第63話 シード様へのお土産
フェルナー領から帰って数日。
リリアーナは小さな箱を両手で抱え、王宮の廊下を歩いていた。
箱の中に入っているのは、フェルナー領で買ってきた焼き菓子だ。砕いた木の実が練り込まれた丸い焼き菓子で、広場を案内してくれたリーネが一番好きだと教えてくれたものだった。
一つ食べて美味しかったから帰る前にもう一つ買って、それとは別にお土産として持ち帰れる分も包んでもらった。
もちろん、目的地は決まっている。
(シード様にも食べていただきますわ!)
フェルナー領で楽しい時間を過ごしている間も、忘れていたわけではない。
工房で椅子を見ればシード様を思い出し、貴族向けの立派な椅子を見れば、一瞬だけ本気で持ち帰れないか考えた。
さすがに止めた。
すでにシード様には、世界に一脚しかない特注の椅子があるのだから。
(それに、あの椅子から始まったものが、フェルナー領でたくさん作られていましたもの!)
第三文官執務室のみんなが使う椅子が作られ、さらに王宮のほかの部署へ届けるものまで作られている。
最初はただ、シード様の腰が心配だった。
毎日長い時間座って仕事をするのに、あんな硬い椅子では身体がつらいだろうと思った。それだけだったはずなのに、今ではフェルナー領の職人たちまで椅子を作っている。
思い出すだけで頬が緩んだ。
(推しの腰を守ろうとしたら、お仕事まで増えましたわ!)
素晴らしい。シード様の腰も守られる。第三文官執務室のみんなの腰も守られる。職人たちのお仕事にもなる。
こんなに嬉しいことはない。
「お嬢様、そろそろ第三文官執務室ですよ」
隣を歩くマリーに声をかけられ、リリアーナは顔を上げた。
「分かっていますわ。今日はちゃんとお仕事の邪魔をしないようにいたします」
「はい」
「……マリー?」
「何でしょう?」
「今、何か言いたそうなお顔をしませんでした?」
「いいえ。お嬢様がシード様を前にされても、今のお言葉を覚えていらっしゃるといいなと思っただけです」
マリーが柔らかく笑う。
その笑顔を見ながら歩いているうちに、見慣れた扉へ着いた。
リリアーナは箱を抱え直す。
(久しぶりのシード様ですわ!)
数日会っていなかっただけ。
それでも楽しみにしていたものは仕方がない。
扉を開けると、紙をめくる音とペンを走らせる音が耳に入った。
第三文官執務室は今日も変わらない。
机に向かう文官たち。その中に、探すまでもなく見つけられる人がいる。
黒い長い髪。
丸い眼鏡。
書類へ落とされた黒の瞳。
シードは左手で一枚前の書類を押さえながら、右手の万年筆を動かしていた。数字を書き終えると、横に置かれた別の紙へ目を移す。二つの数字を確かめてから次の欄へ進み、最後まで書き終えたところで、もう一度最初から視線を通した。
それから書類を揃え、次の束へ手を伸ばす。
(ああ……)
帰ってきた。
フェルナー領も楽しかった。リーネ様と過ごした時間も、全部大切だ。
でも、これも大切。
(今日もシード様が最高にシード様ですわ……!)
仕事をしている。ただそれだけで嬉しい。今すぐ話しかけたい気持ちを抑え、リリアーナはその場で待った。シードが今見ている書類を書き終えるまでは邪魔をしない。
やがて最後の一行を書き終えたシードが、紙を揃えた。
顔が上がる。
青灰色の瞳と目が合った。
「あ……リリアーナ様」
「ごきげんよう、シード様!」
シードの表情が和らいだ。
「ごきげんよう。今日は来てくださったんですね」
(来てくださった!)
