第7話 推しが淹れたお茶は格別ですわ!
「シード様! 今日はとっておきのものを持ってきましたわ!」
昼下がりの第三文官執務室へ入った私は、マリーが抱えている木箱を見て、思わず頬が緩んだ。
椅子、魔導万年筆、魔導ランプ。シード様の仕事環境は着実に改善されているけれど、私の推し活はまだ終わらない。
この前ここへ来たとき、シード様の机には飲み物が見当たらなかった。あれだけ書類へ集中している方だもの。もしかすると、水分補給や休憩まで後回しにしているのではないか。
そこで私は、アドラー家専属の調合師を総動員し、疲れた頭を癒やし、集中力を取り戻しやすくする特注の最高級ハーブティーを作ってもらったのだ。
香りや飲みやすさにも妥協せず、仕事の合間に飲むことを前提に何度も配合を調整してもらった。
(ふふ……椅子で腰を守り、万年筆で指を守り、ランプで目を守る。そして今度は身体の中からシード様を支えますわ! 我ながら完璧な推し活ですわね!)
ただし、本当に休憩を取っていないのかは確認しなければならない。きちんと休んでいるなら、それはそれで嬉しいことだ。
「ごきげんよう、シード様。体調はお変わりありませんかしら?」
「ごきげんよう、リリアーナ様。おかげさまで問題ございません」
シード様が書類から顔を上げる。
(ああ……今日も使ってくださってますわ!)
私が贈った椅子に座り、手には魔導万年筆。机の端では魔導ランプが柔らかな光を放ち、黒髪を照らしている。
嬉しい。何度見ても嬉しい。
私がシード様のために考え、職人と相談して作ったものが、もう特別な贈り物ではなく、こうしてシード様のお仕事の一部になっている。
(尊いですわ……! この光景だけでずっと眺めていられますけれど、今日はちゃんと確認しなくてはいけませんわね)
私は机の上へ目を向けた。書類、インク、万年筆、ランプ。綺麗に整っているけれど、やはり飲み物は見当たらない。
「シード様、お仕事中はお茶やお水を飲んでいらっしゃいます?」
「喉が渇いた際にはいただいております」
「今日は?」
シード様の視線が机へ向かう。
「……まだ口にしておりません」
やっぱり。
「もうお昼を過ぎていますわよ?」
「仕事に集中しておりますと、忘れてしまうことがありまして」
「それでは駄目ですわ!」 思わず声が大きくなった。
「せっかく椅子も万年筆もランプも使っていただいているのに、水分を取らずにお身体を壊してしまったら意味がありませんもの。わたくしはシード様に、元気にお仕事をしていただきたいんですの!」
「申し訳ございません」
「謝っていただきたいわけではありませんわ。ですから……マリー!」
「はい、お嬢様」
待っていましたとばかりにマリーが木箱を差し出してくれる。
「実は用意してありますの!」
「……こちらは?」
「ハーブティーですわ!」
私は胸を張った。
「アドラー家の調合師たちにお願いして、シード様のお仕事のためだけに作っていただきましたの。疲れた頭を休ませて、仕事へ戻りやすいよう配合してありますわ!」
シード様が木箱へ視線を落とした。
「私のために、わざわざ調合してくれたのですか?」
「もちろんですわ!」
だって推しですもの。
その一言は胸の中だけに留め、笑顔で頷く。
「お仕事の合間に美味しいお茶を飲めば、休憩する理由にもなるでしょう? これなら水分補給も休息も一度にできますわ!」
完璧だ。
我ながら素晴らしい作戦である。
シード様は箱を受け取り、蓋を開けた。中には調合師が仕上げた茶葉が小瓶に分けて収められている。
「ありがとうございます、リリアーナ様。ありがたく頂戴いたします」
「ええ! ぜひ召し上がってくださいませ!」
「それでは、お言葉に甘えて今から休憩を取らせていただきます」
(やりましたわ!)
心の中で拳を握る。
シード様が自分から休憩すると仰った。これだけでも調合師たちを総動員した甲斐がある。
ところが、シード様は木箱を持って給湯台へ向かうと、カップを二つ用意した。
(……二つ?)
私は首を傾げながら、その背中を眺める。
茶葉を量り、湯を注ぐ。やがて柑橘とハーブの爽やかな香りが執務室へ広がり、近くで仕事をしていた文官たちまで顔を上げた。
しばらくしてシード様が戻ってくる。
そして当然のように、そのうち一つを私の前へ差し出した。
「どうぞ、リリアーナ様」
「……わたくしに?」
「はい。せっかくお持ちいただいたのですから、よろしければご一緒にいかがでしょうか」
私は差し出されたカップとシード様の顔を交互に見た。
(シード様が、わたくしのためにお茶を淹れてくださいましたの!?)
「い、いただきますわ!」
カップを受け取り、口をつける。爽やかな香りと優しい甘みが広がり、調合師たちが何度も配合を調整しただけあって文句なしに美味しい。
でも、それだけじゃない。
(シード様が淹れてくださったお茶……美味しすぎますわーーー!!)
同じ茶葉を屋敷で飲んだとしても、絶対にこうはならない。目の前ではシード様もカップを手にしている。書類から離れて、私が持ってきたお茶を飲んでくださっている。
(幸せですわ……!)
