第48話 返したくない文官
翌朝、シードが第二文官執務室へ入ると、オスカーの方からすぐに声をかけてきた。
「キャメロン君、おはよう。昨日の配置表、確認したよ」
「おはようございます。何か間違いがありましたか?」
「いや、一つもなかった。それどころか、西側受付の補足も助かった。過去の記録まで確認してくれたんだな」
「配置人数を決めるなら、以前どうだったのかも確認した方がいいと思いましたので」
シードにとっては当然のことらしく、いつも通りの口調で答える。
オスカーは昨日の配置表を思い出しながら、机の上に用意していた書類へ手を伸ばした。
「それなら今日は、昨日より仕事を増やしても大丈夫か?」
「はい。私にできるものであれば、やらせてください」
「やる気じゅうぶんみたいだな!分からないところがあったら聞いてくれ。今日はちゃんと席にいるから」
昨日二時間も席を外したことを気にしていたオスカーがそう付け加えると、シードの口元がわずかに緩んだ。
「分かりました」
オスカーが用意していたのは、複数の部署から届いた勤務変更と人員調整に関する書類だった。一枚ずつなら難しいものではないが、同じ人物の勤務変更が別の申請に影響していたり、応援へ出す人数によって元の部署が最低配置数を下回ったりするため、全体を見ながら処理する必要がある。
「急がなくていい。今日中にここまで終われば十分だから」
「承知しました」
シードは書類を受け取ると席へ戻り、すぐに仕事を始めた。
オスカーも自分の仕事へ戻ったが、今日は時々シードの様子を確認していた。分からないところがあれば声をかけてくると思っていたものの、シードは最初に資料を数枚確認しただけで、その後はほとんど手を止めない。
午前のうちに半分以上を終わらせ、昼を挟んでしばらくすると、すべての書類を抱えてオスカーのところへ戻ってきた。
「終わりました。こちらの二件だけ、確認をお願いできますか」
「何かあったか?」
「一件は、来週から別部署へ応援に出る方と勤務変更の希望日が重なっています。もう一件は、この変更を通すと十八日の午後だけ最低配置人数を一人下回ります。どちらを優先するかは、いただいた資料だけでは判断できませんでした」
「……分かった。そこは俺が確認する」
オスカーは二枚を受け取り、内容を確かめた。
どちらもシードの見落としではない。自分で確認できるところまではすべて調べ、それでも判断できない二件だけを持ってきている。
「それ以外は全部終わってるのか?」
「はい」
「本当に早いな」
思わず口から出ると、シードは不思議そうに首を傾げた。
「第三では、これくらいの量は珍しくありませんので」
その返事を聞いたオスカーは、第三文官執務室が普段どれだけの仕事を抱えているのか気になったが、聞かないことにした。
♢
二日目の午後になる頃には、オスカー以外の文官たちもシードへ声をかけるようになっていた。
最初にやってきたのは、昨日オスカーと一緒に配置表を確認した文官だった。
「キャメロン君、これも頼めるか? 来週の勤務変更なんだけど、別の申請と重なってるんだ。ヘイルに頼もうと思ったんだが、今は手が離せないみたいでな」
シードはすぐには書類を受け取らず、オスカーを見る。自分の担当以外の仕事を勝手に引き受けていいのか、確認しているらしい。
「俺から頼んだ分は終わってるから大丈夫だ。やっみてくれ」
「分かりました」
シードが書類を受け取ってからしばらくすると、今度は別の文官がやってきた。
「キャメロン君、こっちも一件頼めるか? 急ぎじゃないから、今日中じゃなくてもいい」
さらにもう一人が書類を持って近づいてきたところで、さすがにオスカーが止めた。
「お前ら、待て。キャメロン君は応援で来てるんだぞ。便利だからって次々に仕事を持っていくな」
「でも、さっき頼んだ分はもう終わったぞ。俺が確認したけど、直すところもなかった」
「俺のもだ。だから、これくらいならいいだろ?」
「よくない。自分の仕事まで押しつけるなよ」
言いながらシードの机を見ると、本人はすでに次の書類を確認している。
昨日までは、新人を寄越されても教える手間が増えるだけだと思っていた。それが今では、放っておけば第二の文官たちが次々と仕事を持っていく。
「キャメロン君、無理そうなら断っていいからな」
