第6話 推しの瞳はわたくしが守りますわ!
「今度はこれですわ!」
アドラー侯爵邸の私室で、私は完成したばかりの小さな魔導ランプを両手で抱えていた。机の上に置けるほどの大きさで、灯りをつけると太陽の光に近い柔らかな明かりが広がる特注品だ。
椅子で腰への負担を減らして、魔導万年筆で指も疲れにくくなった。そして昨日、シード様の目元に残っていた疲れと、第三文官執務室の薄暗さに気づいた。
(ならば次は目ですわ! せっかく腰と指が楽になったのに、今度は目を悪くしてしまったら意味がありませんもの!)
職人には何度も明るさを調整してもらった。書類の細かな文字はきちんと読めるけれど、長時間見ていても眩しくない。これなら、あの薄暗い部屋で働くシード様の負担も減らせるはずだ。
(昨日は椅子と万年筆が役に立っているって言ってくださいましたし……これも喜んでくださるかしら)
そう考えただけで、もう頬が緩んでしまう。作っている間も楽しかったけれど、やっぱり一番楽しみなのは、シード様が実際に使ってくださる瞬間だった。
「お嬢様、馬車の用意が整いました」
「ありがとう、トーマス! マリー、それでは行きますわ!」
大切なランプを抱えて立ち上がる。
(待っていてくださいませ、シード様。今日もわたくしが、快適なお仕事環境へ一歩近づけてみせますわ!)
♢
王宮の第三文官執務室では、今日も室長の胃が痛んでいた。
「……おい、キャメロン。今日もいるぞ」
室長が胃を押さえながら廊下へ目を向ける。昨日やってきたロベルトとは別の第一文官執務室の若手文官が、扉の向こうから室内を窺っていた。
「そうですか」
シードは顔を上げることもなく、書類へ万年筆を走らせている。その落ち着きが、室長にはまったく理解できなかった。
「お前はなんでそんなに平然としていられるんだ! 昨日はロベルト、今日は別の奴だぞ! 第一文官執務室の連中が二日続けて第三まで来るなんて、今まで一度もなかったんだからな!」
最近の第三文官執務室は明らかにおかしい。アドラー侯爵令嬢は通ってくるし、シードの机には侯爵家の紋章入りの椅子まで置かれ、今度は第一文官執務室の人間が代わる代わる様子を見に来ている。
室長は自分のこれまでの行いを思い返した。仕事ができるシードに面倒な書類を多めに回したことは、一度や二度ではない。綺麗に仕上がった書類を第三文官執務室の成果として提出したことだってある。
(……俺、本当に大丈夫だよな?)
昨日確認したばかりなのに、また不安になってきた。
「キャメロン。俺はお前を正当に評価しているからな」
シードの手が止まった。
「昨日まで、そのようなことを仰ったことはありませんでしたが」
「今言っただろ!」
室長が思わず声を上げた、そのときだった。
「ごきげんよう、皆様!」
聞き慣れ始めた明るい声に、室長の肩がびくりと跳ねる。
「……また来た」
扉から入ってきたリリアーナの腕には、見覚えのない木箱が抱えられていた。
「シード様、今日はこれを持ってきましたの!」
「リリアーナ様」
シードが顔を上げる。昨日と同じ椅子に座り、私が贈った万年筆を手にしている姿を見ただけで、胸の奥がじわりと温かくなった。
(今日も使ってくださってますわ……!)
嬉しい。私が贈ったものがこうしてシード様のお仕事の一部になっている。それだけで、職人と何度も相談した時間まで全部大切なものに思えてくる。
「こちら、シード様に使っていただきたくて作った魔導ランプですわ。お顔を拝見したとき、目がお疲れのようでしたから」
木箱からランプを取り出して机へ置き、灯りをつける。柔らかな光が広がると、それまで薄暗かったシード様の手元が一気に見やすくなった。
「普通のランプより眩しさを抑えてありますの。長く書類を読んでいても目が疲れにくいよう、職人に調整していただきましたわ」
シードは手元の書類とランプを見比べ、光が直接目に入らない位置へ少し動かした。しばらく文字を確かめたあと、もう一度ランプを見る。
「これは……とても見やすいです」
「本当ですか?」
「はい。これなら、夜まで仕事をするときも助かります。ありがとうございます、リリアーナ様」
その一言で、朝から抱えていた期待が全部報われた。
(嬉しいですわーーー!!)
シード様の目が少しでも楽になる。それを確かめられただけで、どうして私までこんなに幸せになってしまうのだろう。
(昨日も同じことを思いましたけれど、やっぱり推し活って最高ですわ! シード様が喜んでくださるたびに、わたくしまで嬉しくなって……これでは、もっと何かして差し上げたくなってしまいます!)
