第61話 一生のお願い
領主館へ戻ると、アルベルトとフェルナー男爵はまだ話をしていた。テーブルには椅子や暖魔布についての書類が広げられ、リリアーナたちが部屋を出た時よりも紙の枚数が増えている。
「おかえり。随分楽しめたようだな。リーネ嬢にいろいろ見せてもらえたか?」
「はい! 工房も広場も、とても楽しかったですわ!」
本当なら、工房で見た椅子のことも、広場のお店を全部回ったことも、焼き菓子が美味しかったことも話したい。マリーに贈った髪留めだって、お父様にも見てほしい。
でも、その前に聞きたいことができてしまった。
「お父様。お話の途中に申し訳ありませんが、わたくしからも聞いていただきたいことがありますの」
「もちろんだ。座って話してごらん」
リリアーナはリーネと並んで腰を下ろした。マリーもいつものように後ろへ控える。
「広場を見ている途中で、大きな荷車が二台来ましたの。貴族家のお抱え商人だと、リーネ様に教えていただきました」
「貴族家のお抱え商人?」
「はい。いろいろなお店から商品を買って、荷車へ積んでいました。その中に、わたくしがマリーへ買った髪留めと同じものがあったんです」
リリアーナは広場で見たことを順番に話した。商人は一つの店だけではなく、いくつもの店から大量の商品を買っていたこと。その中には木工品も布製品もあり、店で売られていたものと同じ品もあったこと。
そして、まとめて買っていたとはいえ、店で聞いた値段と随分違っていたこと。
「たくさん買えば、お安くなることは分かります。でも、あんなに違うものなのかしらと思いまして……。わたくしでは分からないので、お父様に聞いてみたかったんです」
「なるほど」
アルベルトはフェルナー男爵へ向き直った。
「今リリアーナが話した商人は、以前からフェルナー領の商品を買い付けている者ですか?」
「はい。父の代から続いております。先方の貴族家が抱えている商人で、定期的に領内の商品をまとめて買い取ってくださっています」
「価格は、向こうから提示を?」
「基本的にはそうです」
「取引の記録を見せていただけますか?」
「もちろんです」
フェルナー男爵が使用人へ頼み、何冊かの帳簿が運ばれてきた。アルベルトは現在のものと古いものを並べ、同じ品を探していく。
「材料の値段は以前より上がっていますね。それなのに、買い取り価格はほとんど変わっていない」
「はい」
「価格の見直しを求めたことは?」
「何度かあります。しかし、長年この条件で取引してきたことを理由に、受け入れてはいただけませんでした」
「お父様、そんなお話をされていたんですか?」
「ああ。お前にはまだ話していなかったね」
リーネは知らなかったらしい。
今日の広場では、商人が来た時もいつも通りだった。店の人たちも慣れていて、リーネも毎回たくさん買ってくれる人だと教えてくれた。
「でしたら、ほかの商人の方へ売ることはできませんの?」
「少量であればできます。ただ、領内で作られる品をこれだけの量、定期的に引き取ってくださる相手がほかにいないのです。王都に店を持っているわけでもありませんから、取引をやめれば売り先のなくなる品が大量に出ます」
「だから、値段を上げていただけなくても……」
「取引を続けるしかありませんでした」
「……随分、足元を見られていますね」
フェルナー男爵は苦い顔で頷いた。
「お恥ずかしい話ですが、その通りです。こちらも何とか別の販路を作ろうとはしてきました。しかし、一度に引き取ってもらえる量が違います。領内の職人たちの生活もありますから、こちらから取引を切ることもできず……」
リリアーナは膝の上で手を握った。
安すぎると分かっている。
値段を上げてほしいと頼んでも断られる。
それでも、作ったものを買ってもらえなくなる方が困るから、売るしかない。
(……これですの?)
