第77話 シード・キャメロンからの手紙
「リリアーナ、少し時間をもらえるか?」
執務室へ呼ばれて入ると、お父様は机の上に広げた書類から顔を上げた。その中に見覚えのある名前を見つけ、私は足を止める。
「フェルナー領!」
「ああ。今回の調査について、王宮から正式な結果が届いた」
「それで、どうなりましたの?」気になっていたことを聞くと、お父様は一枚の書類を手に取った。
「まず、フェルナー領は今後、グラーツ伯爵家との取引を続ける必要がなくなった」
「本当ですの?」
「ああ。今回の調査ではフェルナー領だけではなく、複数の領地で同じような問題が確認された。契約書や販売記録などを王宮が調べた結果、今後は各領地が自分たちで取引相手を選べることになった」
「まあ……!」
胸の奥が一気に軽くなる。
「では、リーネ様の領地も、これからは自由に商人を選べるんですのね?」
「そういうことだ」
「それなら、リーネ様も……」
思わず笑みがこぼれた。
リーネ様が笑ってくれて、領地の人たちが安心して暮らせる。それだけで十分だった。最初から、私が望んでいたのはそれだけなのだから
「だが、それだけではない」
「まだありますの?」
お父様は別の書類を取り上げた。
「アドラー商会が、フェルナー領との取引を始める」
驚いたのはその名前ではない。今回の件を受けて、本当にそこまで話が進んだことだった。
「お父様から取引を持ちかけたんですの?」
「そうだ。フェルナー領がこれまで扱っていた品を、こちらで買い取る」
「あの、条件は?」
「今までより高い価格を提示する。材料費や運搬費が上がった場合も、そのまま領地側に負担させるのではなく、状況を見て価格を話し合えるようにする」
「それなら、職人の皆様も無理をせずに済みますわね」
「ああ。さらに、フェルナー領が他の商人と取引することも制限しない」
私は目を輝かせた。
「本当に自由なんですの?」
「本当だ。アドラー商会との契約があるからといって、他の商人へ品を売れなくなるような条件にはしていない」
「それなら安心ですわ!」
これなら、フェルナー領は一つの商会に縛られない。
より良い条件を出す相手がいれば、その相手と取引することもできる。アドラー商会も、選ばれるだけの条件を出し続ければいい。これまでのように、買う側が一方的に条件を決める関係ではない。
「お父様、それならリーネ様にも早く知らせてあげたいですわ!」
「そこは大丈夫だ。フェルナー領にも正式に伝わることになっている」
「よかった……」
思わず胸の前で手を合わせる。リーネ様が、どんな顔をしてこの知らせを聞くのか。
嬉しそうに笑ってくれれば、それだけで私は満足だ。
「お前は、本当にあの子のことを気にかけているな」
「だって大切なお友達ですもの」
「そうだったな」
お父様は穏やかに笑った。
私は少し照れながら、机の上の書類へ視線を落とす。
今回、実際に調査をしたのは私ではない。市場で見たことをお父様に話して、調べてほしいとお願いしただけだ。
そこから先は、お父様が動き、王宮が動き、たくさんの人が資料を確認して、ようやくここまでたどり着いた。
だからこそ、私はお父様に頭を下げる。
「お父様。本当にありがとうございました」
「私に礼を言うのか?」
「だって、わたくしがお願いしたことですもの」
お父様は書類を置くと、私を見る。
「だが、今回のことはお前が最初に気づいてくれたから始まった」
「わたくしが?」
「ああ」
「でも、わたくしは市場で見たことをお話ししただけですわ。契約書を調べたわけでも、販売記録を確認したわけでもありませんもの」
「それで十分だ。お前が市場で見たことを話してくれた。それを聞いて私は調べる必要があると判断した。王宮にも話を持っていけた。そこから先は、それぞれが自分達の仕事をしただけだ」
「……」
「最初の疑問がなければ、調べる理由そのものが生まれなかったんだ」
その言葉を聞いて、私は黙り込んだ。
私がしたことは、本当に小さなことだった。
けれど、それがきっかけになった。
