第80話 家族旅行にいきたいですわ!
「お父様、お願いがございますの!」
執務室の扉を開けるなり、リリアーナはアルベルトの机へ駆け寄った。
書類に目を通していたアルベルトが顔を上げる。
「どうしたんだい? そんなに急いで」
「今年のうちに、みんなで旅行へ行きたいのですわ!」
リリアーナは両手を胸の前でぎゅっと握った。
十一歳になってから、毎日があっという間に過ぎていく。
マダム・ヴァレンティノの授業も、王宮への訪問も、シード様への推し活も、どれも大切な時間だ。けれど、来年の春には学園へ入学する。今のように自由に過ごせる時間は、少しずつ減っていくはずだった。
だからこそ、今年のうちにやっておきたいことがある。
「学園が始まる前に、みんなで遠くへ出かけてみたいのです。お父様、お母様と一緒に!」
「旅行か。いい考えだね」
アルベルトは書類を脇へ置き、椅子から身を乗り出した。
「そういえば、家族で泊まりがけの旅行をしたことはなかったな。行き先も日程も、これから相談する必要はあるけれど、私は賛成だよ」
「本当ですの!?」
「もちろん。せっかくの機会だから、みんなが楽しめる旅にしよう」
リリアーナは思わず両手を頬に当てた。
(やりましたわ! 今年の思い出が、また一つ増えますのね!)
「お母様にも、すぐにお話ししてきますわ!」
弾む足取りで部屋を出ようとしたところで、アルベルトが笑いながら声をかけた。
「待ちなさい。廊下は走らないこと」
「……はい。急いで歩きますわ!」
♢
エレノアの部屋では、セシリアが紅茶を用意していた。リリアーナは母の隣へ座ると、旅行の話を一息に伝えた。
「まあ、旅行ですって? 学園に入る前に、みんなで出かけるのね」
「はい! お父様も賛成してくださいましたの。お母様は、どこへ行ってみたいですか?」
エレノアは少し考え、そっと微笑んだ。
「そうね。海の見える町も素敵だし、湖のそばでゆっくり過ごすのも楽しそう。リリアーナが行ってみたい場所も、ぜひ聞かせてちょうだい」
「どちらも魅力的ですわね……!」
候補が増えたことで、リリアーナはますます迷い始めた。その様子を見ていたエレノアが、ふとセシリアへ目を向ける。
「学院ぶりにセシリアと一緒に旅行ができるわね」
セシリアの手が止まった。
「……奥様、私もご一緒してよろしいのですか?」
「もちろんよ。あなたと一緒に出かけられるのを、私も楽しみにしているわ」
セシリアは一瞬、返事を忘れたように黙り込んだ。
やがて、いつもの落ち着いた声で答える。
「……そうですね、奥様。ご一緒できることを嬉しく思います」
「旅行中は昔みたいにエレノアって呼んでね、その方がきっと楽しいわ」
「……かしこまりました」
「マリーも一緒ですわよね?」
リリアーナが振り向くと、控えていたマリーは静かに頷いた。
「はい、お嬢様。お供いたします」
その声はいつもと変わらない。けれど、リリアーナにはマリーの口元がほんの少し緩んだように見えた。
「決まりですわね! あとは行き先を選ぶだけですわ!」
「ふふ。まずは候補を集めてみましょうか」
エレノアの言葉に、リリアーナは大きく頷いた。
♢
自室へ戻ると、リリアーナはマリーと一緒に旅行案内の本を広げた。湖のほとりにある宿、海辺の町、季節の花が咲く庭園。ページをめくるたび、見知らぬ景色が目に飛び込んでくる。
「こちらの湖は、船に乗れるそうですわ! 水の上から景色を眺めるなんて、きっと素敵ですわね」
「海辺の町には市場もあるようですよ。お嬢様がお好きな焼き菓子のお店も見つかるかもしれません」
「それは見逃せませんわ!」
リリアーナは勢いよく次のページを開いた。すると、膝の上に積んでいた本が傾き、何冊かが床へ滑り落ちた。
「あっ!」
慌てて押さえようとしたものの、最後の一冊までぱたんと床に落ちてしまう。
マリーが本を拾い上げながら、くすりと笑った。
「お嬢様、候補を増やす前に、まずは本を一冊ずつご覧になりませんか?」
「……おっしゃるとおりですわ」
リリアーナは頬を赤くしながら、床に散らばった本を受け取った。それでも、ページをめくる手は止まらない。
(あら? この辺り、見た覚えがありますわ……)
地図に載った山あいの町を見て、リリアーナは指を止めた。
ゲームの中で、ある珍しい魔石が手に入る場所として登場した地域だ。
(もしかして、あの魔石が見つかる場所も近いのではありませんこと?)