椅子を作ったときも、万年筆を作ったときも、ランプを贈ったときも、始まりは全部シード様に楽になってほしいという気持ちだった。
使ってくださるだけで嬉しい。役に立ったと言っていただければ、もっと嬉しい。
そして今度は、私のためにお茶まで淹れてくださった。
「リリアーナ様、お味はいかがでしょうか」
「とっても美味しいですわ!」
「それは何よりでございます」
シード様の目元が柔らかく緩む。
その顔を見ただけで、また胸がいっぱいになる。
(わたくし、シード様を幸せにしたいはずなのに……毎回わたくしの方が幸せにしていただいてませんこと?)
でも、それが嫌どころか嬉しくて仕方がない。
シード様が楽になる。私が嬉しい。シード様が喜んでくださる。もっと嬉しい。そうしたら、また何かして差し上げたくなる。
(ああ……やっぱり推し活、最高ですわ!)
♢
少し離れた席では、室長が書類を読むふりをしながら二人を見ていた。
侯爵令嬢が平民出身の新人文官のために、専属の調合師まで使って茶を作らせた。
その時点で室長には理解できない。
なのに今度は、シードがその茶を淹れ、二人で向かい合って飲んでいる。
(……いつからそんなに仲良くなったんだ?)
最初にリリアーナが第三文官執務室へ来た頃、シードだって戸惑っていたはずだ。それが今では自分から茶を淹れ、リリアーナも当然のように受け取っている。
室長は胃を押さえた。
そして、嫌でも自分のこれまでの行いを思い出す。
仕事ができるからとシードへ面倒な書類を多めに回した。急ぎの案件も何度となく押しつけた。シードが綺麗に仕上げた書類を第三文官執務室の成果として上へ提出したことだってある。
(……俺、本当に大丈夫だよな?)
侯爵令嬢がここまでシードを気に入っていると知っていたなら、絶対にやらなかった。
今さら後悔しても遅い。
室長は引き出しを開け、胃薬の瓶を取り出した。中身を確かめ、眉間に皺を寄せる。
(どんどん減っていく……)
帰りに買っておこう。
♢
「ごちそうさまでした!」
私は空になったカップを置いた。
「こちらこそ、ありがとうございました。確かに仕事から離れる時間を取ると、頭も切り替わりますね」
「でしょう? でしたら、これからも休憩してくださいませ。お茶がなくなったら、またお持ちしますわ!」
「ありがとうございます。今後は意識して休息を取るようにいたします」
「約束ですわよ?」
「はい。お約束いたします」
これで水分補給と休憩も解決へ一歩前進だ。もっとシード様を眺めていたいけれど、お仕事の邪魔をするために来たわけではない。
「それでは、わたくしは失礼いたしますわ。また参りますね!」
「はい。……お待ちしております」
(お待ちしております……!)
次に私がここへ来ることを、シード様が待っていてくださる。その事実だけで嬉しくなり、頬が勝手に緩んでしまう。
「ええ! また参りますわ!」
笑顔で答えてマリーと一緒に第三文官執務室を出たものの、廊下を進むうちに我慢できなくなり、隣を歩くマリーの腕へ抱きついた。
「マリー! シード様が、わたくしのためにお茶を淹れてくださいましたわ! それに『お待ちしております』って!」
「ふふ、もちろん見ておりましたよ。シード様の方から仰ってくださいましたね」
侍女服に身を包んだマリーは、抱きついた私を柔らかな笑顔で受け止めてくれる。
「お嬢様がそんなに嬉しそうですと、私まで嬉しくなってしまいます」
「マリー!」
ますます嬉しくなって、その腕をぎゅっと抱いた。
シード様に喜んでほしくて始めた推し活なのに、今日も幸せにしてもらったのは私の方だった。
♢
リリアーナが帰ったあと、シードは机へ戻った。
カップ一杯の茶を飲んだことで頭が切り替わり、書類へ向かう集中力も戻っている。これまで休憩を取る時間があるなら一枚でも多く処理した方がいいと思っていたが、休むことで仕事の精度を保てるなら、取り入れる価値はある。
机には、リリアーナから贈られた椅子、魔導万年筆、魔導ランプ。そして新たに、アドラー家の調合師が自分のためだけに作った茶葉の箱が加わった。
シードは箱へ視線を向けた。
向かいに座ったリリアーナが、自分の淹れた茶を美味しいと言って笑っていた。その表情が、まだ鮮明に残っている。
『それでは、わたくしは失礼いたしますわ。また参りますね!』
『はい。……お待ちしております』
口にしてから、自分でも驚いた。以前なら、誰が執務室へ来ようが気にしたことなどなかった。与えられた仕事を正確に終わらせれば、それでよかった。
けれど今は、次にリリアーナがこの部屋を訪れたとき、またあの笑顔を見たいと思っている。
シードは万年筆を手に取り、次の書類を開いた。
(……次は、いついらっしゃるでしょうか)
そのときも茶を飲むのなら、また自分が淹れたい。
そんなことを考えながら、シードは魔導ランプの光の下で書類へ万年筆を走らせた。