「では……わたくしも、少しはお役に立てたのでしょうか?」
「ああ。十分にな」
お父様の手が、私の頭に乗る。
「よくやったな、リリアーナ」
「……はい」
撫でられると、自然に頬が緩んだ。
リーネ様のために何かしたい、ただそれだけの思いからこんな形でフェルナー領の未来に繋がるなんて、あの市場にいたときの私は考えてもいなかった。
「そういえば、お父様」
「何だ?」
「先ほどから、その書類の下にある封書が気になっておりますわ」
机の端に、一通の手紙が置かれている。
封蝋には王宮の文官が使う印。そして差出人の名前を見つけた瞬間、私は思わず身を乗り出した。
「シード様……?」
「ああ。シード・キャメロン君からだ」
「何と書いてありますの?」
「まだ開けていない」
「では、早く開けましょう!はやく!」
「なぜ急かすんだ?」
「気になりますもの!」
お父様は苦笑しながら封を切った。
便箋を取り出し、最初の数行へ目を通す。
「今回の調査についてだな。それとフェルナー領との今後の取引についても書かれている」
「それなら、わたくしにも関係がありますわね」
お父様は笑いながら読み進めた。
だが、数行先へ進んだところで、その表情が変わる。
「……これは」
「どうしましたの?」
「キャメロン君は、今回の取引についてかなり細かく計算しているな」
「計算?」
「ああ。フェルナー領から仕入れる品の数量、王都での販売価格、材料費、運搬費。それぞれを計算したうえで、アドラー商会にどれだけの利益が残るのかを出している」
「シード様らしいですわね」
数字を扱うことに関して、シード様が手を抜く姿なんて想像できない。
「しかも、一つの取引だけではない」
お父様が次のページをめくる。
「今回、取引条件が変わった他の領地についても計算している」
「他の領地のことまでですか?」
「そうだ。複数の領地から品を仕入れた場合、年間でどれだけの商品を扱えるのか。それを王都で販売した場合の売上と経費、最終的な利益まで試算している」
私は思わず書類を覗き込んだ。
そこには細かな数字が並んでいた。
仕入れ量、販売価格、運搬費、材料費、人件費。
それらを差し引いたうえで、最終的に残る利益。
しかも、取引量が増えた場合や新たな領地が加わった場合、販売先が増えた場合などいくつもの条件に分けて計算されている。
「ここまで考えていたんですの」
「私も驚いている」
お父様が紙をめくる。
「しかも、かなり慎重だ。売れ残りや価格変動まで考えている」
「つまり、都合のいい数字だけを出しているわけではない、と?」
「そういうことだ」
私は感心してしまった。シード様は、今回の問題が解決したから終わりとは考えていない。
フェルナー領との取引を始める。
そこから利益が出る。
さらに複数の領地と取引できれば、もっと大きな商売になる。その先まで、数字にして見せている。
「お父様、シード様はアドラー商会がこれからどこまで大きくなれるかまで考えているのではありませんか?」
お父様が手紙を見る。
「おそらくな。実際に会って話を聞いてみたいものだ」
お父様は手紙を机へ置いた。
「これだけ具体的な試算を出しているなら、本人に説明してもらったほうが早い」
「いつお会いになるんですの?」
「それはこれから決める」
「わたくしも同席してよろしいですか?」
「なぜだ?」
「フェルナー領のことにも関係しておりますし、それに――」
私は手紙へ視線を戻した。
「シード様が何を考えていらっしゃるのか、気になりますもの」
「……それが本音か」
「もちろんですわ!」
お父様が呆れたように笑う。私は頬を膨らませながらも、机の上の手紙から目を離せなかった。
フェルナー領の問題は終わった。
シード様の手紙には、その先の話が書かれている。
今回の取引をきっかけに、アドラー商会がどこまで商売を広げられるのかを。
(本当にシード様はすごい人ですわ!!)
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