今すぐ確かめたい気持ちが湧いてくる。
けれど、今回の旅行は魔石を探すためのものではない。みんなで過ごす時間を大切にするための旅だ。
(もし行き先が近くになったら、そのときに考えればいいですわね)
リリアーナは地図の端に小さな印をつけ、案内書を閉じた。
それから、もう一冊の本を手に取る。こちらは王都の文具店や工芸品店を紹介したものだった。
(そうですわ。シード様にも、旅先で何かお土産を探したいですわね)
机の上で使える実用的な品なら、きっと役に立つ。
華やかな飾りよりも、毎日の仕事やお家で使えるものがいい。シード様が手に取るたび、少しでも仕事がしやすくなるような品を見つけたい。
リリアーナは旅行案内の本の隣に、文具の本を並べた。
「マリー、旅行先の工芸品も調べておきたいですわ。使いやすくて、長く大切にできるものがあるといいのですけれど」
「お嬢様のお土産選びは、ずいぶん慎重なのですね」
「当然ですわ。大切な方への贈り物ですもの!」
リリアーナは胸を張った。
♢
その頃、アルベルトは執務室でヴィクトルと向かい合っていた。
「ヴィクトル。旅行の間、私の仕事を頼めるだろうか」
「承知しました。期間と、優先して処理する案件をお知らせください」
「助かるよ。急ぎの決裁は出発前に済ませるつもりだ。私がいない間に判断が必要なことがあれば、君に任せたい」
ヴィクトルは手帳を開き、必要な項目を書き留めた。
「旦那様がお戻りになるまで、責任を持って対応いたします。どうぞ安心してお出かけください」
「ありがとう。君がいてくれるから、こうして家のことにも時間を使える」
アルベルトの言葉に、ヴィクトルは穏やかに頭を下げた。
「私にできることをお任せいただけるのは、ありがたいことです」
アルベルトは机の上の書類を揃えた。
仕事を任せられる相手がいるからこそ、今しかできない時間を大切にできる。旅行の日程が決まったら、早めに準備を進めよう。
そう考えながら、次の書類へ手を伸ばした。
♢
数日後、アルベルトとエレノア、リリアーナは、旅行の候補をまとめた紙を囲んでいた。
湖の町、海辺の町、花の庭園がある地域。
リリアーナが調べた場所には、それぞれ違った魅力がある。
「どこも素敵で、なかなか一つに絞れませんわ……!」
「急いで決める必要はないよ。移動にかかる時間や宿の空きも確認してから、みんなで相談しよう」
アルベルトが候補の紙を手に取る。
「まずは私が日程と移動手段を調べておく。エレノアは宿の希望をまとめてくれるかい?」
「ええ。リリアーナも、行ってみたい場所をもう少し考えておいてね」
「かしこまりましたわ!」
リリアーナは返事をすると、候補の紙を自分の前へ引き寄せた。まだ決まっていない場所の欄には、空白が残っている。
そこへ、行きたい場所を一つずつ書き足していく。
湖の町も、海辺の町も、どちらも捨てがたい。
けれど、どこへ行くことになっても、みんなで過ごす時間が待っている。リリアーナは羽根ペンを握り直し、空白の欄に小さく書き込んだ。
『みんなで行きたい場所』
その文字を見つめてから、次のページを開いた。
旅行の準備は、まだ始まったばかりだった。
今回の話も読んでくださりありがとうございます!
もうすぐブックマークの数が100に届きそうでちょっとドキドキしてます(* ॑ ॑* )
読んでて面白い、キャラクターが可愛い!と思ってもらえるような物語にできればいいな!
では、また次回もよろしくお願いします、ですわ!




