第59話 リーネ様の大好きな場所
リリアーナ様がフェルナー領を訪れる日を、リーネはずっと楽しみにしていた。
アドラー侯爵家の馬車が屋敷の前に止まると、リーネは父と一緒に玄関前で出迎えた。先に降りてきたのはアルベルト・ヴァン・アドラー侯爵。そのあとに続いて、淡い金色の長い髪を揺らしながらリリアーナ様が姿を見せる。
「ようこそお越しくださいました、アドラー侯爵様」
父が挨拶を交わす隣で、リーネもきちんとドレスの裾を取った。
「ごきげんよう、リリアーナ様。またお会いできるのを楽しみにしておりました」
「ごきげんよう、リーネ様。わたくしもですわ!」
二人が顔を合わせるのは、これが二度目だった。
初めてアドラー侯爵家を訪ねた時にも綺麗な方だと思ったけれど、明るい陽の下で見るリリアーナ様は、また印象が違う。腰近くまで伸びた淡い金色の髪は光を受けて柔らかな金色に透け、白と薄紫を基調とした上品なドレスの上でさらりと揺れている。
大きなアメジストの瞳まで嬉しそうに輝いていて、黙っていれば飾っておきたくなるような人形そのものなのに、笑うと途端に十一歳の少女らしい愛らしさが顔を覗かせた。
やっぱり、とても可愛い方だ。
そう思っていると、そのアメジストの瞳がリーネへ向けられた。
「今日のリーネ様、とても可愛らしいですわ。髪のお花も素敵です」
「えっ……ありがとうございます」
思いがけない言葉に、リーネの頬が熱くなる。
今日は淡い茶色の髪を編み込み、白い小花と深い緑のリボンを飾っていた。淡い緑と白を重ねたドレスも、工房を歩きやすいよう裾が広がりすぎないものを選んでいる。
「リボンのお色も、リーネ様の瞳によく似合っていますもの」
そこまで見てもらえていたことが嬉しくて、リーネは髪飾りへ触れそうになった手を止めた。
今日、これを選んでよかった。
「リリアーナ」
アルベルトが娘へ声をかけた。
「私はフェルナー男爵と先に話をしてくる。工房を見せてもらうのを楽しみにしていただろう?」
「はい、お父様!」
リリアーナ様の返事は、先ほどまでよりさらに弾んでいた。
今回アルベルトがフェルナー領を訪れたのは、娘に付き添うためだけではない。王宮の他部署へ納める椅子や貴族向けの椅子について、フェルナー男爵と確認することもあると父から聞いている。
「ではリーネ様、お願いしてもよろしいですか?」
「もちろんです。ぜひご案内させてください」
父親たちが仕事の話へ向かうのを見送り、リーネはリリアーナ様と工房へ向かった。
フェルナー家の屋敷から工房までは遠くない。道を進むにつれて木材の匂いが濃くなり、やがて槌や工具の音が聞こえてくる。
工房へ入った途端、隣を歩いていたリリアーナ様の顔がぱっと輝いた。
壁際には加工前の木材が積まれ、作業台には削りかけの部品や工具が並んでいる。その奥では何人もの職人たちが椅子を組み上げていた。
「あちらは椅子の脚でしょうか? あっ、向こうにも作りかけのものがありますわ」
「はい。まだ組み立てる前のものです」
「まあ……!」
リリアーナ様の視線が、工房の中を忙しそうに巡っている。
初めて会った時は、綺麗で上品な侯爵令嬢という印象が強かった。
けれど、こうして一緒に歩いてみると、それだけではないらしい。興味を惹かれるものを見つけるたびに、大きなアメジストの瞳がすぐに輝く。
そのたびに、リーネはもっと見せてあげたくなった。
工房の職人たちも二人に気づき、手を止めて頭を下げる。
「アドラー侯爵令嬢様。ようこそお越しくださいました」
「お仕事中に失礼いたします。第三文官執務室へ届けてくださった椅子も、こちらで作っていただいたのですよね?」
「はい。職人一同で作らせていただきました」
「皆様、とても喜んでいらっしゃいましたわ。座りやすくなったと仰っていました。本当にありがとうございます」
職人たちの表情が明るくなると、リリアーナ様まで嬉しそうに笑った。
リーネはその横顔を見ながら、初めて会った時には知らなかったリリアーナ様を、また一つ見つけた気がした。
「リリアーナ様、こちらです。今日、一番見ていただきたかったものなんです」
リーネが案内した先には、一脚の椅子が置かれていた。
第三文官執務室へ納めたものとは、ひと目で雰囲気が違う。艶のある木材を使い、背もたれや肘掛けには細かな彫刻が施されている。座面には深みのある布が張られ、貴族の書斎に置かれていても見劣りしない仕上がりだった。
「素敵ですわ……!」
大きなアメジストの瞳が、また輝いた。
