第43話 十歳の終わりに
リリアーナがシードと初めて王宮の外へ出かけた日から、二か月が経った。
その二か月の間に、リリアーナの知らないところで一つの変化が起きていた。
始まりは、第三文官執務室へ配った椅子、アイマスク、暖魔布。文官たちのために用意した三つの品が、今では別の場所でも話題になり始めている。
そして今日、その評判をまとめた報告書がアルベルトのもとへ届いた。
マリーがアルベルトの机に数枚の紙を置く。
「旦那様、第三文官執務室で使用していただいている品について、報告書をまとめました」
「リリアーナが配ったものか」
「はい。椅子、アイマスク、暖魔布の三点です。しばらく使用していただきましたので、皆様から感想を伺っております」
アルベルトは報告書を手に取り、一枚目へ目を通した。
「腰への負担が減った、午後も集中しやすくなった、肩と首が楽になった……随分と評判がいいな」
「特に椅子と暖魔布は好評です。以前は夕方になると席を立って身体をほぐす方が多かったのですが、今はかなり減りました。確認待ちの書類も、以前より早く処理されているそうです」
「仕事そのものにも影響が出ているのか」
「室長様も、そのように仰っていました」
アルベルトが次の頁をめくると、そこには第三文官執務室以外から寄せられた声がまとめられていた。
「こちらは?」
「他部署の方々からの問い合わせです。第三文官執務室へ書類を届けに来た際に実物をご覧になった方や、椅子を試された方から、自分たちも使いたいという声が出ております」
記されている人数は、アルベルトが予想していたよりも多い。
「宣伝はしていないな?」
「もちろんです。お嬢様も第三文官執務室の皆様が喜んでくださったことに夢中ですので、他部署から問い合わせが来ていることはほとんどご存じありません」
想像通りの答えに、アルベルトは笑いながら報告書へ目を戻した。
リリアーナが考えた品は、すでにフェルナー男爵家と職人たちによって量産へ向けた準備が進んでいる。それだけでも十分に面白い話だったが、実際に使った者たちの反応を見る限り、どうやら自分が考えていたより先まで行けそうだった。
「マリー。この報告書と同じものを、今後も作れるか?」
「使用された方々への聞き取りでしょうか?」
「ああ。数が増えれば全員でなくていい。どの品を、どれくらいの期間使って、何が変わったのか。それが分かるように残してほしい。それから、リリアーナがこれから新しい物を作ったときも頼む」
マリーが少しだけ目を丸くした。
「これから作る物も、ですか?」
「もちろんだ」
アルベルトは報告書を順に揃え直し、机の端へ置いた。
娘が一人の文官のために考えた物が、今では執務室全体で使われている。そのために探した職人との縁はフェルナー男爵家へ繋がり、量産へ向けた準備まで始まった。さらに実物を見た他部署の人間が、自分たちも欲しいと言い始めている。
そこまで来れば、もう子供の思いつきとして扱うつもりはなかった。
「フェルナー男爵家には予定通り進めてもらう。急いで数を増やす必要はない。まずは同じ品質で作れるようにすることを優先してくれ」
「かしこまりました」
「売れるようになったからといって、品質を落としてリリアーナの名に傷がつくようなことだけは避けなければならないからな」
マリーが少し考えてから尋ねた。
「お嬢様のお名前を出されるおつもりですか?」
「いずれはな。考えた本人が、自分のしたことを分かっていないから困ったものだ」
アルベルトが笑うと、マリーの表情も柔らかくなった。
「リリアーナが考え、フェルナー男爵家と職人たちが形にする。売れれば何でもいいという扱いにはしない。あの子が誰かのために考えたものなら、その気持ちごと大事にしてやりたい」
「……お嬢様がお聞きになったら、喜ばれると思います」
「本人に話せば、喜ぶより先にシード・キャメロンへ報告しに行きそうだがな」
マリーは否定せず、口元をほころばせた。
用件を終えたマリーが一礼して執務室を出ていくと、アルベルトは呼び鈴を鳴らした。ほどなくして近侍のヴィクトルが部屋へ入り、いつものように机の前で足を止める。
「お呼びでしょうか」
「ああ。第三文官執務室で使っている椅子、アイマスク、暖魔布について、他部署からどれくらい問い合わせが出ているのか調べてくれ。どの部署が、どの品に興味を持っているのか分かればいい」
「フェルナー男爵家へ伝えるためでしょうか?」
「それもある。ただ、今すぐ注文を取る必要はない。量産を始めた途端に無理をさせて品質を落としたのでは意味がないからな。まずは、どれくらい欲しがっている人間がいるのか知っておきたい」
「承知いたしました」
ヴィクトルが手元へ書き留めていくのを見ながら、アルベルトは机に置かれた報告書へ目を向けた。
「それと、もう一つ。今後、リリアーナが新しい品を作ったときは、私にも報告を上げてくれ。マリーからの報告と合わせて確認したい」
「今後も、ですか?」
「ああ。これで終わるとは思えん」
アルベルトは迷わず答えた。
これまでの娘を見ていれば、次がないと考えるほうが難しい。シード・キャメロンが仕事中に困っていることを見つければ、リリアーナはまた何かを考えるだろう。第三文官執務室の誰かが困っていても、おそらく放っておかない。
そして出来上がった物が便利なら、今回と同じように欲しがる人間が現れる。
「新しい物を作ったら、まず使った者の感想を集める。十分に使えるものならフェルナー男爵家とも相談する。その先のことは、結果を見てから決めればいい」
「では、お嬢様がお考えになった品を、今後も同じように?」
「ああ。本人は好きでやっているだけだろうが、だからといって価値まで見落とす必要はないからな」
ヴィクトルは一礼すると、必要な内容を書き留めて執務室を出ていった。
一人になったアルベルトは、マリーが持ってきた報告書をもう一度手に取った。
椅子も、アイマスクも、暖魔布も、始まりは大層な計画ではない。十歳の娘が、気に入った文官に少しでも快適に仕事をしてほしくて考えたものばかりだ。それが今では職人の手で形になり、フェルナー男爵家が量産へ動き、第三文官執務室以外の人間まで欲しがっている。
アルベルトは報告書を引き出しへ入れかけて、手を止めた。
少し考えてから普段使う書類とは別の棚を開ける。そこには、これまでマリーから受け取った報告をはじめ、リリアーナに関係する書類がまとめて保管されていた。
今回の報告書も、その一番上へ重ねる。
「十歳でこれか」
思わず笑みがこぼれた。
もうすぐ、リリアーナは十一歳になる。
次は何を見つけて、何を思いつき、誰を巻き込むのか。娘自身はそんな父の期待など知らず、きっと明日もシードのところへ嬉しそうに通うのだろう。
それで構わない。
リリアーナは好きなように考えて、好きなように作ればいい。そこから生まれたものの価値を見落とさず、必要なら大切に育ててやる。それくらいは父親である自分がしてやればいい。
アルベルトは棚を閉じる前に、報告書の表紙をもう一度見た。
「十一歳になっても、楽しませてくれそうだな」
娘の知らないところで増え始めた可能性を大切にしまうように、アルベルトは静かに棚を閉じた。
これで10歳編は終わります。
次回から11歳編になりますが、よければここまでの感想を教えてください(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”
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