原作で、フェルナー家がお金に困っていた理由。
ゲームをしていた時に知っていたのは結果だけだった。
フェルナー家の財政は悪化していく。
そのせいでリーネは侯爵令嬢であるリリアーナへ近づき、家をどうにかするために助けを求める。そして二人は一緒に破滅へ向かっていく。
そこへ至るまで、フェルナー家で何が起きていたのかなんて考えたこともなかった。
ゲームの中では、それで話が進んだから。
けれど、ここには本当に人が暮らしている。
工房で見た椅子も、小さな木箱も、広場に並んでいた髪留めも、白い花が刺繍された袋も、生計を立てるためにみんなが作ったものだ。
今日一日リリアーナが見て回ったもの全部が、フェルナー領で暮らす人たちの仕事だった。
「その貴族家は、どちらです?」
アルベルトが尋ねた。
「グラーツ伯爵家です」
「……グラーツ伯爵家」
「お父様、ご存じですの?」
「もちろん名前は知っているよ」
アルベルトは帳簿を一枚戻し、品物の種類と買い取られた数を確認した。
「随分な量だな」
「毎年このくらいは買い取っていただいております。年によって多少の違いはありますが、木工品も布製品も広く扱っていただいています」
「買い取られた後の商品がどこへ行くかは?」
「そこまでは把握しておりません。商人へ渡した後は、先方の扱いになりますので」
「そうですか」
アルベルトは数年前の記録も確認した。
「フェルナー男爵。この取引は一度調べた方がいいでしょう」
「やはり、価格が問題でしょうか」
「価格だけなら、単にフェルナー側が不利な条件で取引を続けてきたという話で終わります。ただ、これだけの量を毎年必要としている相手が、何度求められても価格を見直さないというのは気になります」
フェルナー男爵も帳簿へ目を落とした。
「グラーツ伯爵家が、これらの商品をどのように扱っているのか。商人がほかにどの領地と取引しているのか。その辺りから確認してみます」
「そこまでしていただいてもよろしいのでしょうか」
「何もなければ、それでいいのです。ですが、もしフェルナー家が断れないことを承知した上で、この条件を押しつけ続けているのなら、話は変わるでしょう」
「ありがとうございます」
お父様が調べてくれる。
それなら、何か分かるかもしれない。
原作と同じ未来にならずに済むかもしれない。
そう思ったのに、リリアーナの中に残っていた不安は消えなかった。
隣にはリーネ様がいる。
原作のリーネ・フェルナー。
家が金銭的に苦しくなり、侯爵令嬢リリアーナへ近づいてくる可憐な少女。
最初から誰かを利用しようとしていたわけではない。家族を助けたかった。領地をどうにかしたかった。まだ子供なのに、自分にできることを探して、侯爵令嬢であるリリアーナを頼った。
ゲームをしていた頃は、ただ可哀想な子だと思った。
それだけだ。でも、今は違う。
今日、リーネ様は工房でたくさん笑っていた。
作りかけの椅子を見つければ嬉しそうに教えてくれて、職人が娘のために作った木箱まで大切そうに見せてくれた。広場へ行けばお気に入りの店を一つずつ案内して、白い花が好きだと教えてくれた。
焼き菓子を食べた時もそうだった。
わたくしが「美味しいですわ!」と言えば、自分が褒められたわけでもないのに、とても嬉しそうに笑っていた。その顔を見ていたら、帰る前にもう一つ買いたくなったくらいだ。
手紙だけでは知らなかったことを、今日だけでいくつも知った。
リーネ様が好きな花、お菓子、場所。
大切にしている人たち。
そして、自分の好きなものを誰かにも好きになってもらえると、とても嬉しそうに笑うこと。
ゲームの画面では知ることのできなかったリーネ・フェルナーが、今は隣にいる。
(この子が、あんな未来に行くんですの?)
家のために悩んで、追い詰められて、助けを求めるためにリリアーナへ近づいて。
今日みたいに「見ていただきたいものがあるんです」と笑って会いに来るのではなく、侯爵家の力が必要だから。
助けてもらわなければみんなが困るから。
そんな理由で、自分のところへ来るようになる。
(そんなの嫌ですわ!)
