅乗り継いだ先の街に該当。
私はカウンターへ向かい、店主に問い合わせを実行。
「この本はいつ入荷したものですか」
店主は新聞の端をめくりながら、私を見ずに答える。
「覚えてないな。随分前からあるよ」
「市場価値と照合した結果、この本の価格設定は不適正です。希少価値が高い」
「へえ、そうかい。でも、値札はずいぶん前につけたもんだしな」
「購入を希望します。値段はそのままで問題ありません」
店主はようやく顔を上げた。
「珍しいな。機械が本を買うなんて」
「書籍の所有者の氏名と住所が記載されていました。適正な返却のため購入します」
店主は少し首をかしげ、「……まあ、売るのは構わんよ」と言いながらレジを打つ。
私は指定された金額を支払う。店主は無造作に本を袋に入れて手渡す。
「大事にしてくれ」
本を持ち主へ返却するため、移動開始。
目的地到着。
玄関前で対象人物と接触。年配の男性。視線が鋭い。
「この書籍は古本屋で流通していました。重要書籍と思い返却に参りました」
「……これは……!」
男性は本を受け取り、慎重にページを開いた。指先が震えている。
「間違いない。これは私の家族の形見だ」
——音声データから情緒的反応を検知。高確率で感傷的要素を伴う。
「失われていたものが戻るとは思わなかった」
「本来の所有者へ返却することが適切であると判断しました」
私は一歩間を置き、付随する情報を確認するため質問を実行。
「この書籍には、不明な植物の記述がありました。根は螺旋状、葉は半透明で、特定の鉱物を必要とする生育環境が示されていました。これは実在するものですか?」
男性は驚いたように顔を上げた。
「……その植物は、父が夢中になって研究していたものだよ。しかし、どこにも存在しない。ただの仮説だった」
「記録された情報は、植物学的な視点で書かれていました」
「そうだ。父は、生涯をかけて架空の植物の可能性を模索していたんだ。それが本に残されていたとは……」
男性はしばし沈黙。視線は書籍に固定。
「ありがとう。この本は、父が生前最も大切にしていたものだった」
私は記録する「対象物の適正な返却を完了。未知の野菜の情報は得られず。再調査を検討」
業務完了。
今日も日記を書き終えた。記録は完了。机の上を整え、椅子を元の位置に戻し、次のルーティンへ移行する。
紅茶を淹れ、カップを持ち、窓辺へ向かう。夜の街は静かで、遠くの光が瞬いている。
息をつき、一口飲む。適温。今日の紅茶は少し苦みが強い。
業務終了まで、あと10分。最終点検を終え、私は記録する。
「本日、業務終了。異常なし。」
そして、静かに照明を落とす。
また、次の日記で——