「大丈夫です。まだ時間もありますので」
「……そうか」
どうやら止めるべき相手は、周りの文官だけではないらしい。
♢
三日目になると、シードが第二で仕事をしている光景にも、すっかり違和感がなくなっていた。
朝からオスカーの仕事を手伝い、手が空けば他の文官から頼まれた書類も処理する。自分で確認できるところは調べ、判断できない部分だけを担当者へ返す。その仕事ぶりを見慣れたせいか、昼を過ぎた頃には一人の文官が何気なく書類を持ってシードの席へ向かっていた。
「キャメロン君、これ明日頼んでもいいか? 君の仕事は正確だから安心できるんだ」
「申し訳ありません。私は本日までなんです」
「え?」
文官の手が止まった。
「第三からの応援は三日間と聞いていますので、明日からは第三へ戻ります」
「そうだったのか。てっきり明日も来るものだと思ってたよ」
近くで聞いていた別の文官まで顔を上げる。
「今日までなのか? もう何日か延長してもらえないのか」
「第三だって人が余ってるわけじゃない。応援を頼んでおいて、そのまま取ったら怒られるぞ」
オスカーが止めても、今度は別のところから「三日くらいなら」「いや、一週間」と好き勝手な声が飛んでくる。
「お前ら、キャメロン君は第三の文官だからな。勝手に第二の人間にするな」
呆れて注意したものの、オスカー自身もあと何日かいてくれれば助かると思っている。
三日前まで、誰もシードのことを知らなかった。自分だって新人が来たと分かった瞬間には、教える手間が増えると考えていたのだ。
「そう言ってもらえて嬉しいのですが、第三にも仕事がありますので」
シードが困ったように答えると、オスカーは笑って頷いた。
「分かってるよ。三日間、本当に助かった。ありがとう」
「こちらこそ、勉強になりました」
「また人が足りなくなったら第三に応援を頼むかもしれない。その時はキャメロン君を指名するから、よろしく頼むよ」
「指名できるものなのですか?」
「……たぶん無理だな」
周りから笑い声が上がり、シードもわずかに口元を緩めた。
その日の仕事を終えると、シードは三日間使った机を片づけ、第二の文官たちへ挨拶をして執務室を出た。
♢
第三文官執務室の扉を開けると、聞き慣れた声が真っ先に飛んできた。
「シード様!」
部屋の中には、ちょうど来ていたリリアーナ様がいた。シードを見つけた途端、アメジストの瞳を輝かせてこちらへやってくる。
「リリアーナ様。どうしましたか?」
「第二文官執務室はいかがでしたか? お仕事は大変ではありませんでした? ちゃんと休憩は取れました?」
戻ってきた途端に次々と聞かれ、シードは目元を和らげた。
「大丈夫です。休憩も取りましたし、第二の仕事も、とても勉強になりました」
「よかったですわ。先程室長さんから話を聞いたのですが、慣れないところで三日間もお仕事をされていたから、疲れていないか心配していたんです」
安心したように胸元へ手を当てるリリアーナの隣で、ニールが思い出したように口を開いた。
「そういえば第二のやつから聞いたぞ。キャメロン、向こうで随分気に入られたらしいな。もう何日か貸してほしいって話まで出てたらしいな」
「まあ!」
リリアーナの瞳が一気に輝いた。
「シード様、第二でもそんなにご活躍なさったのですか!?」
「いえ。頼まれた仕事をしただけですよ」
「それで帰したくないと思われるなんて、やっぱりシード様はすごいですわ!」
「そんな…そこまでは言われていませんよ」
「いや、言ってたぞ。返したくないって」
ニールが横から付け加えると、リリアーナは嬉しそうにシードへ向き直った。
「やっぱり! 第二の皆様も、シード様の素晴らしさに気づいてしまったのですね!」
まるで自分が褒められたかのように得意げな顔をするリリアーナに、周りの文官たちから笑い声が上がる。
「リリアーナ様……」
シードは困った顔をしながらも、その声はどこか柔らかかった。
自分の席へ戻ると、机には今日の分の書類がすでに積まれている。シードが椅子に腰掛けて最初の一枚へ手を伸ばすと、リリアーナも嬉しそうにその姿を眺めていた。
(やっぱり、ここでお仕事をしているシード様も最高ですわ!)
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