「大切に使わせていただきますね」
「ええ! ぜひ毎日使ってくださいませ!」
私は笑顔で頷いた。まだ眺めていたいけれど、今日もシード様はお仕事中だ。長居して邪魔をするより、実際に使っていただく方が大切である。
「それでは、わたくしは失礼いたしますわ。また参りますね!」
「はい。……お待ちしております」
その返事だけでも嬉しくて、私はもう一度笑ってからマリーと一緒に部屋を出た。
残された室長は、シードの机に増えた新しい品を見つめる。侯爵家の紋章入りの椅子、見たことのない魔導万年筆、そして今度は特注の魔導ランプ。
「……キャメロン」
「はい」
「次は何が増えるんだ?」
「私に聞かれても分かりません」
「だよな……」
室長は胃を押さえながら自分の席へ戻った。最近、本気で胃薬の予備を増やした方がいい気がしていた。
♢
廊下では、第一文官執務室から来た若手文官が、閉じた扉をしばらく見つめていた。
ロベルトから聞いていた通りだった。
アドラー侯爵令嬢が気にかけている新人文官。そして、昨日ロベルトが異常なほど正確だと評価した仕事ぶり。噂だけなら半信半疑だったが、実際に見ればロベルトがわざわざ第一へ報告した理由も分かる。
何より気になったのは、シード本人だった。侯爵令嬢から次々と高価そうな品を贈られているのに、それを自慢する様子もない。ランプを受け取ったあとはすぐに書類へ戻り、先ほどより明るくなった手元で淡々と仕事を続けている。
若手文官はその仕事ぶりを確認してから、第一文官執務室へ戻った。
♢
「……どうだった?」
夕方、戻ってきた同僚へロベルトが尋ねた。
「お前の言っていた通りだった。速いし、ほとんど手が止まらない。俺が見ていた範囲では計算のやり直しも書き直しもなかった」
「そうか」
「それと、アドラー侯爵令嬢も来た。今日は魔導ランプという物を持ってきていたぞ」
ロベルトが顔を上げる。
「魔導ランプ?」
「ああ。本人は目が疲れないようにと言っていた。キャメロンの方も、受け取ったらすぐ仕事に使っていたよ」
第一文官執務室で評価すべきなのは、侯爵令嬢から何を贈られているかではない。なぜ彼女が、第三文官執務室の一新人をそこまで気にかけているのか。そして、その新人が実際にどれほどの仕事をしているのかだった。
「もう少し調べた方がよさそうだな」
「ああ。俺もそう思う」
ロベルトは机の上に置かれた第三文官執務室からの書類へ目を落とした。その端には、今日も同じ名前が記されていた。
シード・キャメロン。
♢
夜。第三文官執務室に残っていたシードは、一日の仕事を終えて万年筆を置いた。
机の端では、今日リリアーナから贈られた魔導ランプが柔らかな光を放っている。以前なら夕方を過ぎる頃には細かな文字を追う目が重くなっていたが、今日はそれが随分と楽だった。
椅子に身体を預ける。腰も全く痛くない。万年筆のおかげで、長時間書き続けても指に疲れが残りにくくなった。そして今日からは、手元まで明るくなった。
リリアーナ様は自分の働く姿を見て、何があれば楽になるのかを考え、こうして一つずつ持ってきてくれる。
『ありがとうございます、リリアーナ様』
昼間、自分が口にした言葉を思い返す。あのとき、彼女は本当に嬉しそうに笑っていた。
シードはランプの明かりへ目を向けた。
(……私が使うと、あんなに喜んでくださるんですね)
不思議な人だと思う。なぜ自分なのかと考えたが、答えは出ない。しかし、次に彼女が来たときも喜んでもらえるような仕事をしていたいという気持ちの方が強い。
シードは明日の分の書類を揃えてから、ランプの灯りを消した。
♢
屋敷へ戻った私は、夕食を終えるなり私室の机へ向かった。今日のシード様を思い返していると、どうしてもじっとしていられなかったのだ。
「マリー、ノートをお願い!」
「はい、お嬢様。今日はずいぶん嬉しそうでございますね」
マリーは柔らかく笑いながら、革表紙の分厚いノートを机へ置いてくれる。私が前世の記憶を取り戻してから書き始めたもので、シード様のことや、この世界で気づいたことを忘れないために使っていた。
「だって、ランプを『見やすい』って言ってくださったんですもの!」
「それは何よりでございました」
私は羽ペンを手に取り、今日のことを書き込んでいく。椅子は問題なく使えている。万年筆も使いやすいとのこと、魔導ランプは初日から好感触。
そこまで書いたところで、昼間のシード様の「ありがとうございます」が蘇り、思わず頬が緩んだ。
(ふふ……喜んでくださいましたわ)
何度思い出しても嬉しい。
椅子を考えたときも、万年筆を作ったときも、今日のランプも、始まりは全部シード様に少しでも楽にお仕事をしてほしいという気持ちだった。それなのに、実際に喜んでもらえるたび、満たされているのは私の方ではないかと思ってしまう。
(シード様が楽になる。わたくしが嬉しい。もっと何かして差し上げたくなる。そしてまた喜んでくださったら、きっとわたくしも嬉しくなる……やっぱり推し活って最高ですわ!!)
「お嬢様、また何か考えていらっしゃいますね?」
向かいで片づけをしていたマリーが、私の顔を見て楽しそうに目を細めた。
「分かりますの?」
「ええ。そのお顔をされているときは」
「まあ!」
否定できない。私は笑いながらノートへ目を戻し、椅子、万年筆、ランプと並んだ文字を眺めた。机周りはかなり快適になってきたけれど、まだ気になることがある。
「シード様、お仕事に集中すると休憩を忘れてしまいそうなのよね」
「でしたら、今度お伺いしたときに様子を見てみますか?」
「ええ! それがいいですわ!」
勝手に決めつけて何かを作るより、まずは実際に見てみたい。きちんと休憩しているならそれでいいし、もし水分も摂らずに働き続けているようなら、そのときは私にもできることがあるはずだ。
私はノートの端に『休憩中の様子を確認』と書き加えた。
(次は何ができるかしら。シード様がもっと元気に、もっと快適にお仕事できるようになったら……また喜んでくださるかしら)
想像しただけで、もう次に会うのが楽しみになる。
私は満足してノートを閉じると、マリーと顔を見合わせて笑った。
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次回もよろしくお願いします、ですわ!