危ない。
たった一言で顔が緩みそうになる。リリアーナは箱を抱えたまま、どうにか侯爵令嬢らしく笑った。
「はい。フェルナー領から戻りましたので、シード様にもお会いしたくて参りましたわ」
「フェルナー領へ行かれていたのですか?」
「ええ! お友達に工房や広場を案内していただいたんですの」
「それは楽しそうですね」
「とっても楽しかったですわ!」
思い出した途端、話したいことが次々と浮かんできた。
リーネ様が工房を案内してくれたこと。職人たちが椅子を作っていたこと。可愛い木箱を見せてもらったこと。広場には木工品も布小物もたくさんあったこと。
どれから話そう。
迷った末に、一番言いたかったことから口にした。
「シード様の椅子も作られていましたの!」
シードが瞬きをした。
「私の椅子ですか?」
「正確には、シード様の椅子を元にした文官向けの椅子ですわ。第三文官執務室へ届けていただいたものと同じ椅子を、ほかの部署へ届けるために作っていらっしゃいましたの」
「ああ、そちらですか」
シードは自分が座っている椅子へ目を落とした。
最初に作った特注の一脚。
今ではすっかり、この机にあるのが当たり前になっている。
「工房にたくさん並んでいましたわ。組み立てている途中のものもありましたし、座面へ布を張っているところも見せていただきました」
「リリアーナ様は、本当に楽しそうにお話しされますね」
「だって嬉しかったんですもの」
リリアーナは椅子の背もたれへ目を向けた。
「最初は、シード様に楽な椅子を使っていただきたかっただけでしたの。それが今では、ほかの文官の方にも使っていただけて、フェルナー領の皆様のお仕事にもなっているんです。シード様のために作った椅子から始まったんですわ!」
「私のため、というより……」
シードがリリアーナを見る。
「リリアーナ様が作られた椅子でしょう?」
「違いますわ」 思わず即答した。
シードが目を瞬く。
「シード様がいらっしゃらなければ、作っていませんもの」
「ですが、考えたのはリリアーナ様です」
「考えた理由がシード様ですわ」
「……そうなるんですね」
「そうなります!」
当然である。シード様があの硬い椅子で仕事をしていなければ、椅子を作ろうなんて考えなかった。
万年筆も。
ランプも。
ハーブティーも。
暖魔布も、魔導アイマスクも。
全部、目の前の人から始まった。
(やっぱりシード様は偉大ですわね)
本人はまったく納得していない顔をしているけれど、それでいい。リリアーナの中では決定事項だった。
「それと、今日はお土産がありますの」
抱えていた箱を机の端へ置く。
「フェルナー領の焼き菓子ですわ。リーネ様に教えていただいたんですけれど、とても美味しかったので、皆様にもと思いまして」
「リーネ様というのが、先ほど仰っていたお友達ですか?」
「はい。リーネ・フェルナー様ですわ」
友達。
その言葉を口にすると、今でも嬉しくなる。
「工房がお好きで、たくさん案内してくださいましたの。白いお花がお好きで、美味しい焼き菓子のお店も教えていただいて……次はわたくしの好きなものをお見せする約束もしたんです」
「良いお友達ができたんですね」
「はい!」
シードの声が柔らかくて、リリアーナは嬉しくなった。
箱を開け、焼き菓子を一つ取り出す。
「シード様も召し上がってくださいませ」
「ありがとうございます」
シードは受け取ると、そのまま口へ運ぼうとして止まった。
「……せっかくですから、お茶も淹れましょうか」
「まあ!」
シードが席を立つ。以前リリアーナが持ってきたハーブティーは、今では第三文官執務室に置かれている。
その箱へシードが手を伸ばすのを見ただけで、リリアーナの胸が弾んだ。
(またシード様がお茶を……!)
一度経験したからといって、慣れるものではない。
シード様が自分のためにお茶を淹れてくださる。
何度だって嬉しい。
「リリアーナ様も飲まれますよね?」
「もちろんですわ!」
「では、少しお待ちください」
シードが湯を用意している間、リリアーナはその後ろ姿を眺めた。
仕事をしている姿も好き。
お茶を淹れている姿も好き。
結局、何をしていても好きなのでは。
(……今さらでしたわね)
やがて二つのカップが並んだ。
シードが一つをリリアーナの前へ置く。
「どうぞ」
「ありがとうございます、シード様」
焼き菓子を半分に割り、一口食べると木の実の香りが広がった。
「やっぱり美味しいですわ」
シードも一口食べる。
「美味しいですね。甘すぎませんし、お茶にも合います」
「でしょう?」
なぜか自分が褒められたように嬉しい。広場でリリアーナが同じことを言った時、リーネもこんな顔をしていたのだろうか。そう思うと、また嬉しくなった。
「リーネ様も、これが一番お好きなんですの」
「では、今度お会いしたら、美味しかったとお伝えください」
「はい!」
次の手紙に書くことが、もう一つ増えた。
リリアーナはカップを両手で持ち、向かいにいるシードを見る。
フェルナー領へ行って、リーネと友達になった。
大好きなものを教えてもらった。
そして王宮へ戻れば、こうしてシード様がいる。
(わたくし、幸せですわね)
破滅を避けことなんか忘れてシード様を推すだけだと決めていたのに、今はもう、未来を変えなければならないと思っている。
それに、避けたい未来だけではなく、増やしたいものがたくさんある。
リーネ様と、また会いたい。
マリーと出かけたい。
お父様とお母様にも、今日あったことを話したい。
そして。
「シード様」
「はい」
「またフェルナー領へ行ったら、お土産を買ってきてもよろしいですか?」
シードが眼鏡の奥で目を細めた。
「楽しみにしています」
胸の奥が、一気に熱くなった。
(楽しみに……!)
危ない。危ない。今のはかなり危ない!!
リリアーナはカップへ口をつけて、緩みそうになる頬を隠した。
次にフェルナー領へ行く予定なんて、まだ決まっていない。
それなのに。
(絶対にまた行きますわ!)
行く理由が、また一つ増えてしまった。
昨日は投稿できませんでした、毎日更新が……
もし楽しみにしてくれてた方がいたなら、それはそれで嬉しい(˶' ᵕ ' ˶)ゴメンネ
ここから書きたいことが色々決まったので、70話近くまで書こうと思うけど時間が足りない…( っ °、。)っ
ここまで、読んでくれてる人がいるから書きたいと思える、ありがとうございます、ですわ!