今日一日で知ってしまった。
リーネ様がどんな顔で工房を歩くのか、白い花を見つけた時に素敵な笑顔で笑うのかも知ってしまった。
だったらもう、ゲームの設定だからなんて思えない。
この先に何が起きるのか知っているのに、何もしないなんてできない。
リーネ様が助けを求めなければならなくなるまで待つなんて、もっとできない。
(この子は、絶対に助けます……)
リリアーナには商売のことは分からない。
グラーツ伯爵家が何をしているのかも、買い取られた品がどこへ行くのかも分からない。
でも、お父様ならきっと調べられる。
それでも足りないなら、侯爵家の力を使ってでもきっと調べてくれるはず。
わたくしに使えるものがあるのなら、全部使いたい。
「お父様」
「どうした?」
「わたくし、一つだけとても大きなわがままを言ってもよろしいでしょうか」
「言ってごらん」
「これから先、わたくしはわがままを言いません。欲しいものができても我慢します。マリーとどこかへ行きたくなっても、お父様にはお願いしません。学園へ入ってから欲しいものができても我慢します」
「リリアーナ様……?」
隣に座っているリーネ様の不安そうな声が聞こえたが、止まることはできない。
「ですから、これから先の分を全部まとめて、今日の一つにしてくださいませ」
リーネの表情が強張った。
「フェルナー領を助けてください!グラーツ伯爵家のことも、商人のことも、調べてください。もし本当にフェルナー領の皆さんが困るようなことをされているのなら、お父様の力で助けてほしいんです!!」
「そんなの、駄目です!」
リーネ様の声が部屋に響き渡る。
椅子が鳴った。
リーネ様が立ち上がり、胸元で両手を握っている。
「そんなの駄目です!リリアーナ様。これから欲しいものやしたいことを全部我慢するなんて……そんなお願いの仕方をしないでください」
「リーネ様」
「わたし、そんなことをしていただくために今日案内したんじゃありません……!」
声が震えている。
「工房も、広場も、リリアーナ様に見ていただきたかっただけなんです。わたしが好きなものを知っていただけたら嬉しいと思って……リリアーナ様なら、一緒に見てくださると思ったから……」
「知っていますわ」
「でしたら……!」
「分かっているからです」
リリアーナはテーブルに置いていた白い花の袋を手に取った。
「今日、リーネ様はずっと楽しそうでした。工房でも広場でも、ご自分の好きなものをたくさん教えてくださいました。わたくしが何かを気に入るたびに、リーネ様まで嬉しそうにしてくださったでしょう?」
「だって……嬉しかったんです。わたしが好きなものを、リリアーナ様も素敵だと言ってくださったから……」
「わたくしも嬉しかったですわ」
一緒に歩いて買い物をしている最中、フェルナー領のことなんて考えていなかった。
ただこの子が可愛いと思った。
リーネ様が好きな花だと聞いて、今日のことを思い出せるものが欲しくなった。
それでよかった。
「だから、これからもそれがいいんです」
「……これからも?」
「はい」
リリアーナは白い花の袋を両手で持った。
「いつか、困ったから会いに来るのではなくて、『リリアーナ様、また好きなものを見つけました』って、そう言って会いに来てほしいんです」
リーネの唇が震えた。
「次にお会いする時も、その次も、今日みたいにしてほしいんです。リーネ様の好きなものを教えていただいて、今度はわたくしの好きなものもお見せして、一緒に美味しいものを食べり、お買い物をしたいんです」
「リリアーナ様……」
リーネの瞳から涙がこぼれた。
「わたし……本当に、それだけでいいんですか?」
「それだけがいいんです」
「でも、わたしにはリリアーナ様にしていただいたことを返せるものが……」
「ありますわ」
リーネが涙を拭いながら顔を上げた。
「また、リーネ様の好きなものを教えてくださいませ」
「そんなことで……いいんですか?」
「そんなことではありませんわ。今日、わたくしはとても楽しかったんですもの」
リーネは何か言おうとしたけれど、声にならなかった。涙を拭っても次から次へとこぼれて、白い頬を濡らしていく。
