第67話 繋がった二つの名前
翌朝、第三文官執務室へ入ったシードが最初に見たのは、室長の机に置かれた昨日の書類箱だった。封まで昨日のままになっている。
「おはようございます」
「おう。キャメロン、昨日の件だがな。商務局から返事が来るまで触るな。あっちでも確認するそうだ」
室長は朝一番の茶を飲みながら、机の上の紙を持ち上げた。
「分かりました」
シードはそのまま自分の席へ向かい、今日の仕事を手元へ引き寄せた。予算書、備品申請、支出報告。いつもの書類だ。
「気にならないのか?」
隣からニールが声を潜める。
「気にはなります。ただ、確認できないものは確認できませんから」
昨日の箱が視界に入る位置にあっても、やることは変わらない。シードは一枚目の予算書を開き、いつも通り数字を追い始めた。
昼前には最初の束を終え、次の書類へ手を伸ばしていた。
「失礼します。第三文官執務室の責任者はこちらで?」
扉を開けて入ってきたのは、見慣れない男だった。濃紺の上着の胸元には商務局の徽章がある。
「俺です」
室長が立ち上がると、男は一礼した。
「昨日お送りしたグラーツ伯爵家関係商会の照合について、確認したい箇所が見つかったと報告を受けました」
「キャメロン」
呼ばれたシードが席を立つ。室長は昨日の箱を開け、シードが書類番号を控えた別紙を取り出した。
「見つけたのはこいつです」
「説明をお願いできますか?」
「はい」
シードは机へ三種類の書類を並べた。フェルナー領から王都へ入った木製品の搬入記録、その一部を別の倉庫へ移した搬出記録、そして商会が提出している三年分の倉庫使用申請。
「こちらが最初に確認した記録です。搬入量が前年より増えていましたが、使用している倉庫の規模は変わっていませんでした」
「それで搬出記録を?」
「はい。商品をすぐ別の場所へ移しているのであれば、倉庫の規模とは関係ありませんから。ただ、確認したところ移動先として記載されている住所が、商会の申請している三つの倉庫に含まれていませんでした。同じ住所への搬出は、ほかの領地から入った商品でも確認できています」
シードがもう一枚を横へ置くと、男は二つの記録を見比べ、手帳へ住所を書き写した。
「この記録はお借りします。まず、この住所が何に使われているのか商務局で確認します」
「頼む」
室長が頷くと、男は鞄から新しい紙を取り出した。
「それと、今回の照合依頼について追加があります。この商会について調べてほしいという正式な照会が、アドラー侯爵家から出ています」
シードの目が、紙の上で止まった。
アドラー侯爵家。見間違えるはずがない。
「フェルナー男爵家との取引について調べているそうです。こちらで確認していた内容と重なったため、関連する記録をまとめることになりました」
フェルナーとアドラー。その二つの名前が並んだ瞬間、数日前のリリアーナ様が浮かんだ。
『リーネ様という、お友達ができましたの!』
フェルナー領から帰ったばかりで、工房を案内してもらったことも、友人ができたことも、本当に嬉しそうに話してくださった。
(……リリアーナ様)
けれど、リリアーナ様が今回の照会に関係しているとは限らない。侯爵家の仕事かもしれないし、フェルナー男爵家から相談を受けただけかもしれない。
「キャメロン?」
室長に呼ばれ、シードは顔を上げた。
「失礼しました。少し考え事をしてました」
「珍しいな。お前が仕事中にぼーっとするなんて」
商務局の男は書類を箱へ戻しながら続けた。
「第三文官執務室には、追加で過去五年分の照合をお願いする可能性があります。ただし、こちらの確認が先です。正式な依頼が届くまでは、昨日までの作業で止めておいてください」
「承知しました」
室長が答え、男は書類箱を持って執務室を出ていった。その扉が閉まるのを待っていたように、ニールがシードの机へ寄ってくる。
「アドラー侯爵家って、リリアーナお嬢様の家だよな? フェルナー領にも行ってたんだろ。だったら今回のこと、何か知ってるんじゃないか?」
「分かりません。リリアーナ様から伺ったのは、フェルナー領で楽しく過ごされたことだけです」
「次に来た時、聞かないのか?」
「聞きません」
シードは椅子へ座り、途中だった備品申請を開いた。
「侯爵家が正式に調べていることを、私が仕事で知ったからといって、リリアーナ様へ尋ねていい理由にはなりませんからね」
「……なるほど」
ニールが自分の席へ戻っていく。
シードは万年筆を手にしたものの、すぐには紙へ落とさなかった。
フェルナー領で友人ができたと話してくださったリリアーナ様。その数日後に出された、アドラー侯爵家からの照会。
何も知らないふりをする必要はない。けれど、仕事で知ったことをこちらから聞くつもりもなかった。
もしリリアーナ様が話したいと思ってくださるのなら、その時に聞けばいい。
シードは万年筆を持ち直し、途中だった備品申請の続きを確認し始めた。
その日の夕方、アドラー侯爵邸ではアルベルトが商務局から届いた書状を読んでいた。
「ヴィクトル。王宮側でも、同じ商会を調べ始めていたらしい」
「旦那様からの照会とは別に、ですか?」
「ああ。王宮の記録を照合する過程で、申請されていない住所が見つかったそうだ。しかも、そこへ運ばれているのはフェルナー領の商品だけではない」
アルベルトは書状を机へ置いた。侯爵家から調べられる範囲では追えなかった商品の行き先が、王宮側の記録から一つ浮かび上がってきたことになる。
「偶然でしょうか」
「まだ分からない。ただ、調べる場所は一つ増えたな。誰が所有している建物なのか、まずそこから確認してくれ」
「承知しました」
ヴィクトルが書状を受け取り、扉へ向かう。その背中をアルベルトが呼び止めた。
「それと、リリアーナにはまだ話さなくていい」
「よろしいのですか?」
「何か分かってからでいい。あの子はリーネ嬢のことになると、自分にもできることがないか探し始めるだろう?」
アルベルトは苦笑し、机の端に置かれたフェルナー家の資料へ目を落とした。
「今度は大人の仕事だ」
「かしこまりました」
扉が閉まると、アルベルトはもう一度、商務局から届いた書状へ目を戻した。
申請のない倉庫として記された住所。
その横には、所有者を確認中、と書かれていた。




