第32話 破滅したもう一人の令嬢
アドラー侯爵邸の応接室には、見慣れない木材や布、それから大きさの違う魔導クッションがいくつも並べられていた。
リリアーナの向かいに座っているのは、シードの椅子を作ってくれた職人だ。さっそく屋敷へ来てもらったのである。
「それでは、同じ椅子をもっとたくさん作ること自体はできますのね?」
「はい。ただ……今と同じ値段となりますと、難しいかもしれません」
「まあ……」
リリアーナは職人の顔を見つめた。せっかく、自分で推し活のお金を増やせるかもしれないという素晴らしい方法を見つけたのだ。できることなら今すぐにでも椅子をたくさん作って、王宮の文官たちに使ってもらいたい。
もちろん、一番の目的はシード様である。第三文官執務室のみんなが楽になれば、その分だけシード様へ回ってくる仕事も減る。さらに椅子が売れて利益まで出れば、そのお金で新しい推し活用品を作ることだってできる。
(完璧な計画だと思いましたのに……!)
そんなリリアーナの隣では、アルベルトが落ち着いた様子で職人の話を聞いていた。
「理由を聞かせてもらえるか?」
「今お作りしている数でしたら、うちの工房だけでも何とかできます。ですが数を増やすとなれば、木材の加工だけでも人手が足りません。魔導クッションを作れる者も限られておりますので」
職人が机の上に置かれたクッションへ手を伸ばす。
「こちらも、一つ二つなら問題ありません。しかし毎月何十個となりますと、今の工房ではとても……」
「では、人が増えれば作れますの?」
リリアーナが尋ねると、職人は少し考えてから頷いた。
「腕のある職人を集められるのでしたら。ただ、すぐにというのは難しいでしょうな。椅子は木を切れば完成というものでもございません。部品ごとに同じ形へ仕上げる必要がありますし、魔導クッションも扱わなければなりませんから」
「なるほど……」
リリアーナは腕を組み、机の上に並んだ部品を見つめた。
前世なら、同じものをたくさん作る工場など珍しくもなかった。何百個、何千個と同じ商品が店に並んでいる光景を当たり前のように見ていた。けれど、この世界では違う。
今までリリアーナがシードのために何かを作ってもらうときも、欲しいものを説明し、それを職人が一つずつ形にしてくれていた。同じものを十個作ることと、百個作ることは、単純に数字を増やせば済む話ではない。
(作ってくださる方がいなければ、どうにもなりませんわよね)
問題は、その人をどこから連れてくるのかだった。
アドラー家の力を使えば、職人を集めること自体はできるだろう。けれど、せっかく安く作れるようにした椅子なのに、人を一から集め、設備まで全部用意していたら、どれほどお金が必要になるのか分からない。
それなら最初から、職人がたくさんいる場所へ頼めれば早い。そこまで考えたところで、リリアーナの頭の中に何かが引っかかった。
(……職人が、たくさんいるところ?)
どこかで聞いたことがある。この世界へ生まれてからではない。
「……あ」 小さく声が漏れた。
隣にいたエレノアが娘へ顔を向ける。
「どうしたの?」
記憶の奥から、一人の少女の姿がゆっくりと浮かび上がってくる。
華やかな令嬢たちが並ぶ中では、あまり目立つ子ではなかった。少し控えめな服を着て、リリアーナの後ろをついて歩いていた女の子。同い年の男爵令嬢。ゲームの中では、リリアーナの取り巻きの一人だった。
(……そうですわ。あの子です)
名前まで思い出した瞬間、懐かしさとは違うものが胸に残った。
彼女は、決して意地悪な子ではなかった。むしろ真面目で、頼まれたことを断れず、人の顔色を気にしてしまうような少女だった。
ゲームのリリアーナが主人公の少女へ嫌がらせを始めたときも、最初から楽しんで加わっていたわけではない。
『リリアーナ様……そこまでしなくてもよろしいのでは……』
そう言っていた場面を覚えている。それでも最後には、リリアーナと一緒にいた。侯爵令嬢であるリリアーナに逆らえなかったこともある。
けれど、それだけではなかった。彼女の家は、ずっとお金に困っていた。
小さな領地を持つ男爵家で、決して豊かではない。それでも領内には腕のいい職人が多く、木工品や日用品、簡単な魔導具まで、さまざまなものを作っていたのだと、彼女は、それを嬉しそうに話していたシーンだ。
『うちの領地の職人さんたちは、本当にすごいんですよ』
ゲームの中で、そんな台詞があった。リリアーナはそこまで思い出して、膝の上で手を握った。
(そうでしたわ……)
作る技術がなかったわけではない。売れなかったのだ。正確には、安く買われていた。
小さな男爵家には王都で大きく商売をする力がなく、せっかく作った品も商会や力のある貴族へ安い値段で引き渡していた。
ゲームでは、彼女が家のことを嬉しそうに話す場面のあと、少しだけ寂しそうな顔をしていた。
『でも、お父様はいつもお金のことで困っていらっしゃいます。せっかく皆さんが一生懸命作ってくださっているのに、なかなか高くは買っていただけなくて……』
当時は、悪役令嬢の取り巻きについて語るための何気ない会話だと思っていた。侯爵令嬢だったリリアーナから声をかけられたことで、嬉しそうな表情をしていたのを思い出す。