(原作のことは話せない)
このまま進めば、リーネ様がどんな理由で自分へ近づいてくるのかも、その先で二人がどうなるのかも伝えられない。だからリーネ様には分からなくてもいい。
「わたくし、リーネ様が困ってからでは嫌なんです」
「……え?」
「困ってどうしたらいいか分からなくなって、それからわたくしのところへ来るなんて嫌なんです。そんなことになる前に、今できることがあるならしたいんです」
「リリアーナ様……」
「これからも、好きなものや楽しいお話をするために会いましょう」
リーネは泣きながら何度も頷いた。
「……はい」
「工房にも、また連れていってくださいませ。今日見られなかったところもありますでしょう?」
「あります……。まだ、たくさんあります」
「では、次のお楽しみですわね」
「はい……!」
「広場のお菓子も、また食べたいですわ。あの焼き菓子、とても美味しかったですもの」
「わたしも、またリリアーナ様と一緒に食べたいです」
「でしたら決まりですわ」
リーネが両手で涙を拭った。その顔を見て、リリアーナの決意はもう変わらなかった。
「お父様」
リリアーナはもう一度アルベルトへ向き直った。
「お願いします、お父様。フェルナー領の皆さんもてますが、リーネ様を助けたいんです。わたくしには何をすればいいのか分かりません。でも、このままにしたくありません」
「リリアーナ様……どうして、わたしのためにそこまで……」
そんなの、決まっている。
「だって、わたくしのお友達ですもの」
リーネの顔がまたくしゃりと崩れた。
「わたし……リリアーナ様に会えて、本当によかった……」
アルベルトが椅子から立ち、リリアーナの前まで来た。娘と目の高さを合わせるように膝を折る。
「リリアーナ。お前のお願いは分かった」
「はい」
「フェルナー領の取引は私がどんな手を使っても調べよう。グラーツ伯爵家のことも、その商人のこともだ。本当にフェルナー領の弱い立場につけ込んでいるのなら、そのままにはしない」
「ありがとうございます、お父様!!」
「ただし、一つだけ駄目なことがある」
「駄目なこと、ですの?」
「これから先、何も頼まないというところだ」
リリアーナは目を丸くした。
「ですが、これはとても大きなお願いですわ。たくさんのことを調べていただくのですから、お父様のお仕事も増えてしまいます」
「そうだな。簡単に終わる話ではないかもしれない」
アルベルトの手が、リリアーナの頭に乗った。
「それでも、これは十一歳の娘がこれから先の楽しみを全部差し出して頼むことじゃない。お前は自分で見て、おかしいと思ったことを私に話した。友達を助けたいとも言った。なら、あとは私に任せなさい」
「……よろしいんですの?」
「ああ」
アルベルトは娘の髪を撫でた。
「こんなことがわがままになんてならないよ。立派なことだ!本当によく気がついたな、リリアーナ」
「お父様……」
「だから、これからも欲しいものがあれば話しなさい。行きたいところがあれば相談しなさい。叶えられるかどうかは、その時に一緒に考えればいい」
「……はい!」
リリアーナは大きく頷いた。
「ありがとうございます、お父様」
「ああ」
「リリアーナ様」
呼ばれて振り向くと、リーネ様はまだ涙の跡を残していた。
「次にお会いする時までに、また好きなものを見つけておきます!」
「まあ!」
「今日みたいに、リリアーナ様に見ていただきたいものを探しておきます。わたしが好きだから、リリアーナ様にも見ていただきたいと思えるものを!」
「では、わたくしも探しておきますわ」
「リリアーナ様も?」
「もちろんです。今日はリーネ様の好きなものをたくさん教えていただきましたもの。次は、わたくしの番ですわ!」
「リリアーナ様……」
涙で濡れていたリーネの緑の瞳が、ようやく明るさを取り戻した。
リリアーナは白い花の袋を胸元に抱えた。
「約束ですわよ、リーネ様」
「はい。お約束いたします、リリアーナ様!!」
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