第75話 グラーツ商会の影⑤
グラーツ伯爵家への正式な調査が始まったことで、三つの領地には商務局から新しい通知が届いていた。
今後の販売先を、自由に選んでよい。
フェルナー領にも、その知らせは届いた。
「……これで、好きな相手に売れるようになるのですね」
書類を読み終えたフェルナー男爵は、しばらく黙っていた。
長く続いてきた取引を、突然変えるのは簡単ではない。
それでも、決められた相手に安い価格で売り続ける必要はなくなった。
そして、その数日後。
フェルナー領へ、一通の商談書が届いた。
差出人は、アドラー商会。
提示された買い取り価格は、これまでの契約価格より高かった。
「……本当に、これで利益が出るのですか?」
フェルナー男爵は、商談書を何度も読み返した。
「材料費が上がった場合は、価格を見直す……」
さらに、一定量をまとめて購入する場合は、事前に条件を協議する。
そして、フェルナー領がアドラー商会以外へ商品を売ることも妨げない。
「ここまで……」
男爵は書類から顔を上げた。
「こちらに都合のいい条件ばかりではありませんか?」
もちろん、アドラー商会にも利益は残る。
フェルナー領から適正な価格で仕入れ、王都で必要とされる価格で販売する。
その差額が、商会の利益になる。
慈善事業ではない。
互いに利益があるからこそ、長く続けられる。
やがてフェルナー領から、取引を前向きに進めたいという返事が届いた。
その報告を受けたアルベルトは、執務室で商談書に目を通した。
「これでいい」
向かいに立つヴィクターが頷く。
「フェルナー領にも利益が残り、こちらにも商会としての利益が残る。長く続けられる取引になります」
「ああ」
アルベルトは書類を閉じた。
今回の問題は、単純に買い取り価格が安かったことだけではない。
売る相手が限られていた。
価格を上げたくても、取引を失う恐れがあった。
だから材料費が上がっても、同じ価格で作り続けるしかなかった。
ならば。
「選べるようにすればいい」
「はい」
「アドラー家が助けた、という形にはするな」
アルベルトはヴィクターを見る。
「フェルナー領が、自分たちの力で商売を続けられるようにする。それだけだ」
「承知しました」
その頃。
第三文官執務室では、シードが新しい資料を確認していた。
「この条件なら、長く続けても問題なさそうです」
室長が資料を覗き込む。
「お前は商売まで分かるのか?」
「いえ。計算しただけです」
シードは少し困ったように笑った。
「販売価格から輸送費と保管費を引いても、利益は残ります。ただ、材料費が上がった場合は、今の価格のままだとフェルナー領側が苦しくなります。その場合は、再交渉したほうがいいと思います」
「なるほどな」
室長が頷いた。
シードは資料へ視線を戻す。
そこには、フェルナー領という名前があった。
木工品を作る人たちがいる。
材料を仕入れ、手を動かし、完成したものを売って暮らしている。
その人たちが、作ったものに見合った金額を受け取れる。
それだけでも、今回の調査には意味があったのかもしれない。
そして数日後。
アドラー侯爵邸。
アルベルトは執務室で、先ほど届いた報告書を閉じた。
フェルナー領との取引は、無事に決まった。
アドラー商会にも利益が残る。
フェルナー領にも利益が残る。
そして何より、これからはフェルナー領自身が売る相手を選べる。
「……これなら問題ないな」
アルベルトは椅子から立ち上がった。
「リリアーナにも、明日話しておくか」
その頃、王宮では――。
グラーツ伯爵家への調査について、最終的な報告をまとめる準備が進められていた。
五年以上前から続いていた取引。
三つの領地。
安い価格での買い取り。
王都での高値販売。
そして、その差額の一部をグラーツ伯爵家へ戻す仕組み。
残る問題は二つ。
なぜ実際の販売価格を王宮へ報告しなかったのか。
そして、その報告を誰が指示したのか。
調査は、まだ終わっていなかった。