その反応が見たくて連れてきたのだから、リーネまで嬉しくなる。
「貴族の方向けに作っている椅子です。今まで作っていたものより、木材や布も良いものを使っているそうです」
「彫刻まで入っているのですね。座るためだけではなく、お部屋に置いてあるだけでも素敵ですわ」
リリアーナ様は椅子の周囲を眺めながら、背もたれや肘掛けまで熱心に見ていた。
そのうち、何かを思いついたように表情が明るくなったかと思えば、急に真面目な顔になる。
「……これをシード様に」
「リリアーナ様?」
「な、なんでもありませんわ!」
何を考えていたのだろう。
リーネには分からなかったけれど、さっきまで輝いていた瞳を見れば、何かとても好きなことを考えていたのだろうとは分かる。
「もう一つ、見ていただきたいものがあります」
リーネは工房の隅にある作業台へ案内した。
そこには手のひらより大きな木箱が置かれている。蓋には小さな花がいくつも彫られ、角まで丁寧に丸められていた。高価な宝石も金の飾りもない。それでも木目を生かした箱には、職人の手で作られた温かみがある。
「まあ……可愛い!」
リリアーナ様が身を寄せる。
肩からさらりと流れた淡い金色の髪の向こうで、大きなアメジストの瞳が木箱へ釘付けになっていた。
リーネは木箱ではなく、その横顔を見てしまった。
本当に、表情がよく変わる。
初めて会った時に抱いた「綺麗な侯爵令嬢」という印象が、今日だけでどんどん変わっていく。
綺麗だけれど、それ以上に可愛らしい。
「こちらは商品ではないんです。余った木材で、職人の方が娘さんへの贈り物として作ったそうです。リリアーナ様にも見ていただこうと思って」
「あら」
木箱へ伸びかけていたリリアーナ様の手が止まった。
「でしたら、触らないでおきますわ。こんなに可愛いものをお父様からいただいたら、きっと娘さんも喜ばれますもの」
あれほど興味を示していたのに、持ち主がいると知った途端に手を引いた。
リーネはそれが嬉しかった。
「触っても大丈夫だと思います」
「本当ですの?」
またアメジストの瞳が輝いた。
その表情があまりにも分かりやすくて、リーネも笑ってしまう。
「こういうものも、こちらでは作られているのですか?」
「はい。大きな家具だけではなく、余った木材で箱や小物を作る方もいます。布を使ったものや、簡単な魔導加工をした日用品もありますよ」
「それも見てみたいですわ!」
リリアーナが笑うと、リーネも楽しそうに笑う。
「リーネ様が工房をお好きな理由が、分かった気がしますわ」
「え?」
リリアーナは工房の中を見渡した。
椅子を組み立てる職人たち。削られた木材。棚に並ぶ小物。あちこちから聞こえてくる仕事の音。
「素敵なものがたくさんありますもの。それに、皆様が大切に作っていらっしゃるのが分かりますわ」
リーネは嬉しくなって頷いた。
「わたくし、リーネ様が大好きなものを一緒に見せていただけて、とても嬉しいです」
胸の奥に、その言葉が真っ直ぐ入ってきた。
工房が好きだと言うと、珍しがられることはあった。男爵令嬢なのだから、もっと別のことに興味を持った方がいいと言われたこともある。
だから今日も、自分の好きな場所をリリアーナ様に楽しんでもらえたら、それだけで嬉しいと思っていた。
それなのにリリアーナ様は、工房を褒めただけではなかった。わたしが大好きなものだから、一緒に見られて嬉しいと言ってくれた。
「……わたしも、嬉しいです」
やっとそう答えると、リリアーナ様が柔らかく笑った。
「でしたら、もっと教えてくださいませ。リーネ様のお好きなものを、わたくしも知りたいですわ」
また胸が温かくなった。どうしてこの方は、自分が言ってほしかった言葉を、こんなに自然にくれるのだろう。
会ったのは二度目だ。
それなのに、初めて会った時にも自分の工房の話を楽しそうに聞いてくれた。そして今日は、自分が大好きな場所まで一緒になって楽しんでくれている。
リリアーナ様といると、自分が好きだったものを、前よりもっと好きになれる。
「では、次はこちらへ。まだ見ていただきたいものがたくさんあるんです」
「まあ! 楽しみですわ!」
嬉しそうについてくるリリアーナ様を見て、リーネの足取りも自然と軽くなる。
もっと見せたい。リリアーナ様に、自分の好きなものをもっと知ってほしい!
そしていつか、自分もリリアーナ様が大切にしているものを、一緒に大切にできる人になりたいとリーネは思った。