そして、そのリリアーナについていった。最後には、一緒に取り返しのつかないところまで。
(……わたくしが、巻き込んでしまった子ですわ)
もちろん、それはゲームの中のリリアーナがしたことだ。今の自分はまだ何もしていないし、彼女だって、まだ誰かに意地悪をしていない。同じ十歳の女の子なのだ。
だったら。
「お父様」
「どうした?」
「フェルナー男爵家をご存じですか?」
アルベルトが少し意外そうな顔をした。
「もちろん知っている。西部に領地を持つ家だな。どうして急にフェルナー家が出てきたんだ?」
(この世界にもちゃんと存在していますわ)
それが分かっただけで、リリアーナの胸が少し軽くなった。
「フェルナー領には、職人さんがたくさんいらっしゃると聞いたことがありますの。木工も得意だったと思うのですけれど……違いました?」
「いや、合っているよ」
アルベルトは頷いた。
「領地の大部分が山に近く、農業にはあまり向いていない。その代わり、昔から木材の加工が盛んな土地だ。細工師も多かったはずだな」
「魔導具を扱える方もいらっしゃいませんの?」
「簡単な生活魔導具なら作っていたはずだ。ただ……」
アルベルトの言葉が止まった。
「ただ?」
「よく知っていたな、リリアーナ」
「えっ」
リリアーナの身体が固まった。当然の疑問だった。今の自分は十歳で、フェルナー領へ行ったこともない。男爵令嬢本人とも、まだまともに話したことがないはずだ。
「ええと……マダム・ヴァレンティノがそうおっしゃっておりましたわ!」
アルベルトは少し不思議そうな顔をしたものの、納得した。
「フェルナー領に目をつけたこと自体は悪くない。確かに、今回の話とは相性がいいかもしれないな」
「でしたら!」
リリアーナが身を乗り出す。
「そちらの職人さんたちに、この椅子を作っていただくことはできませんの?」
アルベルトはすぐには答えず、向かいの職人へ目を向けた。
「どう思う?」
「実際に腕を見なければ何とも言えませんが、木工を本業にしている者が多いのでしたら、こちらで全員を一から育てるよりはずっと早いでしょう。魔導クッションについては教える必要がありますが」
「では、可能性はあるんですのね?」
「ええ。十分に」
その返事を聞いて、リリアーナの顔に笑みが戻った。
フェルナー領へ仕事を頼めば、その分のお金が向こうへ入る。職人たちが作ったものを、誰かに安く買い叩かれるのではない。
こちらから仕事としてお願いして、作ってもらった分をきちんと支払う。それなら、あの子の家だって少しは楽になるのではないだろうか。
(……助けられるかもしれませんわ)
自分と一緒に破滅した少女。あのときの彼女が、最後にどんな顔をしていたのかまでは思い出せない。
でも、今度はそこまで行かなくていい。まだ何も始まっていないのだから。
「お父様。フェルナー男爵家にお手紙を出していただくことはできます?」
「仕事の話なら私から出そう。ただ、その前に向こうの事情をもう少し調べた方がいいな。今も昔と同じ規模で職人を抱えているとは限らない」
「はい!」
「ずいぶん嬉しそうだな」
アルベルトに言われ、リリアーナは自分でも気づかないうちに笑っていたことを知った。
「わたくし、フェルナー男爵家のご令嬢ともお話ししてみたいですわ」
「娘と?」
「はい。同い年だったと思いますの」
今度こそ、ゲームのような関係にはしない。侯爵令嬢だからと自分の後ろを歩かせるのではなく、ちゃんと顔を見て話してみたい。
その子がどんなものを好きで、何を考えているのかも知りたい。そして本当に困っているのなら、自分にできることを探せばいい。
「分かった。向こうの都合が合えば、家族で招いてみよう」
「本当ですの!?」
元気よく答えたリリアーナを見て、エレノアが隣で楽しそうに笑う。マリーも少し離れたところから主人を見守っていた。
昨日まで話していたのはシードへの贈り物の話だったのに、今は遠く離れた領地にまで繋がろうとしている。リリアーナ自身にも、まだその先がどうなるのかは分からない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。
(シード様のために始めたことなのに、あの子まで助けられるかもしれないなんて……)
それなら、やらない理由なんてない。しかも椅子がたくさん売れれば、推し活に使えるお金も増える。
人も助けられて、シード様も楽になって、推し活までできる。
(……これ、ものすごく良いことを思いついたのではなくて!?)
さっきまで少し真面目なことを考えていたはずなのに、最後にはやっぱりそこへ戻ってきてしまう。
そんな主人の顔が急に輝き始めたのを見て、マリーは何を考えているのか察したらしい。
「お嬢様」
エレノアが堪えきれずに笑い、アルベルトまで口元を緩める。
リリアーナは少しだけ頬を膨らませながら、机の上に置かれた魔導クッションへ目を落とした。
(あの子に……リーネ・フェルナー様に会いたいですわ)
ゲームの中では、同じ破滅に向かう少女に
今度は、違う出会い方をするために。
[週間]異世界転生/転移〔恋愛〕 - 連載中 175位
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